(蒼の手記より一部引用)
浸食される過程の記録を保存しよう。誰かが私を救ってくれるのを期待して。
苦痛の記録を炉にくべよう。誰かが読んで余計な情けをかけられることがないように。
しかしてこの記録はどうしようか? 救いを待つか、罰せられるのを待つか分からないこの身であればどうしたほうがいいのだろう?
―――どっちにしろ、きちんと取っておくべきだ。救いを待つ身ならどうしてこうなってしまったのか分かった方がいいだろうし、罰せられる身なら十分な証拠になる。まあ救いは届かないのだろうけど。
故に私は、一つの手帳を保存することにした。カルデアが攻撃されたとき、デバイスと世界史の教科書と手帳は取っておいてよかった。あれがなければ、何があったかという確固たる証拠を示すことが出来ないからだ。余程のことがない限り、誰かが読むことはないだろうけどとりあえず書こう。書くことしか出来ないのだから。ああでも―――それ以前のことは、あまり書いてないけどまあいいか。
(引用終わり)
◆◆◆
「オマエさんの昔の話を知りたい」
青天の霹靂。軽い昼食を取りに食堂でパンを食べていた時にナポレオンさんは前に座ったと思ったらそう聞いてきて思わずパンを咥えたまま私は固まってしまった。
「―――何故」
「いや、ふと気になったんだ。ここに来る前メートルはなにやってたのだろうかとか」
「それで、それに思いをはせてどうするんですか?」
「どうもしない。ただ単純に婚約者のことをもっと知りたくなっただけさ」
ああ、なんという人だろう。知りたいがゆえに踏み込んだとして貴方の思う綺麗な私はいるはずがないというのに。それに、息をするように婚約者というのは心臓に、とても、悪い。
「―――ごふぁ!」
「だ、大丈夫かメートル!?」
お前のせいだ、という他のサーヴァントによる目線が彼に冷たく突き刺さる。それを気にもせず彼は立ち上がり私の背中をさすった。
「だ、大丈夫ですちょっとびっくりしただけで気管支に入っただけです咳き込めばすぐごふっ」
「あー、すまん!」
ほらほら、と異常はないかと彼が私の顔を覗き込む。私は彼の顔を汚さないように自分の口を手で覆って咳き込んだ。
げほげほげほ、ごほごほごほ。
数回咳き込んで喉の異常を治す。無事に私ののどはつっかえてたものが消えてパンの欠片はいくべきところへと消えていった。
「もう、大丈夫ですよナポレオンさん」
「そ、そうか……それならよかった」
そう言って彼は元の席へと戻る。
「それで、私の昔の話……ですよね?」
「ああ、そうだ」
「……あまり楽しいものではありませんし貴方にとっては退屈な話かもしれません」
彼が私を求めるなら、応えるまで。でも私の傷は多分気づいていようとも開示するわけにはいかないので当たり障りのないことを切り取って提示しよう。
「それでも、オレは知りたいんだ。話せるところでいいから話してくれ」
ああ、そんな眩しい笑顔を見せないでくれ。きっと心を許して余計なことまで口を滑らせてしまいそうだから。
「……わかりました。そうですねあまり今と変わりないのかもしれません」
ほら、と私は彼に言う。本当に、きちんとこの食事の場で提示できそうなものだとこれしかないのだ。
「今と変わりない……というのはどういう意味だい?」
「ええ、えーと……」
……あ、これ私にきちんと言葉にさせようというやつだ。自分自身を分析するのは慣れっこだが自分のことを人に説明するのはあまり慣れない。というより説明する行為に意味を持てないのだ。説明したところで理解されないのなら言わない方が得というものだ。でも、なぜか彼には、私のことを知ってほしいと願ってしまう。
「ああ、大丈夫だ。ゆっくり考えてくれ。口にするのが難しいならオレが手伝いを……」
「だ、大丈夫です私が、きちんと、口に、貴方に説明を……」
「やっぱりオレが手伝いを……」
「大丈夫、ですから。大丈夫です」
彼の助けの手を振り払う。私が言えたことじゃないがこれに関しては、きちんと、言わなきゃいけない。えーと、今と変わりないというのは、単に歴史とか伝承とかが大好きで、主に西洋史に関してはそれが顕著で、暇さえあればなんか読んでいたというかなんというか……これを口にするべきなんだ今は。
「……暇さえあれば、歴史とか、伝承とか、そういう本を読んでました。我ながらかなーり陰というかええと……」
「そうか、昔からか」
ふ、と彼が笑みを浮かべる。そういえば彼は本が好きとか言ってたっけ。
「いや、そうかそうか! それで歴史とか伝承の本か。その中で何を読んでたんだ?」
「―――ええと、西洋史といいますかギリシア神話とかケルトのお話とか円卓の騎士とかまあそういう感じです!」
「おお、神話の本も読んでいたのか。オレも好きだぜ! イリアスとかいいよなぁ」
同じ趣味だ。同じ趣味を持つ人がまた現れたとは。正直これはかなり嬉しい限りである。いや、北欧の彼も同じことを言っていたから当然というべきか。ともかく私は嬉しくて、色々と彼とギリシアの神についてとかギリシア異聞帯で出会った神のこととか愛というバグについて話し合った。こんなにも、彼と話が弾んだのは初めてな気がした。
「しかし、どうしてそういったのを読むようになったんだい?」
「星占い、が切欠ですね。その星座元を知りたくなって、その過程で神話に惹かれていったわけです」
「なるほどなぁ、カルデア、星読み……道理でオマエさんがいるわけだ」
えへへ、とがらもなくつい微笑んでしまう。あ、と気づいた時には時すでに遅く
「ああ、その微笑み。実にいいな。野に咲く花のように柔らかく、それでいてずっと取っておきたいほどに美しい。ますます蒼という女に―――溺れちまいそうだ。いやもうすでに溺れているのかもな」
歯の浮くような言葉の花束が贈られた。まるで、私の時間が止まったように感じた。
「あ、あの、あの―――!」
思わずその場にいられなくなって私はパンを口に全部入れたまま食堂を後にする。アトンテだかあ待ってと叫ぶ声が後ろから聞こえたがそれを一切合切無視して、ダッシュで私の部屋へと逃げ込んだ。
◆◆◆
「しかしなんだ、昼間のあれは」
食事を終えた後、ナポレオンはふらふらと廊下を歩いていたがひょっこりとペストマスクの男に怪訝そうな目で話しかけられた。
「ああ、アスクレピオスか。我ながらいい口説き方だと思ったのだが……」
「いや、聞いてるこっちも恥ずかしくなった。恥ずかしさのあまり逃げて彼女が転んだらどうするつもりだった皇帝陛下」
「いやあ……それで何故オレを呼び出したんだい? アンタ」
「いや、お前にだけ知ってほしい事項があってだな。というより最近ずっと蒼と一緒にいてかつ信頼を寄せているようなお前にしか頼めないことがある」
「まあ、いいが……」
アスクレピオスはすう、と息を吐く。そしてナポレオンに医務室に入るよう促した。男はそれに従った。
◆◆◆
アスクレピオスは部屋のドアを閉めた後、二人のほかに誰もいないことを確認した後ファイルを取り出した。
「これから話すことはお前を信じた上で話すことだ。意味は分かるな?」
「―――ウィ」
こくりと医師は頷く。そして彼は男に説明を始めた。
「結論を先に言おう。彼女の左腕に自傷痕がある。前任者の時代からあったようだがその理由はカルテに書かれていなかった」
「―――ああ、そうか。昔からあったのか」
「なんだ、知っていたのか」
アスクレピオスはデータ端末から顔をあげて感嘆する。何故早く言わなかったと言いそうになったが今言っても仕方ないと判断しすぐに飲み込んだ。
「まあ一度服の上から触ったときに包帯が巻かれていたのは確認している。それで察した」
「成程。それで彼女はなんかお前に言ってなかったか?」
「……人を信じられないとか、信じたくても信じられないとかそういうことを云っていた」
「やはり心因性か」
蒼のカルテにデータを打ち込んでいく。医者のその様子を見た男はふと胸の内に沸いた疑問を聞いてみた。
「それより、何故オレにそういうことを言ってきたんだい? 医者というのは守秘義務とかそういうのが……」
「まあ基本はそうだが、場合によってはその守秘義務を守ったばかりに大惨事になったという事例がある。守秘義務を守らねばならないが破らねばならない場合もあるのが現実だ。今回はそれを出来る限り両立しようとした結果お前に打ち明けることにしたまでだ」
「……恩に着るぜ」
「まあ、用はこれで終わりだ。さっさとこの医務室から去れ。健康な者に医者は不要だ。定期健診でもあるまいし」
「それもそうだな」
「ああそれともう一つ。彼女は愚患者だ。今回の話でやっと確信したが自分自身の心の不調を放置して悪化させている。それもお前に伝えておく。心にとめておけ」
「ああ、分かった」
◆◆◆
お前が守れ。先ほどの医者との会話でそう言われたような気がした。守秘義務を破ってまででも伝えられた彼女の傷のこと。であればオレは彼女についてきちんと踏み込まねばならない。カルデアのメートル……茜色の髪の毛の方から北欧異聞帯のオレについて聞いたことがある。オフェリアという女に恋をして、寄り添って、彼女の心に踏み込んで、恋こそ叶うことはなかったが彼女を救うことは出来たそうだ。今でも彼女の名を聞くたびに胸元に風穴が空くような感覚になる上にジョセフィーヌの名を聞いたときと同じような感じになる。ついこの前それ絡みで北欧異聞帯の女王様とひと悶着あったがそれはそれとして彼女―――蒼もあの北欧異聞帯にいたそうだ。であれば彼女はずっと、あの残火に焦がれている。
焦がれることを自分への罰と定めたのか、今いるオレとあのときのオレとは別と分かっていようとも手を伸ばせない、むしろ嫉妬に塗れているからこそ手を伸ばしてはならないと定めているか。きっと彼女は「過去がある故に今が或る」と定義しているのかもしれない。オレとしては彼女もまたオレが好きなら素直に吐き出しちまえばいいと思うが、それでもまだ―――別の要因がある。それがもし彼女の青春にあるならば、カルデアの前にあるならきっとそれは難しいことになる。
手遅れになる前に早く、早く手を伸ばせ。一歩、一歩踏み出してくれ。一言、一言叫んでくれ。
踏み出せなくともそれでいい。オレが手をひいてやるから。オレが全て受け止めるから。
ずっと口を噤んでいるオマエさんも美しいが、言葉を紡ぐ蒼もいい女だ。
だからどうか、オレの愛しのジョセフィーヌに並ぶ女になってくれ。
どうか、素直になってくれ。あるがままの蒼はきっと美しい。
だが今回は彼女自身自滅願望を抱いている可能性がある。であればその呪いをオレも受け止めよう。なにせオレはオマエに惚れた時にはすでに受け入れると決めたからな。
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