フラム

「―――やっぱり、戻ってこないよなぁ」
 蒼が外に出てから三十分後。ナポレオンはマスターの部屋にて彼女が帰ってくるのを待っていた。お手洗いに行くと告げてから一向に戻ってくる気配はなく、先ほどのやりとりを振り返りあのまま彼女を放っておくのは危険だと彼は判断する。
 ―――逃げるために、嘘をついたか
 嘘は女のアクセサリと何処かで聞いたが彼女の場合、そのアクセサリを纏うのは忌み嫌うだろう。そこまでして逃げたかったか、知られたくなかったのかと彼は思い、自分のとった行動を後悔した。
「踏み込みすぎたか……いやこれはオレが勝手に手記を読んだことへのツケが回ってきたか」
 しかしその後悔から即座に蒼を救うために頭を切り替えて男は立ち上がる。確か部屋の奥には倉庫があったはず。多分彼女は自分が見られることがない場所へと向かってるはずだ。カルデアには部屋がたくさんあれど誰にも見られないような場所がたくさんある部屋はここだけのはず。立ち入り禁止の区域に入ることはないからここしかない。そうと決まれば彼はすぐに準備をしようと彼女の机のベッド下の引き出しを開けた。
「……あったか」
 懐中電灯とおはじきがたくさん入っている袋を見つけ、それだけを手に取って何も見ないようにして引き出しをしめる。カチカチとスイッチを押してきちんとつくことを確認した。令呪さえ使えばすぐに助けを呼べるはずだがそういうことをしていないというのなら誰にも来てほしくないか、もしくは恐慌状態で冷静に判断を下せないかのどちらかだろうと彼は考える。
 ――彼女のことだから罪悪感でいっぱいだろう。嘘ついて逃げたのだから。
 それでも彼は、彼女を探しにドアを開ける。次はきちんと落ち着かせてから、話を聞こう。ずっと北欧の熱にとらわれてる彼女を探しに行こう。ナポレオンは静かに部屋から出て、懐中電灯を付けた。
「待ってろ、今すぐ助けにいく」
 そして彼はまっすぐ倉庫へと向かう。騎士は自縄自縛の姫君を救うべく駆けた。

◆◆◆

「―――オーララ」
 重厚なドアを開けたらそこには、忘れ去られたようなものがたくさんあった。まるでそれは迷路で、入ってくるものを受け入れたら決して逃がさないと言わんばかりの圧迫感。灯をつけて何があるのか確かめる。使い古した本、怪しげなツボ、般若面、ナザール・ボンジュウ、キラキラ光る金色の欠片。普段だったら本を見つけ次第読み漁りたいところであったが今は愛する人の一大事なので頑張って目を背ける。そして彼は袋からおはじきを取り出して、一つ落とした。
「まったく、ここで早速ヘンゼルとグレーテルの真似をするとはな」
 きちんとこの部屋から出られるように落として進む。ナポレオンは光をかざして彼女の姿を探した。下手に大声を出して蒼が奥へ、奥へと逃げないように。光だけを頼りにして彼は彼女の影を追った。
跡を残して、奥へ奥へ。
「……光を見つけたら何か合図をしてくれ。確かにオマエさんは悪いことをしたがきちんと、話してくれればいいから」
 祈るようにつぶやいて、光を手にしてお姫様を探す。退路並びに通路を断たないようにしながらナポレオンは倉庫内を捜索した。

 時同じくして、部屋に迷い込んだ蒼は新しく誰かが入ってきたということを知らずに真っ暗な空間にてただ一人、ふさぎこんでいた。暗くて光もなく、何があるかすらわからない場所。じっと彼女は祈るように手を組んで待っている。但し祈りは形式だけであり、ただ心の中で自問自答を繰り返すだけだった。
「―――アーチャー、私のアーチャー」
 ―――どうして、彼の名を呼ぶのだろう
―――ずっと私はあの炎に身を焦がしていて、あの北欧の記憶から抜け出せなくて
 ―――綺麗で、才もあるあの子に嫉妬して
―――今の彼と北欧の彼とは別と分かっていようとも
 ―――それでも彼女のことが霊基レベルで残っているのであれば
―――そのことで憤ってることを知られてしまったのなら
「……嫌われるのが道理ですよね、これは」
 女はいつもの自罰精神を回転させ、かつ自分自身の心を分解するように解析する。演繹して、心をばらして一つ一つの部品を観察して、考える。
「そういえば、どうして私は嫉妬という感情を疎ましく思うのだろう」
 ―――その感情を元に悪いことをしそうだからじゃないか
「じゃあ割り切ればいいじゃないか。そうすれば全て解決するじゃない」
 ―――でもそれが出来ない。出来る性質じゃない。
「過去と地続きで捉えるから? あの子と同じように救ってほしいと願ったから?」
 ―――違う、もし自分だったらと思ってしまったから? あの北欧の彼の在り方を見てしまったから?
「あの子と無意識に比べたから? 比べても意味がないと分かっていて?」
 ―――じゃあどうして無意味なことを繰り返す? この問いすら無駄なのに?
「きっと無意味なことを、繰り返さずにはいられないのでしょう」
 ―――違う、ずっと蒼という生物は愛とか恋とかという不滅の炎に焼かれてるんだ。熱に浮かれて、北欧で見た夢幻に取りつかれてるんだよ。
「じゃあ、どうして私は―――夢幻に取りつかれたの?」
 そこから先の答えはなく、再び彼女はだんまりになる。しかし彼女は変わらずに自分自身に問い続ける。自分自身を解体するように問いかけて、解答代わりの赤い液体を流すような作業。
「どうして私は、私は―――私は」
 無意識に重ねてしまうの。その問いは声に出ることはなく無理やり喉に押し込んだ。むせるような感覚はない。蒼は自分自身をどうしようもないものと再定義して、黒い空を仰いだ。
「星は、ないな」
 無意識に言葉が出る。人工的な光も、ホームプラネタリウムもそこにはなく当然では当然ではあれどただそこに光はなかった。
「あれ、どうして私、星を求めたんだろう」
 無意識に手を伸ばす。顔をうつむかせて、星を掴もうとする。当然遠くにあるものが掴めるはずもなく見えない状態で何かを掴めるはずはない。再び彼女は腕を降ろしてまた、うずくまって自分自身への裁判を始めた。
「もう、何を求めても無駄なのに」
 じっと、彼女は手を合わせてすり合わせる。夜は深くなるに伴って気温は低くなっていく。暖房設備はなくて、吐く息は白くならずとも彼女を確実に蝕んでいく程の冷たさになっていった。動くことすら億劫になり、ただやってくる何かを受け入れるしかない。
「……きっと、これが罰だ。せめてあえなくなる前にでも、謝りたかったなぁ」
 やがて浸食する冷気は眠気を誘い、うつらうつらと彼女に船をこがせる。すり合わせる手は離れ、ゆっくりと仰向けに倒れ天井を仰いだ。
「―――これがきっと、私にふさわしい最期なんだ」
 瞼が落ちようとしても、すぐ開く。閉じて開くの繰り返し。誰かが来ますように、誰も来ませんようにという矛盾した祈りを繰り返す。床の硬質的な冷たさは変わらない。
「―――ごめんなさい。ごめんなさい」
 うわごとのように繰り返す。ちらちらと光が見えた気がするけど多分これは体と心が現界だったからこそ見えているものだろうと蒼は認識した。ちらちらと見えた光はゆっくりこちらへと向かってくる。何かを探しているかのようにふらふらとしながら動いている。
 ―――お迎え、か
 女はゆるりと瞼を閉じる。急速に眠りに入ることは何故か出来なくて、ただ目を瞑ることしか出来ていない。手と足の感覚もまだ残っていてそれを意図的に排除することも脳が拒否してしまった。光が、だんだん彼女の方へと向かってくる。その迫ってくる速度は上がっていき足音がひどく大きく響いていた。これでは彼女も眠れない。
「……どうして」
 ゆっくりと体を起こして光の持ち主が誰かを確かめる。どちらにせよ強制的に誰かに戻されるのが落ちだろうと彼女は判断し顔を伏せることにした。体育座りになって、誰にも泣いたことが分かる顔が分からないように隠す。その隙間から誰が来たのかを確かめようとした。
「―――は」
 光と足音が止まる。彼女に向けられた光は真夜中に輝く太陽であれど、直接彼女を照らさずに床を照らすだけに留められている。ちらりと光の持主を盗み見た。その黒いブーツは逞しい男の足を包んでいた。
「……探したぜ、愛しいオレのお姫様」
 聞き覚えのある低い声。何度も何度も聞いた甘い声。しかし彼女は決して顔をあげようとしない。男は懐中電灯の光をボタンで調節して一番弱い光度にして、床に置いてから彼女の隣に座った。
「流石に長く離れているのなら心配して探したが……その分だと出られなくなったかそれともオレに会いづらくなってしまったかのどちらかだな。そうだろ?」
 こくり、と女は首を縦に振る。やっぱり、と男はつぶやいて彼女の肩を自分の方に寄せた。
「……嘘、ついてしまってごめんなさい。貴方の優しさを利用してごめんなさい」
「よし、よく言えたな。まあ今度からやらないようにすればいいさ」
 かちかち、と彼女の時計の秒針は進む。時刻は午前二時ですべてが寝静まったような静けさに包まれる。ただ動いているのはこの二人のみ。
「まあ詳しいことは落ち着いたころに聞くとしてまずはここから出ようや」
「……出られるのですか?」
「ああ。ヘンゼルとグレーテルのように石というかおはじきを落としてやってきたからそれをたどれば大丈夫だろうよ」
 ほら、と男は彼女を立たせようと促すも女は頑なに動こうとしない。
「やっぱり、見られたくないかい?」
 優しい声が、彼女の耳をなでる。女は一瞬だけ体をこわばらせるも慎重に、喉を絞るような声色で恐る恐る告げた。
「……惨いほどに、泣いていたから。とても、冷たかったから」
「そっか、それなら」
 女の解を聞くや否やナポレオンは自分の上着を脱いで彼女にかぶせる。顔が見えないような位置で被せてやる。
「これならすべて解決するだろ?」
「ありがとう、ございます……」
 小さく安堵したような声で女は云う。そして男は彼女の手を今度こそ取って、ゆっくりと立ち上がらせた。暫く動かずにいたからか蒼はほんの少しだけよろけたがそれもナポレオンが逞しい腕で受け止める。ああ、と彼女は安堵の溜息をもらして彼の着ているジレの端を掴んだ。
「よし、これではぐれずに済むな。じゃあ出ようや」
 そして騎士はお姫様を連れて暗い部屋を出る。あらかじめまいた道しるべに沿って、外へ出た。

◆◆◆

「……ねぇ、どうしてここが分かったのですか?」
 倉庫から蒼のマイルームへと帰る道中にて、小さく彼女が質問する。それは至って単純で重要なものであり、彼女自身少し気になって仕方なかった。かなり奥まったところに逃げただけあって見つかることはないだろうと思っていたからだった。故に嘘をついてまで逃げてしまったのだった。
「ああ、なんとなく助けを呼ぶ方へと向かっていただけさ。ずっと助けを求めていただろ、オマエさんは」
 当たり前と言わんばかりに男は答える。ジレを掴む手がぎゅ、と強くなった。
「……助けなんて、そんな」
「いいんだ。何も恥じることはないしオレが、蒼を助けやすくなるからいいんだよ。むしろ言ってくれ」
「いいんですか。本当に」
「ああ、いいさ。オレはオマエさんのサーヴァントであり、可能性の男でもある」
「でも……」
「遠慮するな、といっても難しいよな。オマエさんは。もっと素直になってもいい、自分に正直になってみるのも案外悪く……」
「もし、そうなってしまって私が悪い子になったら貴方は、貴方は」
「大丈夫だ。悪い子になる前に吐き出して、気持ちの整理さえつければそれでいい。いや吐き出すだけでも幾分かましになるぞ」
 優しい言葉が返ってくる。女は男にかぶせられたジャケットを深く被って懸命に自分の顔が見られないように守りを固めた。しかし足が急に止まったことによりその守りは崩されることになる。
「もう、オレはオマエさんを巣食っている事柄について知っているんだ。それについてどう思うかとかをきちんと聞いておきたい。蒼の口から出た言葉できちんと把握しておきたいんだ」
 ジレを掴んでいた手は離されて、ジャケットは取り払われ彼女の顔があらわになる。変わらずに涙を流していて、見えることがないように相変わらずうつむいていた。
「ほら、もうオマエさんの部屋だ」
「……そのすみません。ごめんなさい、ごめんなさい」
「いいんだ。ほら今日は寝な。明日の朝、きちんとゆっくり話を聞くから」
「……はい、ナポレオンさん」
 ドアは開かれて、無機質な部屋へと二人は入る。そして男は女の眼鏡をはずさせて、抱き寄せて、ゆっくりと布団の海へと一緒に入りこんだ。
「―――! あ、あの……」
「すまんが、今日は逃がすわけにはいかんのでな。だからこうして、添い寝を……」
「あ、その……添い寝、添い寝なんてそんな私が……」
「いいんだ、とにかく休め」
 優しい熱が彼女の体を包む。隣には優しくて、まるで炎を思わせるような人。罪悪感と劣等感に包まれながらも彼女は彼の手のぬくもりに溺れて、深く深い眠りに落ちた。
「―――痛いのなら素直に痛いと言ってくれ」
 そして男は女を抱きしめて目を瞑る。柔い感触と冷たい体。抱きしめたら硝子のように崩れそうだなと思いながら男は女の存在を、きちんと確かめたのであった。

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