二百年以上経った世界でも、場所がロシアから極東の地に移ろうとも雪が降る時の夜空は変わらない。吐く息は相も変わらず白くてごく普通の人であれば身震いして眉一つすら動かせないくらいの寒さであろうことがうかがえる。当然のことながら今ここで輝いて見えるのは街灯とそれに照らされている雪と、オレの目の前を歩くマスターメートルだけ。高いヒールは浅く積もったそれに刺さって少しだけそれを履いている彼女はほんの少しだけよろけるが何事もなかったかのようにまた歩く。
「なあ、本当にその靴で大丈夫なのか?」
「問題ありません。貴方が望むのなら他の靴を検討しますが」
こちらを振り向くこともなく、メートルは相変わらず温度が低いような声でオレの問いに答える。傘もささずに、しかもこの雪道を歩むのに不向きである靴を履いて外に出るなんて。服もこの気温と状況、そして恐らく戦いに挑むのであれば明らかに向いていないような格好――深い青のブラウスにパニエによって膨らまされたハイウェストのスカート、そしてタイツ。当世ではこういうのをロリータ・ファッションというらしい。それは体温すら感じさせない雰囲気をまとっているメートルにはとても不気味なほど似合っていて、かつ他人を拒絶するかのように身に着けている仮面がさらにメートルの持つ危うさをさらに際立たせていた。一度賛辞を贈ろうかと思わず口を開きかけたが召喚されたての頃の失言を思い出しオレは口を噤んだ。
「なら、いいんだがもし足を折ってしまったのならオレに言ってくれよ? 拠点までアンタを安全に送り届けるからな」
「大丈夫ですよ、自力でどうにかします」
「その方法を、アンタは身に着けているのかい? 例えばそう、治癒魔術とか」
「……そもそも私は人形ですよ。治癒というより修理技術ならまあいけますが」
「メートル、アンタはどうしていつもそういうんだい? アンタは紛れもなく人だろうに」
何度も繰り返すメートルの自己否定。思考するオートマタやら自動人形やらそういう類のは彼女の工房で見かけたがそれと比べようにもやはりメートルは「人間」なのだ。明らかに体温はあるし、あの人形たちより遥かに繊細な感情がある。たったそれだけだしメートルの「主張」を否定するには根拠不足だがそれでも、オレは否定せずにはいられない。いいや、別のところにオレが彼女を人と定義する理由がある。
「じゃあ、聞きますがなぜあなたは私を人というのですか」
こちらを振り向かずに彼女は問う。
「魔術回路だの刻印だのそういうのがあるからあなたは人と定義するのですか」
別にそれがあるからという理由ではない。
「いや、違うさ。もっと別のところで、至ってシンプルなことだ」
ふらふらとしていた右手を取ってオレの体にメートルを引き寄せる。はうっと息をのむ音がしたが聞こえないふりをしておこう。そっと艶やかな彼女の黒髪を撫でて、そっと囁いてやる。
「召喚された時、あんたがオレに助けを求めた。心からの叫びで、苦しみに絞られながらもひねり出した僅かな救済願望。それがメートルが人であるという何よりの証拠だ」
――召喚された時を思い出す。助けてほしいという声が聞こえた。それがたとえ僅かな隙間から漏れ出てしまった本心だとしても、いくら仮面などで武装して覆い隠しても、人形であると自己暗示していようとも、その願いは本当のものであることには変わらない。
「だから、どうか――いいや、オレが救って見せるぜ。その呪いを、解いてやるからな」
「……無理ですよ。これが呪いというのならそれは解除できるものではありません。既にこの素体を巣食っているようなものですから」
「でもやってみなけりゃあわからんし、それにオレがやることに不可能なんてないらしいからなぁ」
安心させるようにメートルをぎゅ、と抱きしめる。とても脆くて柔らかくて、ほんの少しだけ冷たかった。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます