「――は? アレを取り逃した?」
「違う、なんかこう……アランとかいう男に奪われたといってんだっての!」
「アラン? どんな男だ」
「氷を蹴ったりとか、あと……スーツに黒髪、そして顔に傷跡がある男!」
「――おい、お前、何てことしてくれたんだ!」
ドン、と男がこぶしを机に打ち付ける。彼と対面しているオクタヴィア――八角美和は肩を震わせて少しだけ縮こまった。光の届かない倉庫にて二人きり。彼女は恐怖でしかない目の前の男――彼女の上司との面談という名の修羅場の真っただ中にいた。
先日の坂本今宵取り逃がしの件で彼女はどう隠し通すか考えようとした矢先、いきなりの上司訪問により脳の思考が許容範囲を起こし取り繕う暇もない。男の額には血管が露わになり、眉間のしわが深くなる。唾をまき散らしながら男はオクタヴィアに向かい言葉という言葉をまくしたてた。
「お前は情報とか仕入れないのか!? 情報は命だ。生死を分ける生命線なんだぞ! それをお前は軽んじるというのか!」
「仕入れてる! あんたにとってアランとかいう男は重要かもしれないけどそのアランとかいう男の情報なんてまったく流れてなかったのよ! てかアランって誰!?」
アラン。先日女の前に現れた男の名。男の口ぶりを聞いた女は憤慨し、手元にあるリボルバー式拳銃を衝動的に突きつけたが男の手によりぐにゃりと曲がり、取り上げた果てに倉庫の隅っこに放り投げた。抗う手段を失ったオクタヴィアは顔を青くさせ、唇を強く噛んだ。
「それ以上口答えするな、オクタヴィア。コヨイを連れ戻せ。アランはオレを殺すことが出来る組織の一員だ」
「……仮にそうだとしてもアレがアランに私たちのことを漏らすと思う? 今までコヨイを色々な組織に送ってきたけど私たちの事を漏らすなんてことはなかったし。まあそういう風に調教していたんだけど」
「絶対はない。決して物事に絶対はないんだ。オレとオマエに関する情報が流れてしまって、一緒にお陀仏になるなんて落ちがあるかもしれんのだよ君」
はぁ、と盛大に男はため息をつく。
男は写真を女に見せて一つずつ、指をさして写真に映ったものについて伝え始めた。
「彼らの活動――というか牙狩りというか、オレたちの種族の間では伝わりつつあるんだ。元イタリアンマフィアの情報だと確かな情報筋から聞いている」
「牙狩り? それがどうしたの?」
「端的にいえば、諱というのがオレたちの種族にはあってな、それを知られたらやつらに密封されちまう。いってしまえば実質的な死と同じようなものだ」
お前そんなこともしらないでこの世界生きてたのか、と男はあざけるように云う。
「そしてそれとつながっているかもしれない女が脱走した。連絡手段はあらかじめ奪っとけとあれほどいったのだがなぁ」
女は拳をわなわなと震わせ、ルージュのひいてある唇から赤い液を流した。
慢心だ、と女は理解していたがそれでも首を縦に振ることはなく、その口から詫びの言葉を紡ごうともしない。
しかし、管理不足にして教育不足が招いた事態は引き起こしてしまった張本人がぬぐわねばならない。女は拳をほどき、両手を自分の体の前に重ねて深く、深く頭を下げた。
「……わかった、わかりました。今宵を連れ戻してきてもう2度と脱走など考えない様に教育しなおします」
「頼んだぞ。……ところで、今までどうやってコヨイをどこにも秘密を洩らさないくらいの従順な道具に仕立て上げたんだ?」
そう聞かれた途端、女は感謝の言葉とともに口角を上向きに歪ませて弾んだ調子で言った。
「そりゃあ……言葉と力、ですかね? 分からせるの楽しかったですよ? ところで今宵を使って何をするんですか?」
「忘却というこの世で酷い概念を、殺す。コヨイはそのための実験台だ」
「わぁ、とっても痺れるほど残酷ですね? いやなことを刻み付けて無限に悲しむ様子がみられるなんて素敵じゃあないですか!」
「ま、まあな」
さあ、いけという言葉とともにオクタヴィアは足早に去っていった。完全に彼女の姿が見えなくなったのを確認して、男は独り言ちる。
「――なんて愚かな。愚かな」
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます