「行ってきます」
深夜、誰もいない部屋にミスミは言葉を投げかける。当然返事が返ってくることはなく、ワイシャツ一枚で何も羽織らずに小さな鞄だけ持って家を出た。既に日付をまたぎそうな時間の中で人もポケモンもいない街中を少女はこっそりと抜けていく。冬ということもあり吐く息は白くなっていたが雪国育ちである少女にとって寒さは些細なことにすぎなかった。キルクスタウンのポケモンセンター前にたどり着くと既にアーマーガアタクシーがおり、運転手は温かい飲み物が入った缶を片手に休憩しているところだった。これは、と思い少女は思い切って運転手に声をかける。
「あの、すみません。ナックルシティまでお願いします」
「どうしたんだい、こんな夜遅くに」
「あの、カフェ行きたいんです」
「……ほどほどにしろよ」
苦し紛れの嘘でタクシー利用許可を取り付けた後、利用料金をあらかじめ運転手に支払う。ゴンドラの後部座席に乗り込んだ後それはふわりと浮かんだ。雪が僅かな灯りに照らされているのか少し明るくて、全ての建物とスタジアムがまるでミニチュアのように見える。通常であれば少なくとも彼女は心を躍らせるだろうが、少なくとも今の心はそれを楽しむことすらできなかった。雪の街を抜けて八番道路。まったく暗くて見えなかったが何か地上が動いていることからポケモンたちが動いているというのが伺える。少女はただ窓からの風景を目の焦点を合わせないまま眺めていた。運転手は、ただ何も言わずにアーマーガアを操縦していた。
数分のフライトの後、ゆっくりとタクシーはナックルシティへと降り立った。ゴンドラの扉が開けられた時、少女は礼を短く言う。運転手は「要が済んだら早めに帰るんだぞ」とだけ言って新しい客をゴンドラに乗せてどこかへ飛び去って行った。
「―――用事、か」
ミスミはふらりとカフェに立ち寄ることはせず、ゆっくりと大きな階段へと足を延ばす。
「もう、大丈夫ですし往路しか持ってきてないんですよね、運賃」
そして彼女はゆっくりと階段を下りていく。顔はとても沈痛な面持ちをしているままだった。その様子はまるで幽霊のようだった。
◆◆◆
「よかった、強い雨が降っている」
係員の目をすり抜けてワイルドエリアを静かに歩く。誰も目につかなそうな場所を抜き足差し足で地を這うようにひっそりと行く。ミスミは悪天候に感謝しつつ自らの【終の場所】を探していた。それこそ文字通り三日三晩休まず何も口からとらずに少量の荷物と背中一杯の絶望を背負い込んで端から端へと彷徨い、道中に落ちていたモンスターボール類や道具類に目もくれず歩き続ける。当然ポケモンとの遭遇が考えられるため彼らを怒らせたりしないよう細心の注意を払いながらいく。途中係員から運悪く「何しに此方へ来たんですか?」と問われたもののあらかじめ自分の中で用意していた「まだ見ぬポケモンを見るために来ました」という問いを口に出して一瞥し何も疑われることなく切り抜けた。道中木の実がたわわに実っている木を見かけたときには涎が出かけたがそれを堪えつつ背を向けてやり過ごす。そういったことをしていくうちに彼女から冷静な思考回路は栄養と体力と共に奪われていった。
だが彼女はその状況をピンチと思うどころか好機ととらえていたのだった。最終的に彼女は見張塔跡地にて体力の限界を迎え、見張塔の残骸にもたれかかるように座り、おぼろげな思考を全て今すべきことではなく過去の回想に当てていた。
「――もう、苦しまなくて済むんだね」
目を瞑り、今まであったことを再生する。前通っていた学校で芸術関連の賞をもらった時に陰でこそこそいわれたこと、少し目立つ故に気に入らないという理由でいきずらくなったこと、面と向かって自分そのものを否定されたこと、公開処刑、舞台上にて突き刺さる衆目の悪意。それらは全て鮮烈なカラー映像として脳内で上映されてサラウンドにて当時の罵声と侮辱の言葉が流される。決して言えない「傷跡」ならびに「呪い」としてガラル地方に越した後でも彼女のことを蝕んでいた。日課としてネット上で自殺の名所を調べた時に自動で検索エンジンに出てくる「辛いときはここに電話して」という案内や街中で広告されることがあるホットラインの広告に一種の軽蔑を覚え、それに頼ることはなかった。正確にはホットラインのお世話になったことはあれどその時言われた言葉である「頼れる人を作ろう」は彼女にとっての救いとなるどころか傷跡に塩を塗りこむだけとなった。
「助けを求めようとも、無駄だというのに」
【助けて】とどれだけ叫ぼうとも届くことはなく余計に被害は広がるばかり。救難信号を打とうとすれど被害が広がるということが分かった瞬間から彼女はもう自分から助けを求めることはやめて、ただじっと耐えることにした。しかし彼女の精神はすぐに限界を迎え、気づけばどうすれば死ぬことが出来るのかという事を考えるようになったのである。これは両親の都合によりガラルに越してきた時も変わることはなかった。雪の中で一人寒空の下で寝られれば、アーマーガアタクシー乗車中に飛び降りることが出来れば等。だが彼女は痛みを伴う死を望んでおらず、ただ眠るように迎える死を望んでいた故にワイルドエリアで衰弱死することを決めたのであった。思ったより苦しくて、何か食べてようかという考えが頭によぎったことはあれどもそれに屈することはなく、ただ死に身を委ねていた。雨は、ただ無常に彼女の体を濡らし続けて温もりを奪っていく。
「やっとこれで、やすめる」
ああ、と嘆息した後ゆっくりと空に手を伸ばす。何故斯様なことをしたのかは彼女ですらわからない。何かがミスミの手を掴む感触はしたがお迎えが来たのかと思ったのかさらに残っていた力を脱力させた。そしてその時、ミスミは自分に問いかける「声」を聴いた。
―――聞こえるか、聞こえるか。
「……お迎え?」
わずかに聞こえた声に彼女はか細い声で問いかける。その言葉を聞いた声の主は首を横に振り、彼女の細い手を掴んだ大きな手を彼女の肩に置いた。声の主は真剣にかつおちついた笑顔で話しかける。
―――違う、オレは――――
「……?」
されど雨ゆえか彼女の意識故か肝心の名前ならびに声の主の身分はかき消される。辛うじて目の前の声の主は褐色であるということしかわからない。光のない目でゆっくりと首を傾げた彼女の様子を見て声の主はゆっくり頷いて彼女に名を明かすようお願いする。
―――まあいい。キミの名前、聞かせてくれないか
「……ミスミ、です」
小さい声で彼女は名前を告げる。声の主は噛みしめるように名前を複数回呟いた後に真剣な調子で言葉を紡いだ。
―――ミスミ■ん、オ■は今、君を■■■たい――
ひどい雨、もうすぐ切れそうな意識、ただ目の前で動いている口の形。何を言っているのか肝心なところが聞き取れるはずがなく、ただ彼女はそこにいるだけだった。そして思考回路は既に壊れており、ただ彼女は仕掛けられた人形のように首を縦に振った。
―――よかった。少し、待っていてくれ
その言葉とともに肩から何かの感触は消え、ふわりと自分の体が浮かぶ感覚がした。体が何かに動かされていて、どこかに向かうということは明白。故に彼女はきっと死後の世界にいくのだろうと声の主にただ身を委ねていた。
そして、ミスミはゆっくりと瞼を閉じた。
◆◆◆
男は大急ぎで見張塔並びに草むらから離れた場所に設置したテントにミスミを運び込む。本来男が寝るはずだった寝床に彼女を寝かせ、大急ぎで脈をとる。首筋がとくんとくんと動いているのを確認した後、大急ぎでスマホロトムを呼んでレスキュー隊の要請を行った。深夜ゆえか安全のため夜が明けるまで待っててくれと電話口から慣れた様子で告げられたところで男は無出を撫でおろした。スマホロトムの時間表示は午前三時を過ぎたところを指している。
「ミスミくん、もう大丈夫だ。助けが来るのを待てば君は家に帰れる」
男は小さな女の手を取り、じっと彼女の様子を見守っていた。紫かかった長い黒髪に、女であることを示している体つき、長い睫毛に厚い唇。少しの罪悪感を覚えつつバッグの中身を検分した後見つかったのはスマホロトムと少額しかない財布のみ。先程彼女が呟いた「お迎え」の言葉から鑑みるにいくつかある可能性の中で一番最悪なものが男の中で浮上した。
「───自殺、なんてこと考えてないよな……?」
一瞬、男は顔を青ざめさせたもののすぐ精悍な顔つきに戻り唯スマホロトムで最新のワイルドエリアの情報を仕入れ始めた。明け方になれば雨は止むという情報を得て一先ず無出を撫でおろす。その後男はモンスターボールに入っている”相棒”に語り掛けた。
「ごめんよ、本当なら今すぐ君の力を借りて目的地に飛ぶついでにこの迷子の子を病院に運びたいところだが……この雨だ。それに君がいるとおそらく”目立ってしまう”んだ。ごめんよ、リザードン」
ボールを男の道具入れに仕舞いこみ、女の額に自分の手を当てる。ほんの少しの温もりがまだ彼女は生きているということを示しており、そのことに男はほんの少し安堵を覚えた。男はテントの内側から外の様子を覗き見る。わずかに雨の勢いは弱まりつつあったのを見て男は寝ている女に届くはずもない現状を告げた。
「ミスミくん、雨は弱まってるし明け方には助けが来るぞ。だからどうか、安心してくれ」
そっとその言葉と共に男はまるで下のきょうだいにするように女の頭を撫でる。大きな褐色の手が白い額に優しく触れた時だった。
ゆっくりと、女の瞼はあがり光なき紫の目は露わになる。厚いが飾り気のない唇は少しだけ酸素を取り込むために僅かなスキマが開かれた。
「――――――――――――あ」
男は女を撫でている手を引っ込める。まるで展示物である精巧な人形に知らずのうちに触れてしまったかのような罪悪感を男は覚えた。
「すまなかった、ミスミくん。ただ、君を安心させたかったから頭を撫でていたんだ」
とっさに男の口からわびの言葉が出る。それを聞いた目覚めた女はゆっくりと男の方を見た。褐色の肌、特徴的な顎髭、金色の瞳、藤色の長い髪の毛にアスリートが着るような服装に包まれた筋肉質な体、そして男の傍らには黒いスポーツキャップ。何処かで見たような出で立ちだと女はぼんやり思ったものの、それは誰かという問いへの答えを導き出すことは出来なかった。
「だ、大丈夫ですけど、貴方は誰ですか?」
女は淡々とした声で男に問う。
「オレは、ダンデというんだ」
「……そう、ですか。ダンデさん、ですね」
女はぼうっとした様子になり、すぐ何かを受信したのかほんのわずかに声を震わせて男に問うた。
「……ええ、と。もしかして、今思い出したのですがその、ダンデさんとなると……あの、『無敵のダンデ』で合ってますか?」
「ああ、そうだ」
「あの、なんか常にマントとか帽子とかつけてるダンデさん?」
「今はマントつけてないけど、確かにそうだぜ」
「……つかぬことをお聞きしますが、迷子になるとたまにニュースになってるダンデさんで合ってますか?」
「……そうだぜ、今回も目的地にたどり着けなくてな……」
「そう、でしたか……それはなんというか……その……すみません……失礼なことを訊いてしまって」
「いや、いいんだぜ。それはそれとして―――」
雨音がさらに弱まる。ダンデは念入りな彼女の問いかけに答えた後、出来る限り自然な流れを装い【本題】を切り出す。
「どうして、ワイルドエリアにいるんだい?」
ふ、とその問いを聞いた女は少しだけ目を見開くも、あらかじめ用意していた偽りを本心であるかのようにすらすらと口にした。
「ふと行きたくなったからです。色々ポケモンたちが行きかうところをこの目で見てみたかったというのもあります。如何せん私の住んでるところは寒いところなので」
「ん、そうか。その割には荷物が少なかった気がするが?」
「捕まえる気はなかったといいますか、ただ見られれば満足なので」
にこりとこれ以上教えることはないと言わんばかりにミスミは精一杯微笑んだ。しかし、男はその微笑みで踏み込みをやめるようなことをせず、諭すように女に語り掛けた。
「だが、ここは野生のポケモンが自由に闊歩していたり潜んでいたりする場所だ。トレーナーや人と一緒にいるポケモンとは違うしなんなら襲われて最悪の場合、死ぬ場合もあるんだぞ。きっと親御さんも心配しているだろうからもうこういったことをしないほうがいい」
咎めないように、かつ宥めるように女に話しかける。だがその言葉を聞いた女はびくり、と何かが弾けたかのような感触を覚えた。
「―――しんぱい、ですか?」
「ああ、親御さんでもなく友達とか、こう君のことを大切に思ってる人とかが――」
「いません、私のことをそう思ってる人なんていません」
笑顔で残酷なことを女はいってのけた。その笑顔は皮肉にも彼女を助けた男に向けた初めての笑顔であった。まるでそれが当たり前であるかのように、かつそれが定説であるかのようにダンデには聞こえてしまった。それでも嗚呼と嘆息することはなく、少しだけ考えた後でいつもと違う優しい笑顔で彼女にもちかけた。
「そうか、ならそう思う理由を教えてくれないか? 誰かに話す、なんてことはしないから」
ほら、ダンデはいつも彼が食しているパワーバーをミスミに差し出す。女は少しだけそれを手に取ろうとしたが、ほんの少しだけ躊躇ったのち手を引っ込めた。
「……本当ですか?」
「ああ、オレと君だけの秘密にする」
そう語る王の瞳は真昼の太陽のように輝いてはいれど、無差別に照らすような光ではなく雨の後にさすような日の光のような輝きであって、それが彼の言葉も相まってか彼女をいくらか安心させる手伝いとなった。
そして、彼女はゆっくりと口を開く。
「―――分かりました。話します。絶対に、私とあなただけの秘密にしてください」
「ああ、約束するとも」
雨音は遠ざかり、降る雨は小降りとなる。嗚呼、と彼女は嘆息し呟くように話した。
「……私、死にたくてここに来たんです。人が怖くて、親に相談しても取り合ってもらえなくて、ずっと死のうと考えていたんです」
テントに打ち付ける雨音は止んでいく。すっかり濡れたワイシャツはダンデが予備の着替えとして持ってきていた大きなTシャツに着替えさせられている。女の目はまるで底のない闇の様でかつ、この世にある希望の光の存在を否定しているかのようだった。
「もうすぐ、死ねるはずだったんですがね。どうして私を助けたんですか」
それは、まるで助けた男を責める様子はなくただ自分自身のめぐりあわせの悪さを恨んでいるようだった。されど闇に触れてもその優しい光が強くなったり弱くなったりすることはなく、ダンデはただ答えた。
「ただ、放っておけなかったんだ。倒れていた君のことが」
「そう、でしたか」
女は男の答えを聞き、それをかみしめるように心の中で反芻した。ちらりとダンデの方を見て、そしてすぐに俯く。
「それだけで私を助けるなんて」
ぽつりと女は小さく呟く。あまりにもその様子が小さく、生きながら解除不可能の「のろい」にかかっているようでその解除を普通は苦労しながら探し求めるものであるはずであるが、彼女の場合はそれすら投げ出しており少しでも和らげようとする行為すら諦めているようだった。だが、それでもダンデという男は諦めることはなかった。なんとしても彼女に「光」を、「生きる希望」を̪知ってほしかった故にさらに言葉を紡ぐ。
「それでも、俺は助けたかったんだ。君を待っているポケモン、人、出来事、そういった色々なものと出会うためにね」
「出会い、ですか」
「そう、今君はポケモンは持ってるかい?」
「いえ」
「なら、ポケモンは好きかい?」
「ええ、はい」
「それなら」
テントの外からヘリコプターの音が聞こえてくる。それはゆっくりと地面に近づいてきていた。
「これからきっとポケモンを通じて出会いと経験がたくさんあるだろう。君はとても幸運だ」
「―――」
「だからどうか」
―――今度君がポケモン連れてオレと再会した時はゆっくりと言葉を交わそうぜ。君がいいというのなら、バトルも大歓迎だ。
その晴れやかな笑顔と共にダンデはミスミの肩を叩いた。
「気が、早すぎますよ」
ミスミはちらりとはにかみながら男を見た。壊れそうな笑顔ではなく、諦観由来の笑顔でもない心からの「喜び」の笑顔。
「それは、悪かったなミスミくん。でもせめて死ぬのはそれまで待っていてくれないか?」
「―――まあ、貴方がいうのであれば」
こくりとミスミは首をためらいつつ縦に振る。それだけでダンデはただ嬉しかった。
テントの布から朝日が滲み出る頃、救助のヘリが駆けつけてきた。ミスミはその中に運び込まれ近くの病院へと搬送されることとなった。ヘリに入れられる瞬間、ダンデは「お守り替わり」として彼女の鞄に自分のリーグカードを入れ込んだのだった。
「どうか、再会までとは言わずずっと、生きてくれ」
決して届かぬ祈りは空に向かって投げかけられる。そしてキャンプセットを片付けた後ダンデはリザードンを繰り出して自身の目的地へと向かっていった。
◆◆◆
―――そして、女は十日後に運命的な出会いをする。静かに雪が降る夜に。されど残酷なことに死滅願望は染みついた呪いのように消えぬまま。
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