ルナ

 その女は、虚勢を張ることでしか自分自身を内なる呪いから守れない。否、それしか方法がなかった。その呪いすら並大抵の精神で耐えられるわけがなくその精神力がカルデアに来た時点で喪失していた彼女は耐えるだけで精いっぱいだった。
 そんな彼女は、今は安らかに眠っている。男はその寝ている女の傍らにあるノートに手を取った。
「……タイトルのない本、か。一体何が書かれてるんだ?」
 男は本をめくる。そこにあったのは丁寧な文字で書かれていた懺悔録だった。
 かくして、彼―――ナポレオンは知ることとなる。
 愛する女が■■を抱き始めた話。そして最悪の出会いの話。彼女が呪いを抱く切欠となった始まりの話。カルデアのマスターから聞いた北欧異聞帯の蒼視点の話を。

◆◆◆

(以下、蒼のノートより抜き出し。但し全文公開ではないのでご注意されたし)

「―――ああ」
 北欧異聞帯のある集落にて、私は目にしたのです。集落の決まりを破ろうとしてまで子供たちを守ろうとした或るマスターとマシュを援護せんと現れた焔を。その焔の男は身の丈より大きな大砲を持ち、天上におわす御使いたちを撃ち落としたのです。その後姿、逞しい声は以前夢の中で出会った男とうり二つ。思わず私は見とれてしまいまして声を失ってしまいました。しかしここはすでに戦場。見とれる暇なぞないと私は自分自身を叱咤して援護するための魔術を発動させました。結果一先ずこの災難を退けることはできました――が、どうも私はあの逞しい背中が網膜に焼き付いてしまったようでした。
 こういうことをするのは状況的に許されないし非常時であるということは当然理解していたのでその網膜に焼き付いた上で心のバグ―――心が跳ね上がったり思考がほんの少しぼやける程度―――をどう対処すればいいのか。その解決方法を探りつつこの北欧異聞帯の攻略を現地のサーヴァントであるアーチャー―――先ほど焔の男と呼んだサーヴァント―――と少女のマスターとマシュと一緒にすることになりました。
 そして私は焔の男にして夢の中で出会った男の真名を知りました。ナポレオンというそうです。史実における彼については世界史の授業で学んだので当然私は知っていました。ですが私の目の前にいる彼はどこかいい意味で皇帝らしくないという印象を受けました。爽やかで、逞しくてまるで童話に登場するような騎士様で優しい王子様のようでした。いや皇帝である彼に騎士様で王子様というたとえはとても合ってないのかもしれませんがそれでも私にとってはそう見えたのです。
「ん、アンタは……援護係かい?」
「は、はい!」
「そうかいそうかい、頑張れよマドモアゼル」
 氷の城に乗り込む前の道中にて、ほんの少しだけ彼と話す機会がありました。要領の得ない私の話を真剣に聞いてくれる姿、うんうん頷いてくれた上に返事を返してくれる。そしてひしひしと伝わる善良な意志。私が夢の中で出会った男はこんなにも、こんなにも逞しくて縋りたくなってしまう程に頼りがいのある男だったのです。そして青い目に焔を思わせるような髪、彫刻を思わせるような体に豪快でありながら不敵で優しい声。ぴちょんと心の中に雫が落ちるような感触がしました。甘くて、手を伸ばしてしまいそうなくらいにおかしくなってしまった気がしました。
 ですが今はそんな時ではございません。だからこそ表面上は冷静に、かつ真剣になるよう努めました。
 まさかあの後、氷の女王様との謁見時にあんなことが起こるとは思いもしませんでした。

◆◆◆

 その謁見する場所はしんとしていて、厳かで、きらきらしていたのを覚えています。城に侵入しておいて謁見するということ自体少々おかしいことですが正面突破したらもっとこちら側の戦力を消耗していたので理に叶っていると思われます。私はただそこで、彼らに強化魔術をかけつつも事の成り行きを見守っていました。あくまで私は予備ですが、彼らを助けねばならないという決まりがあります。故に私は仕事をまっとうしました。
 そこまではよかったのですが、問題はその後でした。ナポレオンがワルキューレに軽口並びに歯の浮くような言葉を言いながらの応戦後、彼はこんなことを言ってました。
「オレには北欧じゃあもう決めた相手がいるんでね!」
 既に決めた相手。ずんと心が沈む心地がしましたがただの冗談の類だろうと自分に言い聞かせるよう楽観的にとらえました。それが私であるということ思い上がりなどするはずがありません。ただ私は目の前のことに集中しました。
 そして―――北欧担当のクリプターが現れました。凛としていてどこか儚げ、右目には眼帯でとても可愛らしい少女だったことを覚えています。ああ、私たちは彼女らと相対するのかと心を決めた時でした。

 私の淡い心が打ち砕かれる音がしました。ナポレオンは、その女に惚れていたのです。

「―――ねえ」
 マシュとマスターとスカディとナポレオンとクリプターの女が何かやり取りをしていたことは覚えています。その中で私は、びっくりするくらい低い声で呟いてしまいました。誰にも拾われることはなく、ただ自分自身にだけ聞こえるように呟いてました。
「どうして、どうしてあの子なの」
 決して届かぬ問いを虚空にぶつけてました。無意味であることは分かり切っているのに、問いかけずにはいられませんでした。その場で泣けたら、その場で叫んでいたらよかったのでしょうがやっぱり今は非常時です。ただ一人の激情で場を乱して窮地に陥らせるなんて愚行はあってはいけません。ですから私は耐えました。必死に、体の芯から湧き上がる黒い泥が漏れないように、耐えました。その愛の言葉は本気であることは疑いようがなくてそれが私に向けられないことが確定してでもあの夢の中で見た彼は何者かとかあの言葉はやっぱり偽物だったんだ安心したとか色々ぐるぐるとかき混ぜられている中色々と投入されていて内部から壊れそうになりましたが、耐えました。耐えて耐えて、耐えきりました。
 そのあと私たちは彼の戦略によって牢に入れられて、そこから脱出しましたがその時にはもう私の心は限界だったのでしょう。ただの恋愛ごとで壊れるなんてとお思いかもしれませんが私は既に限界だったのです。魔術の世界において恋によって身を滅ぼしたという魔術師さんもいるくらいですので愛とか恋とかはとても強力な劇薬なのでしょう。その劇薬は、今回悪い方向へと作用してしまったのです。その時―――北欧異聞帯攻略中は私の心はずっと凍ったままでした。スキーの時ナポレオンが言ってた「召喚されるごとにこれと決めた女を愛する」特性、それについての説明がなければ多分私は大変なことになってたのかもしれません。
 話を牢獄内でのことに戻します。彼は最初の妻と二人目の妻、流刑先の愛人についても喋っていました。ここのあたりは彼を構成する事実なのであまり気にしていません。とりわけジョセフィーヌ――最初の妻に関してはかなり重要であることが彼の言葉から聞いてとれました。そういやあのクリプターにもジョセフィーヌに並ぶ女になれとか云ってた気がします。思えば「素直になれ」とかまあそういう意味で言ってたのでしょう。それはともかく、彼は言いました。
「……オレは歴史に栄光ばかりを刻んだ訳じゃない。大陸軍の敗退を始めとして、恥ずべき汚点も山ほどある」
「だが、オレは過去を否定しない。人理が消滅しちまえば、すべてが消え失せちまう。何もかもすべてだ。悲しみと涙が消えるってンなら喜ばしいが、そうじゃない。全部消える。オレの栄光なんざ今更どうでもいいが、歴史の願いや万民が抱いた喜びや希望、願いってのは……」
 ……消し飛ばすには、あまりにも忍びない。
 この言葉は、とても鮮明に覚えています。人の願いや祈りを守るために、叶えるために戦う貴方。とてもまぶしくて、縋りたくなるほどでしたが手を伸ばすのは諦めました。欲とか呪いで穢れた手で、貴方を穢してはならないと感じたからです。その後の会話は、シトナイなるサーヴァントの召喚などでごたごたしたので覚えてはいません。それくらい、私は疲弊してたのだと思います。

 その後、私たちは懸命に北欧異聞帯を攻略してました。最後の最後までナポレオンは、北欧のクリプターを救おうと必死になっていました。彼の体は北欧の熱風となり消えていきましたが今際の際のことは鮮明に、覚えています。最後まで彼は光で炎で、私にとっては眩しすぎたことを。彼は、あの子のために命を懸けて最終的に救ったのです。
 彼女は最後まで彼を断っていましたが最終的に彼女を救えたのならあの彼にとっては本望でしょう。

 それでも私は、彼女がほんの少し、いいや、かなりうらやましかった。現在進行形で、妬ましくて羨ましい。

 彼女は愛を向けられて、救われた。もし私だったならばと空想してしまう程にうらやましかった。一般的にそれを嫉妬と呼ぶのでしょう。ですが私のそれはとても醜くて、私を文字通りの怪物に変貌させかねないほど惨い呪い。なんとか制御できているからこそまだマシなのですが表に出たうえで全て開放させてしまったらきっと私自身、彼に嫌われるでしょう。間違いなくその時、私はとんでもない過ちを犯してしまいそうですから。

 その後、私はどういうわけか北欧の彼とは別の彼を召喚しました。その彼は私に思いを向けて、救うといって、そのうえ私を婚約者と認定したのです。どうしても素直に受け入れられず、嬉しいはずなのに怖いという感情に襲われる中、あの夢の中で出会ったという彼は手を伸ばして私の手を取ったのです。

 どうか、どうかあの彼が私の醜い感情に気づかずにいることを、祈ります。知られたら間違いなく嫌われてしまいますから。

◆◆◆

「―――ああ、そういうことか」
 一人の女がベッドに寝ている傍ら、男は一冊のノートを黙読し終えた。そして元にあった場所に戻してから彼女を一瞥した。
「あの時のオレがこびり付いて離れない。そして今のオレとは別人であることが分かっていても嫉妬が表にあふれてしまってオレに嫌われることを恐れているということか」
 優しく、壊れ物に触れるように男は女の頭をなでる。女を巣食う呪いの概要を知った男は
「こればかりは、態度で示さにゃあいかんよな。とっくの昔にオマエさんがオレに惚れているというのは態度や顔で分かっている。ただ素直になるということを自分自身で許してないだけだ。それにアンタは外道な真似はしないということも分かっている。自分自身を俯瞰視出来ていて制御しようとしてるからだ」
 女が懸想する男からもたらされた解は届くことはない。対象が眠っているからだ。それでも男は女に誓うように語りかける。
「いつかオレが必ず、その呪いを解いてやる。素直になれるようにもしてやるぜ」
 首吊り人がモチーフになっている令呪を手に取って、男はそれに口づけを落とす。
「オレは、マドモアゼルを必ず救う。その暁には心からの笑みを見せてくれ」
 最後の懇願に似た言葉も届くことはなく、ただ疑似的な月明かりの中消えていく。そこにあったのは、熱だけだった。
「でも、思ったことを口にできないということほど辛いものはないぜ、メートル」

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