助けを発信する機能は失われました
失われる予兆はあったというのに抗えませんでした
抗う機能すらとうの昔に失われたのでしょう
きっと私は全部壊れてガラクタ同然になったのでしょう
それも当然不相応なバグを持ってしまったのですから
さあ さっさと永遠の夜を迎えましょう
もう二度と朝が来ないように
忌々しい朝がこないように
(蒼の手記より)
◆◆◆
仕事がすべて終わって、夕飯を食べきった後に腕時計を見る。時刻は午後九時を回っていて、約束の時間である十一時半までに時間はあった。彼女はふうと溜息をついた後、何かないかとふらふらとノウム・カルデア内を歩いたが相も変わらずサーヴァントたちは実体化した状態で思い思いの時間を過ごしていた。
「冷静に考えれば、すごいな」
教科書や本で読んだ英雄たちがあらゆる姿になって一つの目的のために戦い、集っている。時代も地域も思考も違うが世界を救うために戦うという期間限定の同盟。生前では宿敵同士であろうとも今は背中を預ける状態。
「ああ、これは……未だに信じられないや」
少女はそう感心しつつ部屋へと戻ろう、とした。その時、何やら背中をたたく感触がした。
「……誰ですか?」
ほんの少しだけがやがやしている時間帯。手の角度からして愛する人に触れられたわけではない。少し、少しだけいつもより低い声に自分に触れたことへの怒りを込めて振り返った。
「あ、すみません蒼さん、私です。シャルロット・コルデーです」
シルクハットに何かで膨らませたであろう白いドレス。栗色のセミロングにターコイズの瞳の少女―――シャルロット・コルデーが蒼の背後にいた。いきなり触れてしまって怒らせたことに対し彼女は申し訳なさそうに眉毛をハの字にする。
「あ、コルデーさんでしたか。これはこれは申し訳ありません」
「いえ、いいんです。こっちから声かければよかっただけの話ですから」
ちらりと蒼は時計を見る。時刻は午後九時十五分。
「……その、コルデーさん。何か御用でも……」
「実はその、貴方とまたお話がしたくて……」
「ああ、いいですよ。先約まで時間がありますし」
「よかったぁ! じゃその約束の時間までよろしければ一緒にちょっと話しましょう!」
「ええ、ぜひぜひ」
そして二人は夜の談話の準備を軽くして、蒼の部屋へと向かっていった。
◆◆◆
蒼とシャルロット・コルデーが喋るような仲になったのはつい最近である。インド異聞帯を攻略して暫くした後、彼女がカルデアにやってきたが最初のころはまず蒼自身の気質によって誰ともしゃべることが出来ない状態だった。コルデーの方も彼女自身の性格によってカルデアの職員兼備品の蒼と話す機会は非常に少なかったのである。
互いに関わりのない二人がきちんとしゃべるようになったのはつい最近のこと。ギリシア異聞帯を攻略して、ヴァレンタインの様子を見て、そして真夏の冒険を経てやっと、互いに話し合うことが出来たのである。コルデーはともかく、蒼からしてみればやっと同性の友達のような存在が出来たので初めて一緒にしゃべった夜はかなりはしゃいで、翌日起きる際に支障が少し出るくらいには盛り上がったことがある。
最初の話は互いのことについて。但し趣味とか各々の目からみたカルデアの話や他のサーヴァントやカルデアのマスターのことについて話すのみで互いの不可侵領域に踏み込むような話―――要するに恋バナはすることはなかった。ただ、今回は少しだけ訳が違う。何故なら―――。
「コルデーさん、酒は飲みます?」
「あ、ハイ! 修道院でよく使ってたりしてたからワインは前々から興味あったんです!」
酒、あらゆる情報を吐かせる手段であり、コミュニケーションを円滑にさせるための道具の一つがあったからだった。蒼はどこからか白ワインの瓶を取り出し、隠し持っていた十徳ナイフを取り出して器用に栓を開けた。
「よかったです。確かあれですよね……典礼の時に使ったりとか」
「そうそう! あと私のとこではちょっと覚えてないのですがワイン作っていたところもあったらしいですね……」
「結構ありますよね、ワインとかお酒作ってる修道院。ドンペリなるものも元は修道士の名前から来てるとかなんとか……」
ワイン談義で盛り上がりつつ、どこからかワイングラスを二つ取り出して静かに注ぐ。泡も何もないが甘美な香りは確かにある。コルデーはどこからともなく包みを取り出す。
「あ、私はその……チーズ詰め合わせを持ってきました! 多分このワインに合うと思います!」
「ありがとうございますコルデーさん。では一緒に飲みましょうか」
「ええ!」
そして、酒とチーズをお供にした空騒ぎが始まった。
「―――それでですね! 私は私を上書きしたいんです!」
「……上書き、とは」
「ええ、上書きです。マスターさんがあの海でギリシャでの私と出会ってギリシャの私が恋をして……傷跡を残したからこうなんといいますか……」
午後十時。ワインの瓶は既に一本が空となり二本目を開けようか開けまいか迷っているところで突然のコルデーの告白が入った。告白といってもカルデアのマスターへの愛の告白であり、「今現在マスターに慕情抱いているが、今は自分なりに自分自身を上書きしようと頑張っている」という類の現状報告であるが、今知った蒼は酒を飲みつつ何度も何度も彼女に聞き返していた。
「傷跡……それで貴方はどうやって頑張ってるんですか?」
「でーすーかーらー私は、新しい思い出を作って、癒しあうような仲になって……」
「癒しあう」
「そうなんです! それでもこう傷つけてしまうのかもしれませんが……別方向で塗りつぶしてみたいといいますか……私という存在を刻み付けたいといいますか……」
「とても、いいと思いますよ……。そのこうなんといいますか上塗りしてやるーという心意気とか。憧れます」
「いえいえ、そのありがとうございます。そういえばというかそーれーよーりーですが!」
うがーと鳴かんとばかりにコルデーはターコイズの目を部屋の主にへと向ける。
「私、カルデアのマスターが大好きとしゃべったのに、貴方の好きな人について聞いてません!」
無言でグラスに口を付けていた蒼は、その言葉を聞いて思わずグラスの中に入っているワインを飲み干してしまった。誰にもしゃべらずに秘めていた愛。やっと思いを告げられた恋心。そして同性の友人があまりいなかった、かつ恋について話すことはなかったこと。女は言葉を作るのに精一杯になり現実逃避と言わんばかりにワインをもう一本開けた。
「―――好きな、人ですか」
「ええ、好きな人です。いなければいないでいいんですが……でも私、参考にしたいので話せる範囲でこう、聞きたいですあなたのそういうことを!」
「恋愛、かぁ……」
空になったグラスに白いワインをまた注ぐ。そしてグラスの半分くらい飲んで液体を舌で転がしつつ思案した、が、何杯も飲んでいるからかふわふわと考えをまとめることは出来ず、そしてどんなことを喋ればいいのかということについても最低限のことしか考えることは出来なかった。
「……いますよ、好きな人。でも私が悩んでるのは貴方と同じようなことです。どうすれば印象を塗りつぶせるかとか、言ってしまえば風穴より惨い傷跡を付けたいという感じです」
「風穴、ですか……って誰に恋してるんですか!? まさかマスターじゃ」
「違いますね。秘密ですがそれは違いますね」
「そ、そうですよね! ってことはアーチャーの……」
「それ以上は云えませんねぇ」
「そうですかぁ……。てっきり銃使いが多いアーチャーかと思ったのですが……やっぱり秘密、なんですね」
「私が言えることではありませんが俗にいう、乙女の秘密というやつです」
ちらり、と時計を見る。時刻は午後十時四十五分となっていた。
「あ、コルデーさん。すみませんがこう、そろそろ先約の時間があるので今日はここでお開きに……」
「そういえば、そうでしたね。ではお開きにしましょう! また何かあれば一緒にお話ししましょうね。酒なしでの恋バナ、しましょう!」
飛び立つ鳥のようにコルデーと蒼は部屋を綺麗にして、コルデーは去っていく。じわりと体が酔いを醒まそうとする中、彼女はベッドの上でぼんやりと考えていた。
「……傷跡、か」
彼女は静かに時間が来るのを待つ。酔いが静かに醒める中、目を瞑り先ほどの談話を振り返った。
―――ああ、なんて羨ましいことか。
ギリシャの私の上から、カルデアの私を塗りつぶさんとするコルデーの在り方は、同じ恋する乙女である蒼からしてみれば眩しく、自分自身と似ているにもかかわらず積極的に動いていて、輝かしいものであった。愛という劇薬を服用したことが彼女をそうさせたのか、と蒼は考察する。
「いいなぁ。傷跡だなんて」
きっと、私にはできない。愛する人を傷つけるなんてことは出来そうにない。けれどもしてみたい。ぐるぐると彼女の中の黒と白がまわり、色がにじんでいく。自分自身の不甲斐なさと目を背け続けてきた泥があふれだしそうになって、口角が歪みだすがなんとか止める。
「……あと三十分、か」
ちらりと腕時計を見る。約束の時間まであとわずか。彼女は廊下の足音を聞きながら、ぺたぺたとシャワールームへと向かっていった。手には剃刀と三角定規を携えて。
◆◆◆
お湯の温度を下げて、勢いよくシャワーから水を出してみる。雨のように降り注ぎシャワールームをびしゃびしゃにする。その雨を彼女は、極地礼装のままで浴びた。
酔い覚ましでもなく、体を清めるためでもなくただ自分の体から体温を奪うだけの自傷行為。左腕に包帯はなく、傷の名残は残っている程度にまで癒えている。
「―――は」
思えば、私と彼が結ばれたのは雨の日だったなと回想する。傷跡を打ち明けて、受け入れられて、甘いひと時を過ごした彼女に満足感は与えられることはなく、むしろ逆で空虚と肥大する嫉妬心が再認識されただけだった。
「私は、悪い子でいちゃいけないんだと思います」
しとしとと濡れる中、彼女は安物の剃刀を取り出した。
「――――――」
息を止めて、刃を柔肌に食い込ませる。痛みは走らず血も出ることはない。
「そん、な―――」
自分自身で、罰を下せない。朝を奪うことが出来ない。その証拠に彼女の腕から血は出ることはなく、透明の液体に朱が混じることはなかったからだった。
「違う、私はただ―――自分自身に罰を下すだけなのに」
助けられたい、生きたい。そんな感情があってたまるか。そう言わんばかりに息を吐き、しゅ、と銀で茜を作った。傷は浅く、ただぷくりと珠がいくつもできただけ。
「やっぱり、いつも使ってるのがいいのかな」
剃刀を傍らに置いて今度はアクリルでできた三角定規を手にする。三十度の刃を同じく左腕に当て、力を入れて引いた。赤い色が瞬く間ににじみ出て、遅れて痛みがやってくる。
「これ、これだ」
何度も、何度も。赤い色が白い肌に滲んでいく。その赤も人工の雨で流されて排水溝へと流れていく。痛みと冷たさがまじりあい、だんだんと楽しくなってきたが次第に当たっている水の温度と同じくらい彼女の気持ちが冷めていく。
「――――あ、ああ―――」
結局、自分は卑怯者でいちゃいけない存在。ずっと北欧の残火に焦がれているだけの人。愛する人に自分を刻み付けるだけの度胸もなく、泥に縛られているだけの罪人。助けを求めようにもできなくて、それでももし、届くのならと彼女は水の音に掻き消えるくらいの声で呼んでみる。
「……めい、でえ」
一度目は小さくて、人口の雨の中に掻き消える。
「……メー、デー」
二度目は芯のある声で呼んでみた。それでもまだ水の音が強い。女は声を振り絞る。
「メーデー!」
三度目は、叫び声。
いつの間にか嗚咽が混じり、もう助からないと思いながらも発信する助けを求める信号。三度、その言葉を発したら全てがその窮地を脱するのにつかわれる故に虚偽申告は禁じられている言葉。戯れはなく、ただすべてがどうでもよくなってしまったのか、彼女はその信号を口に出してしまった。
「どうか、どうか……私を、私を」
赤が垂れ、床に滲む。自分をどうしてほしいかの言葉は詰まって出ることはない。ああ、と女は涙ぐむ。
「……私は、私は……そうだ。救われたくて、でも……私は救われない方がよくて……でも……」
ぼんやりと彼女は人工の雨の中にたたずむ。気づいたらまた、三角定規で自分を傷つけていた。先ほどより赤い血はまとまって出てきている。
「あ、あぅあ、あ―――」
どうせシャワーだ。涙も全て紛れてしまうから泣いているのが分からない。壊れたように蒼はただ口から言葉を流し続ける。
「せめて最期は救われたかったんです。でもずっと、私は貴方に焦がれているのに、くだらない嫉妬心で―――不相応な愛を、思いを勝手に抱いて、貴方はそれに答えただけかもしれないのに浮かれてごめんなさい。お詫びに、お詫びに私が―――」
死にますから。ただしその言葉が発せられることはなく、手元の三角定規が赤を作ることはなかった。
それもそのはず、既に約束の時間は超えていて、一人、男が後ろにいたからだった。
「―――メーデーを出しておきながら救援拒否だなんてとんだ矛盾塗れだな、マドモアゼル」
同じ雨に打たれるように、男は立っていた。彼女の顔を見ないよう後ろに立ち、そっと後ろから抱きしめている。しかし、彼女は無言のまま突っ立っていた。
「まあ、じっくり話を聞こうとしてやってきたのだが……まずはここから出て着替えるのが先決だなこれは」
男は腕をほどき、そっと彼女を方向転換させてシャワールームから出るように促す。彼女は促されるまま連行されるように、部屋から出た。
◆◆◆
救難信号は受信され、そこから先は救助へと入る。
ただし決してお忘れなく。夜明け前が一番暗いということを。
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