ル・ヴァンカー

 時計の長針と短針が頂点にて重なり合う。それと同時に一組の男女は絡み合い、弾けた。

 蒼は男の逞しい胸にだらりと弱弱しくしがみついた。ことが終わった後特有の力の抜けた腕と声で愛する男に呼びかける。
「なぽれおん、しゃん」
「どうした? かあいいかわいいオレのマ・シェリ」
 すう、と女は息を吸う。ナポレオンと呼ばれた男は大きな手でその息を吸う女の頭を愛でるように撫でた。きゅ、としがみ付く女の手に力が入る。
「煙草のにおいが、します」
「まぁ、よく吸ってるからなぁ。嫌だったかい?」
「嫌じゃないですしむしろ安心、しますけど……」
「……やっぱり苦手かぁ、すまん」
「いやそうじゃなくてですね、その……恥ずかしい、といいますか……」
 ふるふると女の声は震え、その先をいうのが憚れれると言わんばかりに唇を噛んだ。
「ああ、オレとこういったことをしたとバレるのが恥ずかしいんだろう?」
「……そうです」
「大丈夫だ、このカルデアの中じゃ煙草吸ってるサーヴァントはたくさんいるわけだし、それにそう簡単にバレることなんてないから安心しなって」
「……本当に?」
「本当だ」
 男は女の顔をあげさせる。女がおずおずとどこか落ち着かない様子で男を見るが、男はそれを気にせず女のすべすべとした額におまじないをかけるように自分の口づけを落とした。
「……っ」
「それならこのオレが可愛らしいメートルのためにちょっとしたおまじないをかけてやろう」
「おまじない、ですか?」
 そうだ、とナポレオンは言ってゆっくりと蒼を自分の体からはがす。自分の肌にまとわりついた細い腕に手をかけたらまるで駄々っ子のように女の手に力が入った。男はゆっくりと自分の指で女の柔い肌をなぞって、すれすれの刺激を与えてやる。そうしたら女は小さく漏れた声とともに自分の腕に入れている力を抜けさせた。未だ、と男はその女の腕に触れた手を掴み、優しくぐいと引き離した。
「やぁ……」
「すぐ戻るから待ってろ」
 男はてくてくとドアの近くまで歩み、霊衣を着てドアを開ける。女はただ何処かへ行く男を眺めるしかなかった。
「わ、わかりました……。すぐ戻ってきてくださいね?」
「D’accord, mon amour.」
 とびっきりの甘くて低い声と共にドアは閉ざされる。一人生まれたままの姿で残された女は布団の海にくるまるしかなかった。
 ふと、すうと息を吸ってみる。温もりと共に何処か爽やかで少し力強い香りと煙の匂いが混じったものが鼻へと飛び込んでいった。さっぱりとしているけど戦場を思わせるような香り。最初のころは少し眉をひそめたが、今となってはその煙の匂いが蒼をどこか安心させるようなものの一つになっていってしまっている。
「ナポレオンさんの、匂い……」
 ついさっきまで一緒にいた部屋。寝る直前まで愛を貪りあった時の名残。まだ彼がこのベッドの中にいるのではないかと思わせるくらいに、彼の残存物が寝台に残されている。
「……好き……」
 ぎゅうっと自分自身を抱きしめる。いつもより温かい布団、大人の男性特有の残り香に加えて爽やかでスパイシーな香り、何処か湿った匂い。全てが今の蒼にとっての安心させるための薬となる。もぞもぞと布団の中に残っている香りをまとうようにぐるぐると自分の体を回転させてみる。綿あめをひっかける割りばしのように残り香の海をもがくようにして泳いでみた。さらに彼の名残があふれ出た気がした。
「すき、だいすき、私だけが知ってる、貴方の名残―――」
 肺を幸せで満たす。瞼がゆっくりと重くなりそうになったがまだ愛する人が戻ってきてないため蒼はその瞼の重力に耐えねばならなかった。こくり、こくりと睡魔の手に落ちそうになるが天井の光に縋り付いてしがみ付く。
「早く、早く……」
 その呟きの声に応じたかのようにマイルームのドアが開く。身の詰まった肉体を軍服で覆った男が一つの瓶を携えて部屋に戻ってきた。女は布団で自身の身を包んだまま男の方を見る。
「ただいま、メートル」
 瓶を持ったまま女の額に軽く口づけを落とす。きゅ、という鳴き声を出した女はおそるおそる白い腕を布団から出した。男はその伸ばされた細い腕に自分の手を添えて、そっとその腕を下ろさせた。
「おかえりなさい、ナポレオンさん……」
「ほら、バレないおまじないに必要なものをとってきたぞ」
 す、とナポレオンは塔を思わせるような硝子瓶を取り出した。ラベルには青地に金の鷲、中には薄黄色の液体。そしてフランス語で『征服者』を意味する言葉が書かれてあった。
「これをかければ、バレることはないさ」
 男は女の右腕の内側にある硝子瓶の上にある金属製のボタンを押した。内部の液体がボタンに内蔵されてある穴から霧状になり、女の腕に振りかけられる。すう、と女は自分の腕を鼻の方へ持ち上げて嗅いでみた。
「いい香り……」
「だろう? 爽やかで結構オレも気に入ってるんだこれが」
 くるりと男は背を向ける。背中越しに快男児はつづけた。
「……これをかけて一人で眠れば誤魔化せるだろう。早くパジャマを着てゆっくり寝な」
「あ、そういえば、そうでしたね」
 女は布団から出てしまってあった寝間着に手早く着替えて布団へと入る。不自然に吊りあがってしまった口元を布団で隠して男の後姿を見上げていた。
「おやすみなさい、ナポレオンさん」
「おやすみ、オレの蒼」
 すう、と男の姿が金色の粒子になって消えていく。女はゆっくりと瞼を閉じようとしたがふと、息をしたところであることに気づいてしまった。香水の香りはとても覚えがある。爽やかでだんだん力強い香りに変わっていくそれ、鷲があしらわれたラベル。確か、あの香水は―――
「あ、もしかして、マーキング……?」
 気づいたころには既に遅く、体温で拡散された香りは既に女の体を纏っている。煙草の匂いは薄れたが、今度は彼が愛用していたとされる香りを纏っているという事実に蒼は気づいてしまった。
「う、うぅ……」
 愛する男は霊体化しているにも関わらずまだ一緒に床を共にしているようで、彼に包まれているという錯覚すら覚えてしまう。今日はもう眠れそうにない。ただ女は布団の中でうずくまるしかなかった。

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