「虹を見たい」
それは深夜に二人きりでマイルームにいるときの出来事だった。蒼はぽつりとなんともないような拍子でつぶやいた。
「―――パルドン? 虹だって……?」
「いや、なんでもないです。忘れてください」
「いやいやいや、愛する人の一言一句はそりゃ気になるさ」
「だ、大丈夫ですよアーチャー……」
「ナポレオン、な?」
ほら、とたしなめるようにナポレオンは蒼にいう。大きな右手が女の頬に触れて、口角に親指があたった。あ、と声を漏らしたあと男のもう片方の手が女の右頬に添えられた。
「で、虹がどうした? メートル……いやマドモアゼル」
「あ、その、えーと……」
じい、と黒い瞳がナポレオンの青い瞳と重なり合う。ぱくぱくと蒼は口を開閉させながらも次にいう言葉を脳内で練っていた。
「よく聞こえなかったからなぁ。ほらきちんと、オマエさんの、鈴のような声できちんと言ってくれ。聞きたいんだ、蒼の言葉を蒼自身の声で」
な? とダメ押しで男は慈しむような笑顔で言う。ああ、と女は短くいった後黒い眼を伏せて数秒、じっとしたのち目を開いて喉から声を絞り出した。
「虹が、見たいです……」
「なるほどなぁ」
うーむ、とナポレオンは女の頬に手を添えたまま唸り、柔い頬をむにむにといじる。あー、と女は声にならない声を鳴らしてただ男のなすが儘にされていた。
「まぁオマエさんが望むのなら虹をご覧にいれるが……言うのを躊躇うということは何かしら思うところがあるのかい?」
「な、ないでふ……あ、あっ、ないでふけんど……とくべつにいうことあればぁぁ……」
「……あれば?」
す、と男は手を放す。女は目線を少しだけ逸らした後ゆっくりと言葉にした。
「……ないとわかっていますが消えない虹が、見たいのです」
「ああ、そういうことか」
ナポレオンは蒼の細い手を取り、ぎゅっと手を握る。女は握られた手と男の顔を交互に見て目を白黒させた。
「なら、見に行こう」
「――――――はい?」
刹那、その場が膠着した。
ほんの少しだけ蒼の声が上ずり、不自然に口角を上げたまま男をじいっと見つめる。それをものともせずにナポレオンはしゃべり続けた。
「消えない虹だろう? 雨の後にかかる虹ではなく、ずっと残る虹がお望みなら一緒に見に行こうじゃないか」
「いや、その、あの、消えない虹なんてないしどうこうしてもすぐ消えるものなのに……」
「オレを誰だと思っているんだい? 不可能なんてものがない男が目の前にいるじゃないか」
「であればどうやって……」
「まぁ、じきにわかるさ」
ぐい、と男は女の手を引いて立ち上がる。蒼の足は引っ張られた調子によろけたがすぐ女の体は男の胸の中に納まったため大事にはならなかった。
「一つずつ、一つずつ巡るという形になるがいいかい?」
「……一つずつ?」
「ああ、メートルの故郷じゃ虹は七色だろう? それにオマエさんのことだ。一瞬の喜びよりずっと残るものを希望するだろうから今日のようなおねだりをすると思っていたのさ」
「そりゃ、まぁ……確実なものは好きですが……そこまで私は……」
「わがままじゃないし、我儘ではいられない、かい?」
「……はい」
観念したかのように女はうなだれる。しかし男はそれを気にも留めず女を支えている左腕とは反対の腕を上げ、髪をひと房つまんだ後それに口づけを落とした。
「言いたいことも言えずに自分の欲を抑え込んじまう蒼だからこそ、オマエさんの口から出る我儘を叶えたくなっちまうんだ」
あ、と女は息をのむ。ゆっくりと女は自分が最後にいった我儘はいつだったか思い出そうとした、がその答えは口から出ることはなかった。
「だめです、きっと我儘が叶えられてしまったら際限がなくなってしまいます」
「大丈夫さ一つくらい、どうってことないさ」
髪の毛が男の手から離れる。そしてなだめるようにして女の後頭部を優しくなでた。
「一つじゃなくて、七つじゃないですか」
「七つで一つだ。で、どうする? 見に行くかいかないか」
「……行きます、行きたいです」
「じゃあ行こうか。七色を一日ずつ追っていくことで消えない虹を見よう」
男の体の中から女の体が離される。そして蒼はナポレオンに案内されるがままに食堂へと歩んでいった。
◆◆◆
「今日は赤い果物スペシャルだ、好きなだけ食べるといい」
「たーくさんあるからね? じゃんじゃん食べるといいさ」
「たんと食べるがいいぞ二人、赤はハートの色にして炎の色だ。取り込んでいくがいい!」
二人が隅の席に着くや否やエミヤ、ブーディカ、タマモキャットの三人があらゆる赤い果物を使ったデザート類を差し出してきた。紅玉石のように輝くそれはホイップクリームやチョコレート、緑のミントやアイスクリームなどで飾り立てられていた。仏国語で「完璧」を表すパフェにはイチゴ、赤いゼリーの上にはサクランボ、球体にくりぬかれたスイカの果肉を入れた炭酸フロートなどが二人の眼前にて燦然とおかれている。
「そしてキャットたちはクールに去るぜ! ほらエミヤもブーディカも……」
「それもそうだな、楽しんでもらえたら幸いだ」
「そーだねぇ、味については後で感想頂戴ね?」
三人が背を向けてカウンター越しへと消えていく。幸いキッチン組と利用者であるナポレオンと蒼以外いないことは幸いであるが、それでも蒼はただただ目の前の甘いものたちに圧倒されていた。
「……わぁ、すごい」
「まぁ、これは本当に偶然だ。いつか頼まれる云々じゃなくて本当に今日だったんだ」
「本当に? もし今日のようなものがなかったら?」
「その時はまぁ、赤い果物を頼み込んで一緒に食べようとしたさ」
さ、食べようぜとナポレオンは彼女に促す。じゃあ、と女は長いスプーンを手に取ってイチゴのパフェのイチゴの果実部分を掬い取って口に入れた。柔い唇が動き、果肉がつぶされる。果汁が咥内に広がり甘酸っぱい香りが鼻腔に抜けた。
「おいしい……」
ごくり、と果肉と果汁を喉に入れてつぶやいた。ちらりと女はカウンターのほうを見たがそこにコックはいない。
「だろう? さすがカルデアが誇るコックたちだな、何度味わってもこれは本当に勲章ものだ」
「レジオンドヌールでしたっけ? 確か現代じゃ文化人にも与えられるような……」
「らしいな」
そして甘いものたちは二人によって飲まれていく。きれいに、作り手たちに賛美を惜しまず口にしながら二人は深夜のあまいものを楽しんだ。
◆◆◆
「まぁ、喜んでもらえてよかったよ」
「ああ、ちょうど新メニュー用のあれこれが余っていて助かったな。おおむねのサーヴァント並びにスタッフには喜んで貰えたが、やはりこういう光景は……」
「何度味わってもいいものだワン!」
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