橙の星屑

蒼の手記より抜粋

 どうやら彼は本気らしい。消えない虹を見せようとしていろいろ策をめぐらせているそうだ。消えない虹なんてあるはずないというのに、見たいと言ったばかりに彼は本気になって見せようとしている。一日ずつと言っているが昨日のデザートの件を鑑みるにあれはすべて赤だった。となれば次は橙色だろう。私と一緒に七色になぞらえたものをなぞることで「消えない虹」を作ろうとしている。確かに記憶の中にあるのであればたとえ時間がたとうとも消えることはない。その発想が浮かばなかった私が少しだけ、悔しい。
 ただ、どうか気づかないことを祈るしかない。私がそう願った理由を。いや、正確には指摘されないことを祈るしかない。彼はきっと気づいているかもしれないから。ずっと患っている黒い感情に。
(抜粋終わり)

◆◆◆

「―――で、どうするんだい?」
「先にあなたがAポイントに向かってください。後で私が追いつきます」
 あるシミュレーターにて、ナポレオンと蒼は市街地での戦闘を前提とした訓練をしていた。いつ本来のマスターが倒れるかわからないため二人は定期的な訓練を欠かすことはなく、こうしてあらゆるシチュエーションに備えていた。今回の市街地はかつて本来のマスターが戦った新宿――とはいっても壁はない――を模したものであり、高層ビルがまるでゴシック建築のごとくそびえたっている。あらかたの敵は一掃できたがその名残――例えば敵の銃弾によって散乱した窓ガラス、サーヴァントの大砲によって穿たれた穴のある道路などがあちらこちらにある。その中で二人はあるビルの屋上にて夜の風に吹かれていた。生暖かい風が二人の髪を吹かせている。
「いや確かに魔力供給を切った状態で一日程度の現界はできるが……いくら何でもメートルが独りぼっちじゃ危ないだろう?」
「一人でどうにかしないとダメな場合もあるじゃないですか」
「ダメだ、ほら一緒にこい」
 がし、とナポレオンは蒼の腰を大砲の持ってない左手でつかみ樽のように抱え込む。だらりと足が延ばされたまま女はただ何も言わず彼に抱え込まれた状態でビルからビルへと移動させられた。

◆◆◆

「―――何度やってもこんなの慣れませんよ……」
 ポイントAのビルの屋上にて解放された蒼は肩を上下しつつうなだれる。アーラシュフライトをしたマスターはどれだけ背筋が凍る思いをしたのだろうか等と思いをはせながら飛び移ってきたビルたちを振り返った。
「まあ、そうだよなぁ。でもまだ一緒に移動したほうがいいだろう? いくら目標すべて撃破したとはいえ取りこぼしもあるかもしれんし」
「それは……そうですが、その、重くなかったですか? あなたの場合大砲もありますし私なんてお世辞にも」
「どうってことねぇよ」
 ばんばんと男は女の背をたたく。痛みで目が覚めたのか女の顔に血の気が戻った。ゆっくりと女の体は起き上がり、彼のほうに向きなおる。
「ありがとうございます、アーチャー……あ」
「大丈夫だ、今はトレーニング中だろう? 真名ばれちゃ対策練られて終わるからなぁ、それでいい」
「あなたの弱点……もしかして雪とか海とか?」
「さぁどうだろうな? 大奥の一件だとカーマ相手に概念的な諸々で倒したと聞くがそれ絡みかもしれんし、その弱点を乗り越えるかもしれん」
「どっちも十分有り得そうです」
「たしかにそうだな!」
 はははと豪快な笑い声が摩天楼に響き渡る。女はその顔を見てほんの少しだけ微笑んだ。
「ところで、貴方は本当によく笑うんですね」
「それはどういう……」
「ただの呟きです、忘れてください」
「それはできんな」
「えー」
 蒼は口を尖らせる。ぷいと女は彼に背を向けて手すりの方に向かって歩いて、その手すりにもたれかかった。
「ただ、心のままに笑えるのが少しだけ羨ましいだけです」
 彼に聞こえないように、自分の心の内を吐露する。未だ自分は彼に向かって思ったことを打ち明けることができないという現実に女は呆れ果てた。女の視線の先には星のかけらをすべて散りばめたような輝きで埋め尽くされている。その光は色とりどりだが部屋の中の光が漏れているからかそのほとんどが橙の色だった。
「心のままに、ねぇ」
 かつかつとブーツを鳴らしてナポレオンは蒼の右隣に立つ。女の方を向いて、語りかけるように喋り続ける。
「オマエさんはそれが苦手ということは十分わかってるさ。そのための日記だろう?」
「ええ、その交換日記でどうにか私の精神を保っているようなものですが……でもやっぱりこうして口で言ったほうがいいんじゃないかと思うときもあったりします」
「まぁゆっくり大丈夫なようにしていけばいいさ」
 ほらほら、と男は女の背を撫でる。先程の豪快な音はなく、ただ慈しむような手付きで撫でた。
「そう、ですよね」
「ウィ」
「思い上がって、いいんですよね。貴方の婚約者は私だって」
「事実だ」
「だからこう、貴方に思いの丈をぶつけても罪ではないんですよね」
「それのどこが罪になるんだい?」
「え、罪じゃないんですか?」
「……なぁメートル、本当に自分の思ったことを口にするのは悪いことだと思っているのかい?」
「はい」
 よどみない返事。ナポレオンは改めて彼女の抱えているものの重さに後頭部を狙撃されたような衝撃を受けた。男はおそるおそる彼女に踏み込むべく質問を続ける。
「じゃあ、あの時わがままとか云々いってたのは本当に悪いことだと思ってのことかい?」
「はい、だって私なんて……罪人ですから。罪人はわがまま言っちゃだめなんです」
「罪人って……どんな罪を抱えているというんだい?」
「ざっくり言ってしまうと七つの大罪です」
 暴食、傲慢、怠惰、嫉妬、色欲、憤怒、強欲。或る教えにて定められた罪たち。女はそれをずっと抱えていると懺悔した。それが普通であるかのよう蒼はいう。男はそれでもめげずに提案を続けた。
「それは、きっと冤罪かもしれないし清められる罪かもしれない。ほら神曲で言うだろう? 罪は煉獄にて清められるってな」
「そうだと、いいんですけどね」
 二人は何も言わずに橙の星屑を見下ろす。ただナポレオンは彼女の横顔をちらりと見つつどうすれば彼女を救えるのかを思案し続けていた。

 ―――罪人がわがまま言うなという決まりなんてどこにもないんだがなぁ。

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