セイシュンヒコウ

青春飛行/

 

「あー、メートル起きてくれ、朝だぞ。朝だ」

 ぴりりとする冬の朝の中、ゆさゆさと体をゆすぶられる感覚がする。どうやら私はまだ夢の中にいるらしい。信じられるかもしれない男の声が聞こえてくるのだから。

「学校、行かないとだめなんだろう? なら行った方がいいさ」

 学校という名の地獄が聞こえてくる。行きたくはないけど下手すれば将来にかかわるので行くしかないのだろう。そもそも、楽しみがあるかどうかすら不明だが。

「学校行きたくないのなら、オレが霊体化して一緒に着いていくが……どうだい?」

 それなら非常にありがたい。聖杯戦争中であるのならサーヴァントと出来るだけ一緒にいたいし、もし学校の中にマスターがいるのならきちんと対応できるようになる。それに……好きな人と一緒にいられるのなら、本望だ。私はしぶしぶ体を布団の海から脱出させて手早く身支度を済ませた。

「おはよう、オレのメートル」

「……おはよう、アーチャー」

「なんだ、オレのことを真名で呼んでいいんだぜ? ほら」

「だめです、貴方世界中で有名ですし……いつだれかに聞かれたら対策立てられてしまうのが関の山ですよ。貴方、世界史の教科書から漫画の伝記の常連さんですし……」

「あー……、それもそうだな、すまん」

 お詫び代わりに彼が私の手の平をとり、口づけを落としてきた。すこしだけくすぐったくて、まるで童話のお姫様になったみたい。

「……アーチャー、その、その口づけは……」

「ダメだったかい?」

「ううん、ダメじゃない。こういう扱いをされるのに慣れてないだけだから……」

「そっか、じゃあ口づけをたくさんしよう。手のひらだけでなくその可愛らしい唇にな? オレのメートル……いや、マドモアゼル……いや、婚約者?」

 耳元でダメ押しと言わんばかりに彼が囁いたあと、触れるだけの口づけをされた。愛の言葉を飲み込ませるように深く、強くされている。まるで親鳥がひな鳥に口移しで食べ物をあげているみたいだ。甘ったるくて、ずっとこうしていたい。でもずっとこうしちゃいられない。こんなことを朝からやっていたらもう、授業どころではなさそうだ。

 とりあえず少しだけ名残惜しいが唇を離す。唾液の糸が重力にそって垂れて、切れた。

「もう、いかないと」

「そうだな、すまんすまん。じゃあ行くか、メートル」

 彼の言葉で目が覚める。時計を見たらいつも家を出ている時間だった。大急ぎでサンドウィッチをスクールバッグに放り込み、自転車に跨りヘルメットをつけてペダルを漕ぎだした。

 

 

「ところでメートル、どうしてオレを学校に連れて行こうとしなかったんだい?」

 高校への道中、彼が霊体化した状態で私に念話を飛ばしてくる。理由をつけて私は彼に学校には同行させず、この町の一番高いところから見張りなどをさせていた。幸いクラススキルの単独行動で一日はパスなしで行動できる……が、マスターが死んでしまったら元も子もない。故に彼が私の学校についていこうとするのだろう。万が一マスターが学校の中にいて、そして最悪の事態が起きてしまったらそこで終わりなのだ。

「ああ、貴方には単独行動ありますからそれで見張りしてもらっているからそれだ大丈夫かなーと……」

「それはわかるが……もっと別の理由があるんじゃないか?」

「別の理由?」

「ああ、見られたくないものがあるんだろう?」

 ――見られたくないもの。それを聞いたとたん思わずブレーキをかけようとしたが車が走っている中でそれは危険である故になんとか自制した。

「ありませんよ、何も――見られたくないものなんてあるわけないじゃないですかぁ!」

「それならいいんだが……まあいい。それでどうして今日はいいと思ったんだい?」

「気まぐれ。あとマスターがいるかもしれないし念のためというかそういう感じー!」

「なるほどなぁ」

 アニメで見た自転車競技のスプリンターのようにペダルをこぐ。今日の学校に戦慄しながらも私はまっすぐ学校にたどり着いた。そして私は、誰にもあいさつされずに、余所余所しい目線といつも通りの陰口を聞きながら教室へと入っていった。からかいの対象にされないように涙を堪えながら。

 

 

「へぇ、メートルの学校はこんな感じなのか」

「まあ、うん」

 鉄筋コンクリートで作られた牢獄のような学校にて、朝の準備ならびに朝の学習時間に幸いなことに間に合った私はかりかりと世界史のドリルを解きながら彼の問いに念話で答え続けていた。ふむふむとうなる声を聞きながら私は先人たちのしてきたことに向き合っている。手がかじかむ中、懸命にドリルの問に答える最中に背後からアーチャーの何とも言えないような声が念話で少しだけ聞こえてきたが気にしないふりをした。だが、彼の話が私の学校の話題に移ってからは気にせずにはいられない。故に念話で返すことにした。

「なんというか……結構無機質なんだな。その中に制服を着た高校生たちが喋りながら行ったり来たりしている。現代はだいたいこうなのかい?」

「多分、ね。そうじゃないところもあったりするけどだいたいこうかもしれないです」

「なるほど……な。それでメートルは他に喋る人がいないのかい?」

「は?」

 ぱき、とシャープペンシルの芯が折れる。自分の何かにひびが入ったような感じがした。

「どういう、意味ですか?」

「あー……すまん、聞いちゃダメだったか……、ああ、だめだな。うん」

「大丈夫です、気にしてません。それでどうしてあのようなことを聞こうとしたのですか?」

 さらさらかつかつとシャープペンシルの音が響いている。余計に彼の言葉がうるさく聞こえている。そのたびに、私の心臓の音が痛みに気づいてくれと言わんばかりにどくどくなっている。

「ああ、いやあその……ここに来るまでの間、同じ制服を着た人たちと一言も言葉を交わしていなかったからな。それに……いいのかい? オマエさんの悪口言ってたようだが……」

「よくあることですよ、きっと」

 きっぱりと声に出さず、念話で明確に事実を伝える。環境が変わるたびに友達が作れないという事実を自分で認めてしまうなんて本当に自分自身はどうにかしてるのかもしれない。事実として私は何かしら交友スキルを磨き上げようとしても、いわゆる世間一般の話題にすらついて行くことはできないらしい。そしてなにより――人というものは気まぐれで、気晴らしに小さな世界を安定させるための生贄を捧げるということもある。その役割が私であるというだけだ。小学校の時代からなぜかその役割が回ってくるようで最初の頃は必死に抵抗はしていたが、周りの反応を伺うにそれは無駄なことだということを知るには時間がかからなかった。教師を名乗る大人たちも見て見ぬふりをしているか、まったく気づいていなかったらしい。

「ええ、よくあることです」

 傷口を強引に縫い合わせるように言葉を念話で紡ぐ。アーチャーは何か唸ったように考え込んだ後、「無理はするな」とだけ言ってそれ以降黙り込んだ。

 ―――こんな真実、バレてしまったら幻滅されるでしょうね。好きな人に余計な心配はかけたくないもの。

 なんてのんきなことを考えつつ私は黙々と世界史のドリルをチャイムのなるときまでやり続けていた。

 

 

/逝春避航

 

 いつ何時もマスターは敵マスターについて気を配らねばならない。私はぼんやりと校則違反のウォータープルーフのファンデーションで覆った右手を見る。せめてもの隠蔽であるが、他のマスターもこれをしているかどうかすらわからない。まるで霧の中を歩いているようだった。そして誰も私という存在を認識しない異常にしてごく普通の光景。二人組で誰か一人だけあぶれても誰も気にせず、こそこそ私を見て陰口叩いていることすら日常だ。傷口から血は流れている気がするが痛みはない。もしかしたらその痛みすら麻痺しているかもしれないが、今となってはどうでもいい。

 数少ない休み時間を利用して学校内を見回ってもまったくわからない。今日もまた閉校時間まで残ることにした。向こうのマスターが帰宅部だったらどうしようもないが今はただ見回りにかけるしかなさそうだ。あらかじめ放っておいた使い魔によれば既にこの町のマスター達は全員サーヴァントを召喚したようで、真っ先に脱落したのはバーサーカーのマスターらしい。アーチャーには既に街中の索敵を無理やりお願いして私は学校内を巡ったが、やはりだめだった。私はそのままアーチャーがいると言っていた場所に駆けつけて夜の街を探し回ることにした。

 

 一度家に帰ってから学校の制服から普段着に着替え、持てるだけの礼装を身に着ける。手の甲がメッシュ地になっている指空き手袋を着用し、クラスのグループメッセの更新がないことにがっかりしつつ現在地から目的地までの道のりをスマートフォンで調べ、案内をもとに一気に進みだす。人が、明かりが、賑わいが切り替わり着いた先はこの街の中心部にあるタワーの屋上だった。

「―――あー、ちゃー」

「呼んだかい?」

 光の海を眺めつつぽつりと彼のことをクラス名で呼ぶ。背後から心地いい低音が聞こえてきた。いつ何時聞かれているかわからないからこそのクラス名。朝の時と同じように真名で呼ぶことを求めない限り流石司令官というべきか、私は幸運にも呼ぶことに成功したサーヴァントの方をちらりと見つつ切り裂くような冷たい風に当たりつつ語り続ける。

「呼んだ、呼びましたよ。こっちの巡回は全くダメだった。怪しい人すら見つけることすらできなかった」

「そっか。こっちもめぼしいものは見つからなかったな。メートルがこの前言っていた情報から鑑みるにバーサーカーを撃破した影響からか余程籠城したがるメートルがいると見るが……」

「ありがとうございます、やっぱり今日はこのまま帰った方がいいのかもしれませんね、アーチャー」

「そうだな……ところでメートル、ちと気になったことがあるのだがいいかい?」

「別に、大丈夫ですよ」

 ごうごうと風の音がうるさくなる。背後には世界史の資料集で見開き一ページで取り上げられるような男の名を名乗ったサーヴァントがいる。こんな不思議なことがあるものかと私はすこしだけ浮ついたような心地に浸りながら彼の問いかけを待っていた。

「どうしてメートルは、こんなにも色々と我慢しているんだい?」

 瞬間、私の全てが瞬時に凍てついた。思ってもいないことを指摘されたからだろうか? 否、自覚していないことを暴かれたからだろうか? 否、きっと違う。我慢なんてしていない。我慢してるはずがないのだ。集団で元からいない人扱いされようとも、心にもないことを言われようともそれは日常だから仕方ないだけだ。

「……アーチャー、どうしてそんな質問を?」

「メートルの朝の様子があまりにも辛そうだったからだといったら?」

「別に、いつものことですよ。何かしらのアクションをするメンタルの余力は元からありませんし」

「なあ、メートル」

 そう言ってアーチャーは私の手をすこし強引に引っ張り、彼と向き合うように私の体の向きを回転させた。きちんと着こんだ軍服に黄昏時でも輝いている青い瞳が私の視界に入ったと思えば逞しい腕が私の体を取り込むようにして引き寄せられ、そのまま彼の体に身を預けるような体勢にされる。とくんとくんと彼の心臓の音が一定のリズムで刻まれていて、どこか暖かい。

「本当は、つらいんだろう?」

 傷口をなぞるような声が聞こえてくる。振り払いたくなるけど何故かその言葉を受け止めたくてじっと黙ることにした。それでも何故かかさぶたから血が滲んできたような気がした。

「辛くない、です」

 自分の声がかなり震えている。多分私は意地を張っているのかもしれないが、そんなことはあり得ない。

「あることないこと言われるのは――よくある日常ですし、慣れっこです」

 ぽたり、ぽたりと自分の目から何かが零れ落ちている。やけに冷たい。今日は雨も雪も降っていないはずなのになぜだろう。

「ですから――私がいじめられていることくらい……なんてこ、と、あり、ません」

「なんてこと、ないだろう? オマエさんはこんなにも泣いているじゃないか」

 太い指が私の目もとをなぞっている。指先がとても暖かくてその温もりに身をゆだねてしまいそうだった。

「だめ、やめ……」

「こらえなくていい、少なくともオレは味方だから助けを遠慮なく……」

「いい、今は大丈夫だから」

 その温もりにずぶずぶにつかってしまったら多分私はだめになる。本当はその優しさに甘えていたいが今はその時ではないことくらい分かっている。だから私は自分の体を抱きしめている太い腕を優しく払いのけて、無理やり彼を遠ざけた。彼の胸のあたりにシミが出来てしまっている。

「私は――大丈夫です」

 目元をぬぐい、まるで何もなかったかのようにきっぱりと私は言う。アーチャーはほんの少しだけ名残惜しそうに微笑んだ。

「辛くなったら、オレの助けが必要ならいつでも言ってくれ。マドモアゼル」   

「ありがとう。アーチャー。じゃあ……いつもの砲撃ポイントにいってください」

「D’ accord」

 そう彼が応答した後、瞬時に彼はここから少し離れたこの町で一番高いビルの屋上へと移動する。身の丈より大きな大砲を片手で持ち、ジャケットの裾をヒーローのマントのように傍目かせて夕日の名残が少しだけ残っている方向へと飛んで行った。

「―――あー、ちゃー」

 ふと言葉がこぼれた。この聖杯戦争が終わるまでの短い間の相棒にして、私の弓となる男。そして――地獄としか思えない日常に垂らされた一縷の糸。その手が、その言葉一つ一つが甘くて暖かくてずっとそれに浸っていたくなるけど私の居場所はここじゃない気がしてしまう。

「どうすれば、いいんだろう」

 夕日の名残が消え、街中の光がぽつぽつと表れ始める。なんてことないはずの光景が何故か、うらめしい。いっそここから降りて光の海を泳いでしまおうかと思った時だった。

「やぁ、元気かい?」

 金属の階段の音とともに能天気な声色が私の背後からやってきた。振り返ると私服姿の同級生がへらへらとした顔で私に手を振っている。

「……あなたは」

「やぁ、ちょっとふらーっとここ行きたいなぁと思ったらまさか君がいるだなんてびっくりだよ」

 せっかくだし何か話そうか、と持ち出されたのでとりあえずその同級生の話題に相槌を打つことにした。学校以外で、しかも同級生と話すことは一度もなかったので心が躍りださんとする勢いで私は彼女の話を聞いていた。クラス内の恋の話、先生の話、授業の話。夢だったことが何故かかなっている。その過程で同級生はなんてことのないような調子でこういった。

「それでさぁ、どうして君は他の人と話したりしないんだい? こんなにきちんと人の話を聞くのにさぁ……どうして?」

 どうやらこの同級生は知らないらしい。私が学校で、同級生の間でどういう扱いを受けているのかを。だから私はこの機会なので少しだけ打ち明けることにした。 

「周りが避けるんですよね。どうもはぶられているらしくて」

「えーもったいない。君という人がはぶられているなんておかしいよー」

 ぶーぶーと同級生が口をとがらせる。私の身の上に異議を言う人はアーチャー以外だと初めてだ。その心に感謝しながら彼女の話を聞いていると何か思い出したのか彼女はにこにことしながら言葉を紡ぎ始めた。

「ああ、実はね、その君をはぶいている人というかグループの正体を知ってるよ。知りたい?」

 ―――なんて幸運。私のことをいない人扱いしている集団のトップを知ることができるなんて。まさに藁にも縋るような思いだ。

「う、うん。知りたい、です」

 やや食い気味に私は彼女の提案を呑む。トップを知ることができるのなら対処のしようがある。何を代価にしようとも私はその情報を早く知りたかった。この狂気の沙汰を指示している人がいるのならば、あとは私がどうにかするだけだ。

「じゃあ、ちょっとここの柵に近づいてくれ」

「う、うん」

 私は彼女に促されるまま柵にもたれかかった。

「じゃあ、いうね」

 同級生の手が伸びる。このまま引き寄せられて、こっそり名前を告げられるのだろうか? そう思った時だった。

「――――え」

 とん、と軽い音とともに風が私の体を包む感触がした。

「ごめん、それ私なんだ。なんというか、暇だったしそれに君はここで死んでくれ。だってマスターなんでしょ?」

 す、と彼女は右手を掲げている。そこには蛇を思わせるような令呪があった。まったく、気づかなかった。彼女がボスで、マスターであったということに。

「誰と契約してるのか知らないけどあんたのようなのろまを助けてくれるようなサーヴァントだったらいいね。まああんたの場合愛想尽かされているかぁ。いくら優男であろうとも無理でしょ」

 見られていた。あの会話がみられていた。あの会話は演技だったのか? 結局私には味方なんて、いないのだろう。全てを手放しつつ私はゆっくりと重力に身をゆだねていっていった。視界には憎い同級生が映っている。

 

じゃあね、誰かさんさっさと死ね、鈍感女

 

 落ちる、冷たい風が私の身を切り裂くように勢いよく吹き付けている。

 落ちていく、見上げた先には私を突き落とした張本人がいる。

 堕ちていく、まるでそれは――「神話に出てくるような赤子落としアステュアナクス」のように。

 もうここまでらしい、私に味方はだれもいなくてただ、つぶれたトマトのようになるのを待つだけらしい。きちんと着地する術すら何故か思い出せない。

 ゆっくりと目を瞑ってみる。割とタワーの高さはあったらしく一瞬が長い時間のように思えてしまった。無駄だとわかっているのに手を伸ばす。この手が、誰かの手に包まれていたらなぁという他愛もないことを考えていたらなぜか傷が痛み始めた。

「あー、ちゃー」

 未だに三角を保っている令呪が手の甲にある。私とアーチャーを結び付けている証が何故か光り輝いているように見えた。

 ―――オレは、オマエさんのサーヴァントであり婚約者でもある。それにオレはメートルの助けてほしいという声に応じるさ

 ああ、なんて――奇跡。たとえそれが泡沫であろうとも、蜘蛛の糸であろうとも目の前に好きな人の手があったらつい、その手を取りたくなるじゃないか。

「お願い」

 自然と目から涙があふれてきた。どうやら私の傷はかなり深かったらしい。

「令呪をもって、奉る―――」

 証がまるでライトのように輝き始めた。命じる相手は仮にも「生前皇帝であったサーヴァントナポレオン」だ。であれば奉るといった方がいいだろう。

「不可能なんてないというのなら―――」

 ―――私を、助けて。

 そう告げた途端、光が私の瞼を通り越した気がした。その光は七色に輝いていて「月夜に燦然と輝く虹アルカンシエル」のよう。ゆっくり、恐る恐ると瞼を開く。そこに彼はいた。逞しい体は軍服に覆われて、焔を思わせるようなオールバックの赤と茶が混ざったような髪の毛、青い空のような瞳。片手には身の丈を超えるような可変式の大砲。特徴的な二角帽と赤い布はまるで――教科書でよく見るような男だった。白馬の英雄が、ナポレオンが、今、私を片手で抱きかかえている。

「呼んだかい? ああ――呼んだよな」

 不敵な声で彼はそう言った。もう恐れるものはないと私を安心させるかのように。彼をこう呼ぶのは違うのかもしれないが、絵本に出てくる王子様のようだった。もう心配することはないと言わんばかりの声、先ほどまで高速で落下していた私の体を受け止めている逞しい左腕。直接つながった温もりが私の落ち着きを取り戻したからか重力操作が出来るようになったらしい。

「アー、チャー。アーチャー……」

 落ちていく速度がだんだんとゆっくりになる。安全に、つぶれたトマトにならないよう私はおまじないのようにアーチャーを呼びながら足先に意識を集中させて、その後彼に支えられてゆっくりと着地した。

「ああ、オマエさんのアーチャーはここにいる。それで――どうかしたのかい?」

 なだめるように彼は私の手を握る。一角だけ欠けてしまった令呪は大きくてごつごつとした手に包まれている。

「あー、ちゃー……あーちゃー……」

 声が、出ない。きっと今の私は不細工だろう。こんなにも涙があふれてしまっているのだから。ぽたぽた、ぼたぼたと地面に私の涙が零れ落ちている。泣き止もうと心がけても何故か止まらない。本来だったら自分が見つけるべきだった魔術師を見つけることができずにこの有様だ。

「落ち着いて、深呼吸をするんだ。できるか?」

「あ、あぅ……うん」

 えぐえぐいっている私の喉を強引に酸素の通り道にする。目いっぱい酸素を肺に取り込んで、二酸化炭素を口から吐き出すことはなんとかできた。それをみて彼は「よし」とだけいった。

「メートル、何があったのか手短に聞かせてくれ」

 彼は私の方を見据え、いつもと変わらないような笑顔で問いかける。それだけですべて、色々なものが降りたような気がした。今なら先ほどあったことをきちんといえて、彼に助けを求めることができるのかもしれない。

 何せ彼は、私の願いを聞き届けると謳うのだから。

「他のマスターに、突き飛ばされた」

「成程ねぇ……」

 ほらほら、となだめるようにアーチャーは子供にするおまじないのように私の額に口づけを落とした。いつもだったらそれに戸惑って色々いっぱいいっぱいになるはずだけど今はただ、彼に感謝すべきだろう。私がすべきことは、彼の視線の先にあるということを。

「じゃあ、これからどうするんだい? メートル」

 余裕たっぷりの声が問いかける。彼が向いている方向に私は目を向けた。どうやらいつの間にか私を突き落とした敵が降りていたらしい。既に彼女の傍らにはサーヴァントと思しき影がいる。どっちみち逃げてもまた窮地に追い込まれることは必定。なにより――頼もしいサーヴァントがいるならば、私の好きな人がいるならば大丈夫な気がした。

「一緒に、一緒に戦ってくれますか? 私の……私の、愛しいアーチャー」

 声が、上ずったような気がした。私を助けてくれた人、私に口づけをしてくれた人、私にわずかな光をくれた人がいるならばもう何も怖くないはずなのに。きっと私はこの期に及んで浮かれてしまっているらしい。

D’ accord, mon amour了解した、オレの愛しい人」 

 その言葉とともに彼は一歩踏み出して勇猛果敢に敵のサーヴァントに仕掛けていく。既に空には満月が煌々と輝いていた。

 

 

星瞬灯行

 

「ありがとう、アーチャー」

 決着がついたのは、深夜になってからだった。最後はアーチャーがサーヴァントに止めをさし、それを察知したマスターは目の前で自殺してしまった。本当は自分でけりをつけたかったがこればかりは、マスターがそう決断してしまったのだから致し方ないのかもしれないのだろう。

 それにしても今日はとても長い一日だった。目の前には私のアーチャーが街中に出るような服をまとって私のことを見ていた。ふ、と気になって自分の手を見つめてみる。手は綺麗で、頭は冷静で、心はとても、冷たくなっている気がした。

「――――――」

 自分に悪いことをしていた人が目の前で死んだはずなのに、どう感じていいのかわからない。

 地獄から逃げ出したかったはずなのに、それを喜ぶのは違うような気がした。

 戦ってくれるかとアーチャーに持ち掛けて彼はそれをなしえたはずなのに、自分はきちんと蜘蛛の巣を作った人物を特定してそれに立ち向かうべきだったのではないかとぐるぐると頭の中で巡らせる。

「ねえ」

「……メートルがそう戸惑うのも無理はないさ。オレが言うのもなんだが目の前で人が死んで動揺してしまうのはまあ、当然のことだ」

 ああ、今私は動揺しているんだ。こんな時に動揺しちゃいけないはずなのに、動揺しているなんて魔術師としての私はどうかしているのだろう。泣き出していいのか、笑っていいのか、わからない。人としては当然のはずなのに。

「ねぇ、私はこういうとき、どうすればいいのですかね」

 一縷の望みをかけて、彼に問いかける。色々とわからなくなってきたから、彼にすがるように言ってみた。

「今日のことを、胸に刻めばいい。それはそれとして衝動のままに物事を判断するのはよくないから今日はもう……休め」

 優しく抱き寄せられて、子供にするようなおまじないの口づけが私の額に落とされる。暖かい温もりに安心したのか、気が抜けてしまったのか眠気が一気に私の体を浸食していった。

「あり、がとう……ナポレオンさん」

「いい夢を、オレの愛しい「婚約者フィアンセ」」

 そして私は彼におんぶされて夜の街を抜けていく。冬だったからか大きな背中が、逞しい腕と首がとても暖かかった。

 

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