「ところでナポレオン殿、蒼殿の調子はいかがですか?」
「ああ、蒼のことか。穏やかに過ごしているが……シェイクスピアがいうのならなにかあるのかい?」
カルデアのある書斎にて、シェイクスピアが今にも踊りださんとばかりの調子でナポレオンに「オセロしながらなんか話し合おうじゃないですか! 吾輩スランプですので」と持ちかけたためナポレオンはそれに応じて書斎へと足を踏み入れたのであった。コーヒーを片手に盤上の攻防戦を繰り広げ白黒の面積はほぼ同じ。いまだに四隅は誰のものでもない。その中でシェイクスピアは少々もったいぶってから彼にあるカルデア職員の話を持ち掛けたのであった。
「いえいえ、少し彼女はある怪物を御しているようですのでずっと傍にいるあなたに様子を聞こうかなぁと」
「――怪物? 彼女が? 蒼は動物とかその類好きじゃないと聞いているが」
「いえ、その実物ではなく例えですよ! 彼女は緑色の目をした怪物をずっと御しているのです!」
緑色の怪物。その言葉を聞いたナポレオンはぴくりと肩を震わせた。青い目を見開かせて目の前の劇作家を見据える。
「……なるほど、このゲームの誘いを持ち掛けた時点でこの話をすると決めていたのか、アンタは」
「ええ! 蒼殿から話を直接聞きたいと常々思っておりましたがどうもタイミングが合わなくて……それで身近にいるあなたに聞こうとした次第です」
「その話を聞いてどうするつもりだ?」
「いやぁその後はいわゆる企業秘密というものでございます、あ、吾輩はあくまで社長ではなく劇作家、あわよくば主役兼監督兼脚本家になろうかなと。最近はそういうものが増えていると聞きますし」
「すまんが話すつもりはない。時折助っ人に来る聖女様が言ってたんでな。『シェイクスピアを信用してはいけません。心を折りにいきますからね』と」
「おやあの魔……もといルーラーも助っ人に来ることがあるとは。まぁいいでしょう。この件はまあ諦めますとも。彼女に我が作品を披露したら面白い反応がくるかなーと思いましたが……少々手痛い仕返しがくるかもしれませんし、自ら死亡フラグ建てたくありませんからね! あ、隅とりました」
ぽん、と黒の石をシェイクスピアはナポレオンの右手の位置にある空白の隅に置く。あ、と短くナポレオンは声を上げたのち盤上に目をやった。
「まぁいいでしょう。彼女は口が堅くそう簡単に人を信じないということは把握しております。そして彼女を深く思うあなたの気持ちもわかっております。果たして彼女はそれを信じているでしょうか?」
は、とナポレオンは息をのむ。しめたとシェイクスピアはそのまま自分の言葉を続けた。
「おや、心当たりがあるようで」
「どこからどこまで知っている、アンタ」
「とりあえず蒼殿が緑の目の怪物を飼っている、ということは知っておりますがその原因となったことはわかりません。ただ北欧でなんかあっただろうなーということだけは察しておりますとも」
「―――!」
「いやぁ北欧は少し吾輩も思い出深いところでしてね、あ、作品での話です。なんたってハムレットの舞台がデンマークでして……あ、話の関節が曲がりましたね、正さねば。何かこう、心に傷が残ることがあったのではとかとにらんでいるのですが吾輩としては」
「なおさら、それはだめだ」
「えー」
ぶー、と劇作家は口をとがらせる。さてどうすべきかとふむふむうなっているうちにナポレオンは彼の右手近くにある隅に白い石を置いた。
「悪いがこのことは話さないと決めている。例えアンタの宝具を食らおうとも口を割らん」
「まぁいいでしょう」
そしてシェイクスピアは自分の左手近くにある隅に黒い石を置く。ことんことんと白が黒にひっくり返っていく。
「嫉妬は怖いものです、理性あるものをたちまち凶暴な獣に変貌させやがる、そして全てを破滅していく恐ろしい獣でございます。それをずっと抑え込んでいる彼女はまぁ本当に大したものだとずっと吾輩は見ているのです」
「それで彼女をどうしようかと」
「話は最後まで聞くものですぞ皇帝陛下! もし彼女がその獣を解き放って凶行へと走ったり本当の外道に落ちたとして貴方は、貴方は彼女を愛することはできるのですか⁉」
「できるさ、その時は彼女を叱った後できちんと話し合って変わらない愛を注ぐ」
「おやおやおやおや」
「アンタのことだ、てっきり黄色のハンカチでお仕置きするのかと聞くのかと」
「イチゴの刺繍がなされたハンカチですぞ」
「オーララ、それは失敬」
ぱちん、とナポレオンは自分の左手にある隅に白い石を置いた。白が対角線上の石に向かって伸びていく。
「オレの勝ちだな劇作家殿、じゃああがるぜ。ゲームは楽しかった」
「最後に一つ、皇帝殿は吾輩の著作をお読みになったことは?」
「ある、電子書籍でな」
ナポレオンは立ち上がり扉の向こうに歩んでいく。重厚な扉がばたんとしめられた。シェイクスピアは盤上をちらりと見たのち扉のほうへと向きなおる。
「……なるほど、なるほど」
そしてうんうん頷いた後彼は紙にペンを少しだけ走らせた後その紙を宙に放り投げた。
「……まぁ、ハンカチをなくさなければいいのですが」
紙が地に落ちる瞬間、劇作家はどこか冷めた声色でつぶやく。そして軽い音が静かな書斎に響き渡った。
◆◆◆
「……あ、アーチャー」
「蒼」
シェイクスピアとの頭脳戦を終えてナポレオンはまっすぐ自分のマスターのいる部屋へと入り、その部屋の主が変わらない様子でいることに安堵感を覚えた後すぐ彼女の体を抱きしめた。変わらないことを確かめるように、その存在を確かめるように強く抱きしめる。
「あ、あ……」
「メートル、いいや、マドモアゼル。大丈夫かい?」
「私はこの通り無事ですよ、変わりありません」
「よかった、それは……なによりだ」
ふ、と男は腕の力を緩めて女を解放する。解放された女はポケットに手を突っ込んで二本の缶を取り出して片方を男のほうへと差し出した。
「これは?」
「リンゴジュースです、そのカルデアのマスターがなんかいい黄金のリンゴの食べ方探っているようでその過程で生まれたものでして、せっかくだからということで頂きました。なぜか二つも」
「ああ、メートルがか……そういうこと言っていたなぁ」
「たまにコロシアムやニューヨークを戦うことがありますからねぇ」
「それもそうだな、じゃあその品質試験的な意味で貰ったのかい?」
「それもありますけど、おいしいからぜひ飲んでと頼まれまして、彼女から」
「じゃあ頂こうか! グラスはあるかい?」
「テーブルの上にあります」
じゃあ、と二人はプルタブを開けてワイングラスに黄金の液体を注いだ。二人は並々と注がれたそれを掲げる。
「何に乾杯しますか?」
「オレとオマエさんの愛に」
「……は、はい」
乾杯、と短く告げて一口飲む。爽やかな味が二人の口の中を支配した。
「……おいしいですね、なんかこう体の底からふつふつとなにか、やる気的なものがこみあがってきます」
「確かにうまいな、多分メートルが人間だからかやる気が……いや、これ普通に一緒にメインディッシュとともに……シードルは……カルデアのメートルが未成年だからだめだな……」
「シードル、確かにできそうですけど彼女未成年ですからねぇ。それはそれとして少しどこか、いや……」
ちらりと女はグラス越しに愛する人を見る。変わらない笑顔を浮かべている彼を見ながら彼女は今はない酒に思いを馳せた。
「……黄色だ」
「オーララ、虹の色の一つだな」
ぐい、と男はジュースを飲み干して女のほうを見る。そして大きな手を女の頬に添えてぽつりとつぶやいた。
「次は緑か」
「緑……」
緑、その単語を復唱したのを聞いて男は自分の胸からちくりと何かが刺さった感触がした。先ほど劇作家と交わした言葉がよみがえる。
「なぁ、メートル」
「大丈夫ですよ、アーチャー」
ごくんと女はジュースを飲み干した。ほんの少しだけ口角から液をこぼしたまま蒼は言葉を続ける。
「私は、大丈夫です」
その声色は今にも割れそうな薄氷のようだった。自分に言い聞かせるように、大丈夫と何度も唱える。
「本当に大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫です」
ぐ、とこぼれた液を手で拭い空のグラスを手に取ってカルデアのキッチンへと蒼は行った。一人残されたナポレオンはぐ、と拳を握りしめ独り言ちる。
「どこが大丈夫だ、大丈夫だった試しがないじゃないか」
男は一人、女との思い出を回想する。彼女が大丈夫という時はたいてい大丈夫でないことが多くたいていは一人で消えようと試みるか蒼が蒼自身をいじめているときかその両方であることを思い出した。
「マドモアゼル、頼むからもうちょっとだけオレを信じてくれ」
そう漏らした直後、ドアが開く。聞かれていたのかと男は一瞬だけ構えたが何も聞かなかった女を見てほんの少しだけ安堵したが、先ほど少しだけ憤りを覚えた自分自身に少しだけナポレオンは驚愕した。
「ナポレオンさん、どうしましたか?」
「あ、蒼か。次は緑だが……見たいものはあるかい?」
「緑ですか、見たいものは……」
「……なるほどな」
そして何事もないかのように二人は話し合う。ナポレオンはただ壊れそうな女相手に静かに意思を固めていた。
―――決して大切なものは手放さない。手放すものか。
◆◆◆
「……さて、この書斎から出るべきでしょうかね吾輩は」
「さぁどうでしょう。喜劇を貴方が望むなら出るべきかと」
「これはこれは天草殿、まぁあの二人の行く末は正直まぁ悲劇でも面白くて喜劇でもいいものになるんじゃないかと吾輩は睨んでおります」
「そうですかそうですか、では一つ忠告を。この場合悲劇は書かないほうがいいかと思います」
「まぁ、そうはならないでしょうな」
「といいますと?」
「彼自身、悲劇を望んでおりません。まぁ蒼殿はどう思っているかはまた別ですがきっとそうはならないでしょうな!」
「でもなぜあの時」
「吾輩が! 聞きたかったからでございます!」
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