緑眼牢獄

 ええ、蒼さんのことですか? 知っていますよ。修道院のお菓子について話したり、私の特製クッキーについてコメントしてもらっていたので。彼女の助けがなければあのクッキーは出来上がらなかったようなものです。え? 他にもあるんじゃないかって? それ以外は特に何もありません。なに? 「懺悔はしたか、その内容は何か」ですって? すみませんが皇帝陛下、貴方も知っているはずでしょう? 神父は懺悔の内容を漏らしてはならない、と。ああ、大丈夫ですよ。なんとなく貴方が彼女について聞くのはわかっていましたから。貴方が、彼女を大切に思っていることも見ていてわかりますし。
 では、私はこれで失礼します。

◆◆◆

 嫉妬で変質した人を知っているか、ですか……? それならシェイクスピアさんに聞いた方が早いのではないかと。え? 彼に聞いた? わかりました。貴方にいうのは少々不本意ですが……僭越ながら私が書いた源氏物語にいますね。六条の御息所というのですが、彼女は光源氏を思うあまり生霊となり夕顔と葵上をとり殺したのです。彼女は否認しましたがそれでも、香が別の人のものであることを自覚してしまい罪悪感から身を引いたのです。自覚がなくとも想いが強くなったあまり凶行に走ってしまった例ですね。
 あとは今昔物語にある僧侶を追いかけた娘の話でしょうか。ええ、貴方も知っているはずです。安珍清姫伝説の元となったお話です。流石にご本人に話を聞くというのは……おやめになったほうがよろしいかと。というより嫉妬関連の話を本人に持ち出すということは……流石にしないから大丈夫と? まあ、それはそれは安心いたしました。
 私は図書館の業務がありますのでこれにて。それと、くれぐれも本を投げ出すという真似はやめてくださいね? 

◆◆◆

緑眼怪物/

 こうなった経緯は当の本人、すなわち私がわかっている。
 私が、彼に対してあんなことを言わなければよかったのだ。虹が見たい、なんて言わなければ。要は連続してデートしたいと同じ意味であり、それを彼は喜んで受諾して実行している。デートがうれしくないというわけではない。むしろ、ずっとこんな時間が続いてほしいくらいだ。ではなぜ? きっとそれは、罪悪感からくるものだろう。
 その私の罪をシミュレーション場にある太陽は照らしている。厳しく、照らしている。秋霜烈日とはまさしく今の状況にぴったりだ。秋の霜はないが、太陽は高く、高く輝いている。それはあまりにも眩しすぎて眼が痛い。そのうえ今、私とアーチャーがいる場所は或る南の島だった。
「アーチャー、本当に大丈夫ですか?」
「まぁ、大丈夫だ。多分な」
「だってここ……ここは、終着点じゃないですか」
「まぁオレにとってはそうだが、今はカルデアがあるだろう?」
 南の島、絶海の孤島、そして、聖女の名がつけられた監獄。ナポレオン伝説の終点にして起点。セントヘレナ島。年代不明。いつどこでどうなるかわからないので私はいかなる環境下での活動に慣れたかった。故に私は暑さに不得手な身ではあるがこの灼熱の島での訓練を希望したのである。まさか場所がそうなるとは思ってもいなかったが。
「それも、そうですねアーチャー」
 ぽんぽんと私の背中が叩かれる。触られるたびに私の心臓がはねる感じがした。貴方に触れられる、声をかけられる。私だけを、見つめている。青くて澄んだ瞳が私を見つめている。
「さぁ、手を取ってくれオレのメートル、いいや婚約者」
「……まだちょっと、婚約者には慣れません……」
「本当に蒼はうぶだなぁ、まあそこもまたいいんだが」
「ちょ……っ!」
 恐る恐る手を差し出してみる。がっと大きな手が私の手をつかんで離さない。自分の終着点を模した場所であるはずなのにどうして彼はこんなにも、生き生きとしているのだろう。戦闘でやむを得ず撤退をするときでさえセントヘレナを引き合いに出して独り言ちているのに。
「手、離すなよ?」
「離すなんてそんなこと、しませんよ……」
「それでいい、うん、それでいい」
 乱暴な力ではなく、ただ導くようにして彼は私の手を引っ張っていく。迷いのない足取りからしてロングウッドハウスに向かっているのだろうか。ともかく私たちは課されたノルマ――島のどこかにある目標物Aの探索のために一先ず屋根のある建物の中に入り、一時の拠点にするべく作業を始めたのであった。

◆◆◆

「……本当に、緑だ」
「ああ、まったくだ」
「虹の色、ですよね。奇遇にも」
「そうだな、でも今はやることがあるだろう?」
 直射日光から身を守るための書斎にて、私とアーチャーはまずは本をあさった。流石に元々使っていたからか的確に彼は必要な本を探り当てる。当面は必要になりそうな本を数冊ピックアップした後、それを抱えて近くの部屋に運び込んだ。野戦用のベッドに載せているということはきっと寝ながら諸々考えるのだろう。
「まずは情報収集から……ですね、わかっております」
「そうだ、まぁここに本があるということはきっとこの中にヒントがあるんだろうな。それはそれとして……メートル、外国語はわかるかい?」
「英語なら、まあ」
「よし、じゃあこの本とこの本を……頼んだ。残りはオレがやる」
「すみません、もうちょっと私が色々わかっていれば……」
「いいや、いいんだ」
 ぽんぽんと彼は私の頭を撫でる。何回もやられているはずなのに子供のように嬉しくなって彼のために色々したくなってしまう。何故か、その触覚が今日に限っては反応がいい。無駄に暑いせいだろうか? ぽやぽやしていて、なんかわからないけど時間がゆっくり動いているようだ。なんか言っている気がするがわからない。声がぐわんぐわんしているようだ。
「――トル、メー……、メ――ル、メートル?」
 低い声が明瞭になっていく。私のことを彼は呼んでいるらしい。
「アーチャー?」
「大丈夫かい? もしかして暑い環境はそんなに得意じゃない方かい?」
「大丈夫です。それに暑いところに行かねばならない時だってありますし弱音なんて吐けませんよ」
 彼の手を借りずに姿勢を正す。確かに私はあまり暑い環境は得意ではないが、慣れなくてはいけない時がある。今がその時であるだけだ。それに、いつまでも彼の甘い言葉に夢見てすがるなんてことはできない。私に向けられた言葉が真であるという保証はないのに。
「じゃあ早速……といいたいけどそろそろ着いたことを知らせた方がいい頃合いだろう。通信はきちんと動いているかい?」
 ナポレオンは次にやるべきことを提示する。それでも私の様子が不安であるからか覗き込むようにして私を見ていた。精悍な顔つきが私の近くにある。あんな恰好いい顔に見られながらやるなんて、本当に心臓に悪い。
「か、確認します」
 コートのポケットから取り出した通信機材を取り出して電源を入れる。しかし流れるのはノイズのみだった。
「……今回はだめそうですね、通信が出来ないところでのシミュレーションなのでしょう」
「オーララ、まぁそういうこともあるさ」
 窓から外を眺めてみる。まだ太陽は高く、夜になるまでまだ時間はあるらしい。これからもっと酷く熱がこもり始めるのかと思うと気が遠くなる感覚がした。聞こえてくる音と声が響いてくる。
「それじゃあ、本は後回しにして次は一緒に島の探索……でどうでしょうか」
「そうだな、まずは一度歩いてみたほうがいい」
 そう決めた私たちはロングウッドハウスの外に出る。そして、暑くて険しい土地を踏みしめて歩んでいった。

◆◆◆

 ぐらぐら、ふわふわしてくる。高低差が激しくて、足がもつれそう。そしてあまりない体力は歩き始めた時点ですでにダメになっていたらしい。最終的には彼に抱えられながら移動していたので情けない話だ。
「メートル、体力きちんとつけた方がいいなこりゃ」
「……自覚してるんですよ、体力つけるだけの体力すらないってことは」
「そうだよな、オマエさんは基本あれだよなぁ。夜……」
「あれも、とても気にしてるんですよ……。股関節の硬さとかも含めて……」
「何を、想像していたんだい?」
「……え?」
「大きな仕事を終えた後の夜、疲れて眠ることすらできないことあったよなぁと言おうと思ったのだがオマエさん、随分と大胆なことを言うようになったんだな」
「……」
 思考回路が回らない。よると聞いてあの戯れのことかとすぐ連想するくらいにはへばっているらしい。ニマニマとアーチャーは笑うがそれに反論するための言葉を考える力も残されていなかった。サーヴァントであるからか彼の足取りは未だにしっかりしていて、重いはずである私を抱えていようとも衰えることはない。
「まぁ、その分じゃ休んだ方がいいなオマエさんは。結界とか張れるだけの魔力とかは残ってるかい?」
「なんとか」
「なら、少しオマエさんは休んでろ。パスに使うための回路も念話に使うためだけに狭めておいて後は回復に力をまわしておけ」
「ごめんなさい、本当に」
「構わんさ」
 険しい道を越えて、ロングウッドハウスにたどり着く。ぜえぜえ言いながらわずかに残った力を振り絞って結界を貼った。そして私は書斎の隣にある部屋の簡易的な天蓋におおわれている野戦用ベッドに身を横たえられた。
「じゃあ、行ってくる」
 まるで幼子に留守を頼むかのように彼は私の頭を撫でた。わずかな温もりを感じる前に彼は部屋を出ていった。
「―――」
 無駄に暑い中、予め持ってきていた水を飲む。既に熱気で温まってしまったのか中途半端にぬるい水が私の喉を通っていく。
「……あー」
 コートを脱いで、極地礼装の襟を少しだけ緩める。空気が通りやすくなって少しはマシになったもののまだ体をまとっている重い感じはぬぐえない。頭がガンガンする。とりあえず彼がどこにいるのかとかパスはきちんとつながっているかはわかるがその念話分のものを維持するだけで精一杯だった。
「落ち着いたかい? メートル」
「ええ、まあなんとか」
 寝ることはできない、そもそも寝るだけの体力は残されていない。だらだらと汗が流れている。
「何かあったら繋ぐが今は休んどけ。体力のないオマエさんなら猶更だ」
 そう言い残し彼はぷつんと念話を切る。風の音と何かだけが聞こえてきた。その音は何倍かに増幅されているような感覚。くらくら、グラグラしていて気持ち悪い。
「――」
 ゆらゆらと思考が揺らいでいく。はらはらと何かが崩れ落ちていく。何かが固められていく。がんがんという音が遠のいていく。
「あー、ちゃー」
 どうやら私の体調は少しまともになってきていたらしい。目の焦点が少しずつあっていく。緑が、見える。天蓋が見える。容赦のない直射日光が降り注いでいる。ここにずっと閉じ込められていれば誰であろうとも気が滅入るのは確かだろう。彼が撤退するときに独り言ちてしまうのも無理はない。まるで、罪について悔い改めろと言わんばかりの牢獄だ。
「無駄に眩しいなぁ」
 何か罪があったっけと思考をめぐらせてみる。あった。とても重い罪。あのときあった女の子にいつまでも嫉妬している大罪。向こうは私がそういうことに苦しんでいるということは知っていてその上で色々気を使って貰っているのだがそれでも胸が満たさせることはなく、傷がいえることもない。
「……どうして」
 何度もめぐらせた思いと思索。彼に向って傷と泥を少しだけ吐き出したことはあったがまだ吐き出したりない、否、吐き出そうとしたら際限がなくなりそうなので自制をしているだけ。まだ私はその罪の贖いをしていない。出来ていない。ジョセフィーヌの名を聞いた同じ感覚がするという他の女の子に思いを寄せていた姿も名前も同じ別人に焦がれているのと同時に今、動いている彼にも焦がれている。その嫉妬を受け入れようにも何故かそれを受け入れるのは激しい痛みが伴うので受け入れられない。否、嫉妬という感情はあるとわかっているのに受け入れることが何故かできていないという方が正しいだろう。
「ああ、どうして」
 こんなにもアーチャーのことを思ってしまうようになったのか。始まりが始まりだったから? 違う。なぜ一目ぼれしたのか? わからない。
「未だに消えてくれないなんて」
 ぎゅ、とシーツを握りしめる。誰もいない故に何かに包まれるなんてことはない。子供じみた我儘なんて、叶えられるはずはないのだ。そういう類のものは罰せられるべきなのだ。私を責めるように太陽が窓越しに照り付ける。私の罪が、明るみになってくる。
「こんなことを思っている私なんて、嫌われていいはずなのにね」
 壁に顔を向けて寝転がる。緑の壁が眼前いっぱいに映し出された。気持ち悪さは次第に薄れていき足の感覚も戻ってきてはいるが未だにわき腹が痛い。体力の回復はまだ先なのだろう。
「……私って本当、なんだろうな」
 眼をつむる。いざというときのために眠るのはいけないことなのだろうけど自分の中を整理するために視覚をシャットアウトさせた。音がまたうるさく聞こえるようになった気がした。どこからか私のことを呼ぶ声がする。よほど私の頭は疲れているらしい。声が近くなっていく。その声はとても聞きなれた声に似ていた。
「誰? あーちゃー……?」
 緩慢とした動きで自分の体を反転させる。目の前には誰もいない。さっきの声は幻だったらしい。
「……いない、か」
 水を取りに行こうとしてベッドから立ち上がろうとした時だった。声が大きく聞こえてきた。
「――、――、――蒼」
 私の名前を呼んでいる。ドアが開かれる音がした。きっと彼が帰ってきたのだろう。寝たまま出迎えなんて格好悪いところは見せられないのでふらつく足取りで書斎を抜けて玄関へ。まだ体は本調子ではないらしくて体のあちこちが家具や壁に当たっていく。
「あー、あーちゃー、あーちゃー」
「蒼、戻ったけど……今は寝てろ、ほら」
 ゆらりと私の視界が歪んでいく。足はもつれて重力が消えていく。彼の言う通りおとなしく寝ていたらよかっただろう。それでも私は早く、彼に会いたかっただけだった。
「ごめんなさい、早く出迎えしたくて」
 偶然にも私は彼の体にもたれかかるようにして抱きとめられている。感覚が暑さで増幅されているからか余計彼の体温が熱く感じた。抱きしめられている力が強い気がした。
「気持ちは嬉しいけどよ、ほら寝ろ」
 再び私は野戦用のベッドに横たえられる。今度は彼の手助けを得て水分補給をゆっくりした。何故か飲んでるものが甘い。
「……あまい」
「こりゃまずいな。下手すれば死ぬぞ」
「熱中症、かぁ」
 熱中症。暑いところにいるところでかかる病。元々暑さに慣れていない故かこの環境下にいるときになるのは当然の流れであり、今度こそ克服しようとしたが無理だったらしい。無理なことはするなということか。
「しんじゃうのか、私」
 なんてことのない感じでつぶやいたが彼はそれをかなり怖い顔と共にして返した。
「そうだ、だから改めて通信出来るか試すしかない。今のこの環境はとても、まずい」
「けいけんだん?」
「……ずっとここにいたからそれに近いな、うん」
 ガサゴソと彼が私のコートをあさっている。通信機器だけ探していて、かつそれしかコートのポケットしかないにもかかわらず何故か私という存在が彼にばらされている感じがする。
「お、あったぞ。これはオマエさんがやるんだ」
 はい、と彼が通信危機を手渡す。違う温もりが当たって心臓がはねそうになったけどまずは目の前のことに集中しないと。思考回路をなんとか制御させて、機械を操作する。カチカチと動かしたらぶぉん、と起動音が響きビジョンが空中に映し出された。通信は回復したらし。
「よかった……中々通信がつながらなくてさ、色々試してみたけど繋がってよかったよ。それで無事についた、というわけだね?」
「……そう、です」
「ちょっと蒼君、顔色悪そうだけど大丈夫?」
 ダ・ヴィンチちゃんが対応している。やはり私の顔ははたから見るとかなりまずい状態らしい。いつもの癖で大丈夫だと言おうとしたら傍らのサーヴァントがすぐ答えた。
「正直に言うと熱中症でかなりまずい状態だな。訓練を中断して早く帰還することをオレは推奨する」
「そうか、やっぱりそうか……。いや彼女自身が暑いところに慣れたいからと言っから本当に大丈夫かなと思ってはいたけど、やっぱりそうなったか……ルルハワでもダウンしたからなぁ彼女は」
 ぴこぴことビジョン越しの音が鳴る。ダ・ヴィンチちゃんが何かしらの対応をしているのだろう。
「うーんここがこれで……とりあえず緊急帰還はこっちでどうにかするから暫く彼女を見守っていてくれ、ナポレオン」
「D’ accord」
 ぴちゅん、と通信が途切れる音がした。会話内容から鑑みるに彼女がどうにかして帰還できるように手を尽くしているのだろう。しかるべく処置をしたら帰れるようにはなるらしいが時間はかかるかもしれないのでその夢がさめるまでの間、私は、好きな人と、二人きり、であるということか。
「さて……と。ほら寝ろ。寝るんだ」
 またベッドに寝かされる。夜の行為のような強引さはなく、優しくいたわるようにゆっくりと寝かされる。大きな手が私の腰と肩に添えられて、離れていく。
「……はい、でも、お願いですから、傍にいてください」
「もちろんそのつもりさ」
 長椅子を引っ張ってきてベッドのそばに彼が座る。涼しげな青い瞳が私を見ている。普段は荘厳な軍服を着ているはずが今日は第一再臨のあの胸元を開けた恰好で、露になっている胸筋とその上についている傷跡が見えている。
 かち、こちと腕時計の秒針が鳴っている。静けさを破ったのは私だった。
「……別の貴方から聞いたんです。惚れた腫れたは人を狂わせるって」
 ぽつり、と頭が回っていないからか心のどこかにあったものを吐き出してみた。
「そうか、確かにあの時のオレは言ってたらしいな」
「本当、私はまさしくそれだと思ってます。貴方を思うあまり自分でもよくわからないことをしているから」
「……嫉妬、か」
 青い瞳が陰る。薄くて大きな口が動く。確認するかのように彼は言った。のど元がゆっくりと動いている。
「ええ……それをどうしても疎ましく思って、でもそれが、とても強くなっているんです」
「それはそれでいいんじゃないか……いやそれ由来からくるものを恐れているんだよな、オマエさんは」
 ぽんぽん、と彼は私の頭をなだめるように撫でてくれた。私のことを食い入るように覗き込むことはなく、あくまで全体像をとらえるように眺めていて私を見ている。うーむと唸りながらわしゃわしゃと私の髪の毛を乱している。まるで私はこどもみたい。
「もし仮に悪いことをしてしまったとしても、オレがきちんと連れ戻してやる。少しだけ痛いお仕置きはまぁ……あるかもしれんが」
「……はい。その時が来たら、一思いに殺してください」
「やらねぇよ。それに、前にも言ったかもしれんがオレは嬉しいんだ。婚約者からこんなに熱烈な愛を向けられているということが、な」
 なにを、いっているのだろう。私が悪いことをしても殺さないというし、しかも私の愛がうれしいといってるなんて。熱烈なのは、ただ思いとか好きとかみにくいものが入り混じっていてわからない方向にいってるだけだというのに。
「そのあいは、とてもゆがんでいてきたないのに?」
「愛に穢いも何もあるかい? それに嫉妬というのはな、相手を強く思ってしまうから生まれるものなんだぜ」
「あなたは、嫉妬しないの?」
「オマエさんが幸せならまぁそれでいいが……それでも人並みに妬くことはまぁあるな」
「あるんですね……少しだけ、ほっとしました」
 気恥ずかしそうに顔を赤らめて彼は言う。よかった、アーチャーにも嫉妬という感情は或るんだ。そういったものに無縁そうで私の幸せのためならすぐ手放しそうな気がしたからそれがほんの少しだけ、怖かった。
「まぁそんなに妬くことは基本的にないが……まぁでももし他の誰かの誘いにふらふらと乗ろうとしたときは流石に連れ戻す」
「私を誘う人なんていない、でしょうけどねぇ」
 ふう、と息を吐く。彼はいつものようにジャケットの中に手を突っ込んで葉巻を探そうとしたらしいがすぐに諦めた。「あのなぁ」と一呼吸置いたのち、ナポレオンは口を開いた。
「オレだったらオマエさんを見かけたらすぐに楽しいところへ誘い出すぜ? いや今はその話じゃないな……もしその誘った男が悪いやつだったらどうするんだい?」
「そのときは、あきらめます」
「オマエさんは、もう少し自分を大切にしてくれ……」
 頭を撫でるのをやめてぎゅ、と私の手を取っている。そしてそれが大切なものであるかのように撫でて、口づけをした。自分をたいせつに、なんてどうすればいいのかわからない。そもそもたいせつにされはじめたかもしれないのはごく最近のことだからこの状況をどう受け止めていいのかすら知らないというのになんて難しいことをいうんだろう。
「……いいわけがないです。自分の中に嫉妬というものがあるというのはわかっていてもそれを受け入れようとしない私がいるわけですし、そんなことをしている私がいい子なわけないじゃないですか」
「わかっているのなら、それでいいんじゃないか?」
 突然、雑音が消えて彼の声だけがはっきりと聞こえたような気がした。厳しく諭すような顔ではなく、私という子供に話しかけているような笑顔で彼は続ける。
「受け入れた後で忌み嫌っていい、受け入れなくとも認識していればいい。ごく普通に矛盾したものは持ち合わせていいんだ、メートル」
 手は下ろされて、温もりが離れていく。そういったことよりも今の私の心の現状を彼は「よし」と言ってくれた。こんなのが、許されていいのかな。
「でもきっとオマエさんの場合無責任に肯定されても受け入れないよな」
「……無条件に認められるのが少し怖いだけです」
「なら、そうだな。その感情――恋とか愛とかになるが、それに基づいて行動するときは何かしら責任を負わねばならない。よいことも悪いことも全部、だ」
「せきにん」
「ああ、でも生きて責任を負わねばならん。行動によるものは行動で返すんだ」
 逞しい手が私の細い方をぽんぽんと撫でる。死による責任逃れは悪だといいたいのだろう。
「でもまぁ、あれだ。悪いことをしなければそれでいいさ。オマエさんの場合それで気負うだろうからな。オレが許す」
 許さないで、そんなことを言ったら私は、とんでもないことを口走りそうだから。せきずいからのしんごうで口がひらかれる。
「……ほんとに、なにおもってもゆるしてくれますか?」
「ああ」
「なら、どれだけ他の子によそみしてもいいから、私だけを見てほしい、です」
 ――ああ、なんて羞恥。無理難題な矛盾をねだるなんて。それでも彼は顔を綻ばせて、ハハと声を上げた後言った。
「こりゃ痛いところを突かれたな。でも覚えていてくれ。今のオレにとっての婚約者は、蒼、オマエさんだ」
 ほらほら、と彼の片方の手が肩に触れられる時だった。ピピと通信機材の音が鳴り響く。どうやら帰還準備が整ったらしい。
「……行かなきゃな、そろそろ」
「ほんの少しだけ、名残惜しいですが」
 ベッドから立ち上がろうとする。しかしまたふらついて倒れそうになるのを見かねたのかナポレオンは私の体を消防士さんがやるかのようにして抱え上げた。ふとももが、私の胸が、彼に触れていて熱い。
「じゃあ、早く帰って体調を直そうや」
 そしてダ・ヴィンチちゃんの合図で私たちは帰還する。そこから医療室に運ばれる中私はぼんやりと愛することに対する責任に関する思考回路におぼれていった。

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