「――ここが、この場所で」
昼下がりでも暗い倉庫にて、私は電灯式のカンテラを手に書物の整理をしていた。わずかな光が頼りの暗闇にて予め決められた分類通りに魔術書らしき本を並べている。色々な言語で書かれているため今の私でも読むのは非常に難しいところであるが、せめて英語だけであれあればなんとかいける……はずだと思いたい。そんな余分なことを切り取り、手持ち式の電灯で闇を照らし出す。右手にカンテラ、左手には辞書のような重さの本が数冊程度。ごく普通の本であれば式部さんが運営している図書館行きだが魔術関連はそうもいかないらしい。そしてその整理は南極にカルデアがあった時から私の役目であった。
「そしてこれがあの本棚で……」
わずかな光を基に歩いていく。本の重さで少しふらついてしまったがそんなことを気にしてはいられない。ましてや仕事中に倒れるということは、あってはならないのだから。
もうすぐ目的の本棚にたどり着く。幸いなことに今日の分はその本棚に集中しているため早く終えたらその分長く休めるだろう。ふらつく足を無理やりただし、一歩、また一歩踏み出した。幸いなことに何事もなく目的の本棚にたどり着けたはいいが、今度は本を持ち上げたりする作業だ。歩くだけでも一苦労であるが疲れたとか弱音を吐いてはいられない。
「……やるしかない」
意識を持ち直してカンテラをその辺にあった高台に置く。空いた右手で一冊本を手に取り指定の場所に持ち上げようとした時だった。
「手伝うかい?」
「……大丈夫です。あと突然喋らないでくださいというかいつからいたんですか? アーチャー」
ぬ、と予兆もなくアーチャー、もといナポレオンがどこからともなく現れた。逞しい体を軍服に包んだ笑顔の眩しい男が私の傍らに突然実体化してそしてその骨ばった手は私の持っている本に伸ばされる。
「ずっと霊体化して傍にいたが……蒼のことだ。無理してるんじゃないかと思って見守っていたぜ」
「大丈夫です、これくらい……一人でできます」
「だめだ、現に肩で息してるだろ」
ほら、と半ば強引に本を抜き取られ上に収納される。手伝ってくれるのはありがたい、が自分の仕事が奪われるという現実に軽く自分の中の何かが無邪気に踏みつぶされたような感じがした。だから、私はやけになって左手にまだ残っている本をてきぱきと収納した。腕の痛みも切れてしまっている息なんてどうでもいい。ただ仕事ができていればいいだけだ。
「これで……最後」
最後の一冊を収納する。背伸びをしてなんとか届く高さのそれにぴたりと入れ、仕事が終わったあと特有の一種の高揚感に身をゆだねた時だった。
「――あ」
どうやら彼の言葉は正しかったらしい。ふらりと私の体が後方に倒れていく。しかも背後はまた本棚。最悪なことにがとんと私の体が後ろの本棚にぶつかってその衝撃で本がたくさん、おちていく。床への衝撃は受け身をとれたからまだ大丈夫だった、がどうやら上からの本の雨は防ぐことは出来ないらしい。覚悟を決めて目をつむった。
「―――!」
誰かが何か叫んでいる。それと同時に鈍い音がばらばらと鳴った。私への衝撃は何故かない。おそるおそる目を開けるとそこにはいつも通り、優しい顔をした彼が視界にいた。まるでそれは、私に傷がないことを安堵しているかのよう。
「怪我は、ないか?」
ぐ、と彼の顔が近くなる。きらきらとした目が近づいてきて、低い声が心臓に響いている。何故かはわからないけど言葉が出てこなくてどう返せばいいのか、わからない。
「あー、とりあえず体は動かせるかい?」
とりあえず彼の言われるままに足をじたばたさせてみる。床と足がぶつかる音を聞いて彼はほっとしたのかさらに表情を緩ませた。
「よかった……」
暗闇に目が慣れていく。そして今、私はどういう体勢になっているのかだんだんと理解していった。してしまった。どさどさという音は彼がかばった時になったもので、そして視界いっぱいに彼の顔があるのは、体温がやけに近いのは、そのかばった時の体勢が私を押し倒しているような状態になっているからだった。
「……ごめんなさい、痛い思いをさせてしまって。貴方の言うことを聞いていたら」
「大丈夫だ、オマエさんこそ痛くないかい?」
「痛くないです。打撲とかはよくするので慣れました」
「……いや慣れるな。痛いのなら素直に痛いって言え……蒼」
さてさて、と彼が立ち上がろうとした時だった。まだ未だに本棚への衝撃は残っていたらしく一冊のノートがはらりと落ちて、ゆっくり、そのまま彼の頭に直撃した。
「オーララぁ……」
情けない感嘆を口にして、ゆっくりとそのノートの衝撃が彼の頭に移行する。そして――その重力をもって彼の顔は私に近づいていった。息のかかるほどになってしまった後はあっという間で、柔い何かが私の唇にあたった。
「―――んぅ」
数秒が、とても長い。青い瞳がとっても近かった。甘くてスモーキーな何かが唇を……唇を、支配していた。
「ああ、すまんな」
ぼんやりとしている間に青い目は離れていき、唇を支配していたものは消えていたらしい。ゆっくりと彼は起き上がり、落ちてしまった本をすべて片手に持っている。
「ほら、たてるかい?」
本を持っていない手が私の方に差し出される。さっきまでの事故を心の隅に追いやって、目を背けながらも彼の手を取った。
「よし、立てたな。またオマエさんが倒れたら大変だからオレがやる。オマエさんは指示を頼む」
ぽやぽやとした心が彼の言葉で一瞬にして固定される。急いで私は無事であったカンテラを取り、原状復帰作業の指示をした。まだ残る唇の感覚に惑いながら。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます