「―――おい、お前。助けてと云いたいのなら助けてと言え。というか素直に痛いなら痛いといっていいんだ」
アイスはどこかと冷凍庫を漁っていたら背後から低い女の人の声がした。振り返ってみたらざんばらに切り揃えられた黒髪に青い着物に赤いジャケットを羽織っている面妖な人がいた。見方によっては女性とも男性ともとらえられる容貌。先ほどの声がなければ私は目の前の人をただの人と認識していたのかもしれない。しかし何故彼女はいきなり私にこういってきたのか。
「……あの、どういうことですか?」
「そのまんまの意味だよ。お前はどうも……そういう風に見えるんだ」
そういって彼女は私の横からひょいと手を伸ばしてハーゲンダッツのイチゴ味のアイスを手に取ってどこかへと去っていった。まるで雪の夜に消えるように。
「……痛いなら、ですか」
痛いというのなら、心の奥底にある泥にまとわりつかれている状態のことを『痛い』というのだろう。ただどうも私にはその求め方が分からずに、自分の痛みと感情を持て余しているというのが現状だった。
そういえば、先日も同じような助言をしてくれた人がいた。確か云った人は愛する人だったなとぼんやりと思い出していた。
「私の腕のこと、きっと気づいてる。そうじゃなければあの時左腕を掴んでないもの」
ぽつりと独り言をつぶやいた後、二本一対となっているアイスを手に取ってぱたんと冷凍庫をしめた。
◆◆◆
「あ」
私が部屋に戻ったとき、彼がいた。いつものようにベッドの上が定位置であると云わんばかりにござをかいている。
「おかえり、その手に持っているのは……あれか、二本一組になってるアイスか!」
「ええ、はい」
パッケージから取り出して中央で二本を引き裂いて一本ずつにする。チョコレート味のそれを彼に差し出すと眩しいくらいの笑顔で「メルシーボークー!」と云った。その笑顔を見ていたい、縋りたいと思うと同時にまた北欧のことがちらついてしまった。
「いや、こういうのを良妻な狐から『こういうのは恋人同士で食べるもの』と聞いているからまさかオマエさんと食べることが出来るなんて……」
「……いえ、ただこう、貴方と食べたくなっただけです。こういうのよく一人で二つ食べていたので」
「そうかそうか。まあ隣に座れ」
彼の言葉に甘えて私は彼の横に座る。器用に口を開けて入り口付近にあるアイスをかじりつつ溶かす。そうこうしているうちに静かな時間が流れ、どこか居づらい雰囲気になってしまった。ちらりと彼の横顔を見る。逞しい体は変わらずに青い瞳はキラキラとしていた。それを、ほんの少しだけあの時曇らせてしまったのは申し訳ない。
「……なあ、メートル」
「は、はい!」
「そんなに緊張すんなって。まあ折角二人きりだしなんか……映画でも見るかい?」
「映画」
そうだ、映画だと彼は答える。あの時うっかり酔った調子で少しだけお色気要素のある映画を勧めてしまった前科がよぎり、ぎゅっとアイスを握ってしまったが彼はすかさず「気にするなあのことは! まあよくあることだから!」とフォローしてくれた。本当に申し訳ない。
「ああ、折角だからこうライブラリから持ってきたものがあるんだが……とにかく明るい気持ちになれるやつだ!」
「明るい気持ち……?」
そう言って彼はDVDのパッケージを取り出した。確か私が小さいころ映画になったもので夜の米国の博物館内で冒険するというものだった。アッティラ、イヴァン雷帝、史実ベースのナポレオンが立ちはだかったのを覚えてる。確か終始ドキドキしながら見ていた気がする。
「そうだ、それにメートルは歴史とか好きだろう?」
「……はい、というか覚えていてくれたんですね」
ああ、と彼は云ってごそごそと再生機器にDVDをセットする。そしてプロジェクターに接続して白い壁に映し出して映像を流した。
◆◆◆
「オーララ、なんてこった……」
しかし流れたのは全く違うものであり私が生まれる前に作られたサイコホラー映画だった。厳格な母親のもとで育てられた超能力持ちの女の子が学校内でいじめをうけて、それでも学校一のイケメンにダンスパーティに誘われてうきうきでドレスの準備をして出たのはいいけどすべて罠で痕は女の子による惨劇のショー。全てすべて悲劇に終わるものだった。BGMはどういうわけか有名でバラエティとかホラーの番組によく使われていたのを記憶している。
「……結構あれでしたね、ホラーというかなんというか」
「いや、どうしてこのパッケージにこれがあっただよ。ご丁寧にディスクも偽造されて……いや本当に誰が仕組んだんだこれは」
多分、一緒にいきなりお色気要素が入っていた映画を一緒に見ていた時より気まずい雰囲気になっていることだろう。パッケージからしてもそんな予兆はなかったしきちんと再生されている以上機械の不具合を疑うことすらできない。
「それより、メートルは大丈夫だったかい? ほら、ホラーとかああいうの苦手って言ってただろう?」
「ああ、大丈夫ですよ。これは大丈夫でした」
「これは、なのか……」
アイスも食べ終わり、部屋の片隅にアイスの残骸を入れた後ベッドの上でただ駄弁る。それだけでも十分に私は幸せで―――どこか胸が痛い。その時彼があの時のように私の肩を寄せてきた。
「……ん」
「痛いか?」
「……痛いって、どこがですか?」
「どこでもいい、体でも心でもいいがとにかく、痛くないか?」
突然彼がそう言ってくる。もうすでに私の傷とかについては気づいているのだろう。いつまで隠し立てをできるかは分からないし隠し事をしていることで心証は最悪になっているかもしれない。けど、北欧のことだけはずっと隠さねばならないのだ。例え彼が知っていようとも私は、ずっと隠さねばならない。けど軋みは強くなる一方でもう限界に近いのは事実。だが―――私という罪人に課された罰ならば、誰かにその痛みを分けようとしてはならないのだ。
「痛く、ないです。そもそも仮に痛くても助けを求める手段とかがわかりません」
「……そうか」
思えば、彼の声は基本的に強く低くて声を聴くたびに鼓舞されるような気持ちになることもあれば女性にナンパとかしているときは耳元で撫でるような低い声になって女性をとろけさせようとしていたりする。私に向けられることはたくさんあったが例え嬉しくてもそれを素直に受け取ることが出来ない私の性質を少し、恨めしく思った。
「ならもう単純に助けてと云ってしまえばいいんだが……」
うーむ、と唸って考え込む。
「でも、それが出来ない……いや、あの時オレは確かに……聞いた……」
なにやらぶつぶつと云っている。そしてはっとひらめいたかのように彼は私に向かってこう言った。
「大丈夫だ、オレはアンタに深く骨の髄まで……愛している。それに婚約者が困っていたら助けるのは当然のことだろう?」
「あ、あー」
「少し、聞いてくれ」
彼の武骨な人差し指が私の厚い唇に触れる。思わず私は黙り込み、彼の言葉を聞くしかなかった。
「オレは現界するたびにこれと決めた女を愛する」
うん、ととりあえず相槌を打つ。
「それで今回現界されたオレは……アンタを愛する人と決めた、というか一目見た時からアンタを好きになった」
何度も聞いた言葉。何度も言われちゃ、これは事実なのだろうとぼんやり受け取っている自分がいた。それでもどこかまだ信じることができないのだ。
「とりあえず……アレだ。そうだな、ずっとオレはアンタのことを見ていた。うっかりとはいえ自分から謝ったり善良で規則を守ったり、自分にできることは何かと考えた結果自分で動いたり、それでいてどこか自分の趣味を大切にするところ。オレはそれが気に入った。おまけに善良だからこそ色々と堪える癖が見える。だからこそ、そうだな」
すう、と彼は息を吸う。もう、やめてくれ。私は貴方にとんでもないことを言ってしまいそうだからこれ以上、私のことを言わないで。
「―――蒼が何言おうともオレは嫌わない。素直に何を思っているのか言ってほしい。というより……」
「いや……こわい、怖いの……!」
思わず、声をあげてしまった。流石の彼も驚愕したのか口を止める。その現実を認識してなかったのか私は思わずつらつらと言葉を吐き出すように声を放った。
「……優しさが怖いの、その手が怖いの、声が怖いの、眼が怖いの、信じたいのに、裏切られるのが怖いの……!」
彼が何を言っているのかわからない。どういう顔をしているのか分からない。だから、もう開示できる範囲で言ってしまって嫌われてしまえとやけくそになった。なってしまった。
「貴方が裏切らないの分かってるのに、怖くて……信じたいのですが……分からないんですよ……」
ああ、と彼はいう。これは終わったなと私は思い立ち上がろうとした時だった。細い手首が大きな手に捕まる。
「そういうことか、言ってくれてありがとな」
そしてすぽり、と彼のももの上に頭が乗せられる。見上げれば赤い髪と青い瞳がこちらの視界に入った。
「多分、そういった事が少なかったんだろうな」
「……はい」
彼の眼に映る私はきっと酷く醜く見えるだろう。それでも彼は私の頬をそっと撫でて、優しく大きな口で何か言う。
「裏切られたこと、あるんだよな」
「……はい」
「そりゃ、信じられないよな……すまんかった」
「いいんです。私の方に、非はありますでしょうし」
「いいや、大丈夫だ。こういうのはそうさせた人が悪いんだ、メートル」
彼の膝枕で私はゆっくりと時を過ごす。少しだけ、細い蜘蛛の糸を掴めたような気がした。でもまだ彼に思いを打ち明けられるだけの度胸も心もない。そのうえ、まだ彼に私の泥を打ち明けられそうにはない。それでも私は、ほんの少しの罪に対する執行猶予をただ彼の傍で過ごすという幸福を味わった。
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