プリュイ

 ずっとやってきた試し行為を、彼は許しはしないでしょう。せめて嫌われる前に、いいやとうの昔に嫌われているのかもしれませんが、私に人を好きになる資格なぞないのかもしれませんが、せめてこの気持ちだけは、告解させてください。

◆◆◆

「―――それにしてもすごい雨だねぇ」
 ヘクトールがそういった後、雨具を身に着けていない女に目をやる。
「そう、ですかね?」
「あー、メートル。その雨だと眼鏡あんまり機能しないんじゃないのか?」
「……まあ、それもそうですけどあまり問題はありません。多分」
「あのねぇ、マスターも一応人間なんですよ? 冷えるのはあまりいけないんじゃあないですかね?」
「大丈夫です、体はまあ丈夫ですから……」
「……風邪は万病のもとというだろう? あまり自分の体を痛めつけるな」
 蒼は目を伏せて、一拍置いた後二人に指示を告げる。
「ええ、そして今回のノルマは……一体の敵を索敵して殲滅、だそうです」
 しとしとと雨が降る。それでいて指示は聞こえたのか二人はこくりと頷いた。
「今回はあまり増援が見込めないが、あと敵を一体倒せば終わりという想定ですね」
「へーへー」
「ウィ」
 女は当たりを見回す。森ではなく、街。古城やら西洋のファンタジーものでよく見かけるような街であるが敵によって廃墟になっている、というシミュレーターの設定らしい。誰も人は、いないようだ。
「では……訓練開始です」
 蒼は瞬時に場を見極める。そして二人に散開し索敵することを指示した。

◆◆◆

「―――こりゃ、まずいな」
 遠く、遠く街はずれの森までやってきたヘクトールは敵を探しながらも彼女に関しての思考を続ける。いつもの自分自身を痛めつけるようなそぶり、陰鬱な表情。そして通常であればいざという時のためにサーヴァントを一体控えておくのが基本であれど彼女はそれをしなかった。そして一回だけあった事件が胸をよぎる。
「多分だけど、再開してるよなぁアレ」
 さて、バーで話し合った時に口を噤んだアレについて話そうかと輝く兜は思考する。彼女のためにも、彼のためにも話さねばと決意した。

◆◆◆

 時同じくして一人の砲兵も森を索敵していたがほぼ同じことを考えていた。ただ距離は遠く、遠く離れていく。
「いざという時は令呪で呼び出すとか言ったが……本当に大丈夫なのか?」
 深く、深く。遠く、遠く。ざあざあと雨が降る中駆ける。されど目的の敵は見つからぬまま。流石にこれ以上の深追いはまずいと判断し彼はヘクトールとの合流を急いだ。

◆◆◆

 合流自体はうまくいった。マスターとのパスはいまだ繋がっていることを確かめ合って安堵し、二人一組で行動しだす。
「ところで―――あの時バーにて話すことはないと云ったことだけど」
「どうした、ヘクトール。それがどうか……」
「……彼女に関する状況が状況だ。とりあえず今は大丈夫そうだから手短に話す」
 かくしてヘクトールはナポレオンにだけ聞こえるように話し始める。彼が観た、彼女の抱える地獄の一端を。

◆◆◆

 男―――ヘクトールは一度、一人の女の自殺未遂を止めたことが或る。その時は手に強化されたシャープペンシルを持っていて、露出した左腕からは赤い血がぽたぽたと流れていたのを必死に手当して、道具を取り上げた。
「―――痛かっただろう?」
 そう彼が問いかけても彼女はただ黙っており、涙を流すこともなかった。ただ彼によって握られているシャープペンシルを見上げるのみ。
「どうして、やったんだい?」
 決して咎めないように、あくまで親が子供に問いかけるようにして語り掛ける。女は呆然としたまま口を開いた。
「ただ、苦しかったから」
 それ以上は決して、口に出すことはなく、ただヘクトールは蒼の手を握りしめた。彼女はその手がほどかれた後ゆっくり何処かへと歩みだす。
「医務室、行ってきます」
 それ以降、決して包帯が巻かれるようなことは、彼目線ではなかった。

◆◆◆

「そういったことがあったのか」
 ナポレオンは、ヘクトールから告げられた事実を噛み締める。雨はいまだ降り続け、気づけば元居た場所へと付近へと戻っていた。
「そういうこと。彼女の口から絶対にいうなといったからね、云わなかったのよ。でもねぇちょっと彼女の様子を見ていると危なげだったからあんたにだけでも教えた」
「恩に着る」
 すう、と息をのむ。一瞬、背後に異常な何かを察知した彼らは息を合わせて振り返り、敵一体に攻撃を集中させた。瞬間、敵は断末魔をあげて消滅した。
「……ふう、これで終了、か」
「お疲れさん、さてマスターは……いた」
 女はどこからか確認したのか遠くから彼らに歩み寄る。
「ありがとうございます、お疲れさまでした。では……」
「あ、オジサン先戻るよ。ちょっと坐骨神経痛が再発して……」
 な? とヘクトールはナポレオンに目配せをする。意味を察した男は無言で頷いた。
「分かりました、ヘクトールさん。私は状況確認してから戻りますね。えっと……」
「あー、オレはオマエさんにお供するぜ。一人いた方がいいだろ?」
「あ、はい……」
 女は男に向き直る。雨に濡れたまま、彼女は頷いて状況確認に移った。

◆◆◆

 変わらずにざあざあと雨が降る。石で覆われた路上に水は跳ね返り女の体を全て濡らす。コートを羽織っているからこそまだいいが、もし脱いでいたらどうなっていたか、というのをナポレオンは空想したが、今はそういう時じゃないと薄々感じていたので出来上がりかけの夢想画を脳裏で破り捨てた。錬金術の応用で魔力の残滓を測定し、判断する。現代の刑事もので見た科学捜査のようだと男は感心した。
「結構、すごいんだな」
 女は無言で作業を進める。そして何かに書き留めた後立ち上がり、彼の方へとむきなおった。
「これで、終わりました。では―――」
「いやいや、ちょっとまて。もう敵はいなくなったんだろう? なら……少し、雨宿りしようや」
「いえ、大丈夫です。雨宿りできそうな場所なんて……」
「あそこに廃屋がある。少し拝借するだけだ」
 ほら、と男は強引に彼女の左手を掴んで廃屋の方へと進んでいく。女はうつろな目のまま彼についていった。

◆◆◆

 廃屋は、一階建てで屋根はあるけど内部は誰かによって荒らされていた。普段であれば罪悪感がすごいがシミュレーターであるからか恐る恐るであれば入ることが出来た。
「お邪魔します……」
 薄暗く、光のない部屋。女はただ其処に佇もうとしたが男によってそれは許されないままであった。
「ここなら、大丈夫だな。もう濡れることはない。それよりメートル、着替えは……」
「……ないですし、多分望みは薄いでしょう」
「そうか。それより……コート、重くないか?」
 あ、と女は自分の着ていたコートに気づく。冬用のそれは水を吸っていて、かなり重量を増していた。女は躊躇わずにコートを脱いで、部屋の片隅で水分を搾る。ぴたりとした黒い服は彼女の体のラインを示していて、色の効果でそうは見えなくとも、双珠はそれなりの大きさを示している。左腕は、不自然なまでに太い。
「……オーララ」
 小さな声で、男はつぶやく。今まで彼女の知らなかった一面。それを目の当たりにした彼は心の中で喝采した。だが頭は即座に切り替えて左腕の方に意識を切り替える。蒼自身が傷つけた体の証、それに至るまでの嘆き。もう彼はその行為に至るまでの全てに耐えられず、思わず彼女に抱擁した。
「―――あ」
 コートが地面に落ちて、ぴちゃりとなった。
「だ、だめ。私になんか……」
「なんか? いいやオレは―――オマエさんがいいんだ」
 ぎゅ、と男の抱きしめる腕の力が強くなる。女は何があったのかと戸惑うがすぐに気づいた。
「だめ、だめ……だって、見たんでしょう? 私の、私の……」
「私の、なんだい?」
「―――左腕」
 絞るような声色で、女が言う。しかし何を思ったのか彼女は、彼の服に縋りつくようにしがみ付いた。
「きちんとは見ていない。だけどそれを見てから何があったのかは察することは出来る」
「―――う、うう」
 ずばり、と言い当てられた女は崩れ落ち、冷たい地面にぺたりと座り込む。ただただ女は濡れたまま俯いて涙ともわからない水滴をぽたぽたと垂らしていた。
「ああ、ほら、大丈夫だ。オレに―――」
「貴方にだけは、知られたくないと隠してたんですよ!」
 突然の叫び声。初めて聞く声色に男は一瞬だけ怯むも落ち着いて腰を沈めて彼女と同じ目線になろうとして跪く。自分自身を傷つける癖、もう二度とやるまいと決意すれど結局やった己の弱さ、そして自分自身を罰せずにはいられない性質。せめて彼の前では普通の女の子でいようとしても結局それは無駄で、彼にほだされたことで少しではあれど表に現れてしまったこと、そして信じたくてもできない、裏切られたことがあると彼に告げたこと。今までのことが、彼女の心を覆った。
「貴方が好きだから、せめていい子でいようとしたのに! 善良な人でいようとしたのに! 何もない女の子でいようと思ったのに! 全部、全部……あなたが……」
 泣き声交じりの告解は、まさになりふり構わずといったところだった。姿を暴かれた女は、もう嫌われたものだと思い開示できるだけのことを、全て吐き出した。
「―――いいや、私がいけなかったんです。好きだから、信じたかったのに。貴方の善意に縋りたかったのに、私の身勝手な理由でそれを突き離そうとした。それ以前に、私は―――貴方を恋い慕う資格なんて、助けを求める資格なんて」
「すこし、静かに」
 ほら、と男に顔をあげるよう促された女は顔を恐る恐る上げる。すっかり濡れた顔は涙が流れているのかすら分からない。男はそっと女の頬に自分の手を添えて厚い女の唇に、自分の唇を重ねた。

 触れるだけのそれは、優しく、離れた。
 まるで優しく、その瞬間だけ絵画として切り取られたようだった。

「―――」
 そっと唇が離される。女はただ何も言わずに彼を見た。青い瞳には、醜い私がいる。
「そんな資格、オレが好きというだけで十分だ。オマエさんの場合頑張ろうとしてから回って、しかも自分自身が大嫌いという。それに……いやこの後は帰ってから聞くからな」
「あ、あー、ちゃー」
「大丈夫だ、オレは……オマエさんの婚約者だ。今さっき蒼の気持ちを聞けたからまあいいとして……やっぱり、もう一度言ってくれないか?」
 ほら、と王子様は彼女の肩に手を置く。いくらか落ち着いた彼女は、彼にだけ聞き取れるような泣き声で告げた。

 ―――私、あなたのことが、だいすきです。あいして、ます。

「……ああ、オレも、大好きだ」
 もう一度優しく口づけをする。暖かく、じわりとしそうだなと女は思った。

◆◆◆

「……とりあえず、円満で終わって何よりだ」
 物陰にてひっそりと槍兵は言う。カルデアに帰還すると云ったもののやはり心配したのかこっそりついてきて一部始終を見守っていたのである。もし彼女が流血沙汰を起こそうものなら彼は友誼の証明にて彼女を無力化して連れて帰ろうとしていたがそれもなく、終わって旨をなでおろしている。
「まさか、きちんと結ばれるなんて、ねぇ」
 男はちらりと皇帝と一般市民の女が結ばれたのを確認したのちカルデアへ帰還した。
「しかし―――何かを彼女は隠している。それも、きちんと救うんだよ」

◆◆◆

 そしてヘクトールより遅れて帰還した二人は「びしょ濡れじゃないか! 早く着替えてきなさい」とダ・ヴィンチちゃんに云われたのでマイルームにておとなしく着替えることにした。ナポレオンは霊体化してまた実体化すればいいだけであるが蒼の場合はそうはいかない。彼女は一人でシャワールームに入り、体を温めた後で寝間着に着替えた。長袖でゆったりとしたシャツとズボンに雑に束ねられた髪と眼鏡。珍しい彼女の姿を見た男はこれを独り占めしていいものか否いいんだと結論付けた。
「……あ、先ほどはお見苦しいところを見せて申し訳ありません、ナポレオンさん」
 ぺこり、と蒼はお辞儀して詫びる。男は気にもせずに椅子を用意した後、座って彼女をベッドのすみに座らせるように促した。
「いや、いいさ。それより……オレの真名で呼ぶのもいいがもう一つのなんだ、ダーリンとかそういう呼び方も……」
「そ、それはまだ恥ずかしいので勘弁してください……!」
 女は思わず俯いて手をつきだす。
「なあに、恥ずかしがることはないだろう? もうすでに……ん?」
 男は笑って彼女の手を取って令呪のある右手に口づけを落とす。そしてちらりと見えた左腕が気になったのかまじまじと彼女の袖の上から見た。
「ああ、あの……やっぱり、気になってしまいますよね……これ……」
「まあ、気になるっちゃ気になるが……まくってみても大丈夫かい?」
「……あなたが大丈夫というのなら、いいです」
 彼女の傷跡。男はそれを見ようとして彼女に許可を得る。すんなりと通ったことに感謝しつつ、ゆっくりと彼女の袖をまくった。
「……」
 細く、たくさんの傷が白い肌の上にあった。どれだけ彼女が自分自身を嫌っているかを示していて、どれだけ嘆きの底にいたのかを示す痕。
「最初は、気の紛らわしでした」
 小さな声で告白する。男は黙ってそれを聞く。
「ここに来る前に、いじめられて、親友と思ってた人に裏切られて、もう死のうかと思って、こうなったんです」
「そうか」
「……そうなる前から私は、自分自身が大嫌いだったんです。どれだけ頑張っても周りがダメというのですし、そういうものだと思ったんです。実際私自身あまり何やってもダメでしたし」
「でもオマエさんはカルデアにいるじゃないか。技術力とか、錬金術の力を認められてここに来たんだろう?」
「―――ええ、まあ」
「なら、十分に誇るべきじゃあないかねぇ。しかもレイシフト適正もあったりとか」
「まあ、それに関してですが……あの日死のうとして、あの冬木にレイシフトして判明したというあれです」
 そっと傷跡を袖で覆い、左腕を撫でられる。彼女は反射的に目を閉じた。
「……目を、開けてくれ」
 男の言葉に何事かと思い女はそっと眼を開ける。そこにいたのは、いつものように優しい彼だった。
「もう、大丈夫だ。ああいうのはいじめた奴らが悪いというのは第一前提として……たやすくオマエさんの傷についていうことはあまりしてはならんのかもしれんが……泣きたい時はオレにいってくれ。胸を貸すから。助けてほしいのなら、躊躇いなく助けを求めてくれ」
 蒼は思わず目を見開く。思わず自分の手を握った。ゆっくりと女は震える声でナポレオンに言う。
「……いいんですか、本当に私で。私が……婚約者で。私が、貴方に助けを求めて、貴方の前で泣きだして……」
「いいんだ。むしろオマエさんがいいし、婚約者の助けも涙も全て、受け止めるさ」
 はう、と女の息が飲む音がした。そしてそのまま泣き崩れた。男は立ち上がり、彼女が座っているベッドに一緒に座る。
 ―――助けて、助けて、助けて
 ―――助けるさ。可愛らしく善良で、落ち着いた声で囀るオレのお姫様。
 男はただ、女の嘆きを受け取める。小さく壊れそうな肩を抱きしめて、頬を伝う涙を拭ってやっていた。彼女への愛の言葉を共にして。

◆◆◆

 かくして、彼と彼女は結ばれた。しかし、彼女の泥はいまだ纏わりついているまま。

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