気持ち悪い日々が、続いた。
あのジムチャレンジの番組を両親は見たのか知らないが急に人格というプログラムが変わったかのように私に優しく接している。何も助けてくれずに厳しく当たっていた親たちが無駄に優しく、私に気を使ってくる。まるでこの現実がホラー映画のようだった。妹には常々気を使っていたくせに、ずっと優しく接していたくせにどういうつもりだ。
「よく頑張ったね」
ずっとその言葉が欲しかったはずなのにいざ言われると陽の感情が一切わかない。その言葉すら信じられない。テレビのブルーレイのハードディスクの録画を見せてくれたけど私の映像は全てあった。色々話をしてくれたがどうもその言葉が耳に入らない。ずっと秘密にしているダンデさんとのあれこれについて聞かれなかったことから、彼は本当に約束を守っているらしい。その事実は私の胸をひどく締め付けた。私は約束を守れなかった悪い子だから。
「でも倒れるくらい追い詰められていたなんて、もっと早く言ってくれればよかったのに」
うるさい、私がいじめられていた時に相談しても「自分でどうにかしろ」と返したくせに。あなた方はなにもしなかったじゃないか。そんなことをいわれても何も信じることはできそうにない。メーデー信号を無視して私を追い詰めた前科がある以上、いっても無駄だと私が判断したから言わなかっただけだ。
まるでホラーのような環境、私はそこから抜け出したくて両親が留守の間を見計らって白昼堂々、私はキルクスタウンの自宅から抜け出した。幸い今日は何もないのか他の人はちらほらとしか見られない。いつもこれくらいの人だったらいいのにと心の中で呟きながら私はアーマーガアタクシーへと乗り込んだ。
「おお、お嬢さん。どちらへ?」
「シュートシティまで、お願いします」
「はいよ」
小さな鉄かごの中に入り、あの時と同じように高く、高く舞い上がる。白昼堂々のたった一人の逃避行。ただし今は私と共にある命がある故にその鉄かごから飛び降りる、なんてことは出来なくなってしまった。
今、私にはポケモンたちがいる。六体どころではない。沢山だ。ジムチャレンジの時に捕まえて、育てて、キャンプを共にした仲間たちがたくさんいる。彼らを残して自分ひとりで勝手に死ぬなんてことは、あの時リオルを捨てたあのトレーナーと同じ場所に落ちることになる。故に私は、死ぬときは誰かにきちんと託してから逝くことにした。結局自分勝手であるということに変わりはないが。
ばさばさと、無言のまま揺られてにぎやかな街へとたどり着く。あの日以来のシュートシティ。栄華は永久に続くと言わん限りの大賑わい。白線が引かれてある場所に籠は下りていき、運転手がアーマーガアから降りてきてドアを開けた。
「楽しんで」
お客さんを送る言葉に一瞥して私はふらふらと喧噪の中を泳ぐことにした。ただ逃避のために来たのだからその折角の逃避行は楽しいものであるべきだろう。いや、そんな逃避行はあってはならないのだろうけど。
とりあえず何をしようか。あの時は全然楽しむという思考すら頭になかったので何を楽しめばいいのかわからない。テレビで見たような大観覧車やら、ローズタワーやら、スタジアムやらカフェやら多すぎてわからない。このまま突っ立っているのも通行人の迷惑になるので彷徨ってみることにした。
当たり前のように雪は降っておらず、全てが輝いて見えている。ジムチャレンジの時は騒がしくて圧がすごい街だったはずなのに。多分私の精神性がこうさせているのだろう。音楽の店、お菓子の店、お洋服の店、なんかもう、くらくらしてきて情報量が追い付かない。はやく視界情報を遮断させてどうにかしないと……いや、それよりなんか思ったよりなんか、ガラルの中心地だからか、人が、多い。早く避難しないといけない。適当に走ってひときわ大きな観覧車のもとにたどり着く。ここなら個室だ。きちんと並んで係員さんに乗車賃を払う。そして逃げるようにゴンドラの中へと入っていった。
◆◆◆
黄昏色のシュートシティを高いゴンドラから眺めた後、すっかり東の空が夜のそれになっていた。いつまでいるかということすら考えていない。ふと端末を確かめてみる。親と名乗る人からの着信履歴がたくさんたまっていた。幸いマナーモードにしているだけ煩くなくてよかったが、これ以上ここにいると色々大変なことになるのでカフェで一服してから帰ることにした。
「……これでよかったの、かな」
家から出た時間がお昼をゆうに過ぎた時間故か、日が落ちるのがとても早い。こんなことになるのならもう少しだけ早く家を出た方がよかったのかとほんの少しだけ後悔しつつがらんどうの店内へと入っていった。
「……」
もう利用者はすでになく、24時間営業のカフェは店主と店主さんが飼っているマホイップのみがいる状態。それ以外は、私しかいなかった。これじゃ少し寂しいので手持ちのルカリオを外に出す。
小さいボールから出てきた彼は、唸り声を上げた後すぐ場所を理解したのか大人しく私の隣に座った。ひゅう、と店主さんが口笛を吹いた音が聞こえたがどういう意味か、わからない。とりあえず私はこのまま何も頼まずにいるのは少し心苦しいので適当になにか特製ケーキと珈琲を一杯ずつ注文した。
「……ネルソンは、甘いの大丈夫?」
そうルカリオに尋ねたら目を細めて首をぶんぶん縦に振った。どうやら私のルカリオも甘いものは大好きらしい。
「まるで、昔読んだ波導の勇者のようだね、貴方は」
そういうと彼は更に上機嫌になったのか体を左右に揺らし始めた。まるで幼い子供のようで見ているこっちもほほえましかった。そうこうしているうちに注文したものがやってきた。
「はい、特製ケーキと珈琲ね」
「ありがとうございます!」
ごゆっくり、と店主さんは言ってバックヤードに下がっていく。誰もいない夜のカフェ。私とルカリオは目の前にある食べ物に感謝を捧げた後で一緒に手をつけようとしたときだった。
「やあ」
ドアのチャイムとともに男がやってきた。目深にかぶったキャップ、紫の長い髪、褐色肌。どうあがいても、あの男に違いない。どうして、どうして貴方が―――ここにいるの?
「相変わらずシュートシティは奇々怪々だなぁ。どこになにがあるか――リザードンがいないと迷ってしまうよ」
にこやかに男は店主の男に話している。店主さんはというと明るい顔になってゴマをするような雰囲気になっていた。隣のルカリオをそっと見ると何食わぬ顔で黙々とケーキを食している。あの店主さんには余程濁ったものはないらしい。私はとりあえずここに長居したらなんかまずいので急いで食べて立ち上がろうとした。ときだった。
「―――おや」
ちらり、とキャップの下の黄金の瞳が私を覗き見ていた。まずい、気づかれた。
「ルカリオじゃないか!もしかして君がそのルカリオのトレーナーかい?」
――よかった。焦点がネルソンの方に行ってた。だが私の方にも声はかけられている。粗相のないように返事をせねば。
「あ、はい。そうですが……」
「そうか! 君がか! それで……彼とはどう出会ったんだい?」
「――あ、それは。まぁ、リオルの時から……ですね。キルクスの街で」
「なるほどなぁ。それで前座ってもいいかい?」
「あ、はい」
ありがとう、と言いながら男は座る。そして店主さんに紅茶とケーキを頼んだ後帽子を取って話を続けた。
「しかし、偶然だな。オレのこと覚えているかい?」
「あ……は、はい。ダンデさん、ですよね」
「覚えてくれてありがとう、ミスミくん」
何事も、なかったかのようにダンデさんは笑顔を浮かべながら話している。流石にチャンピオンとして色々あるのかあまり踏み込んだ話は向こうからしてこなかった代わりに私のことを沢山聞かれた。家のこと、日常のこと。いいたくないことは適当にごまかしてとりあえず今はなんとかやっていけている、とだけ彼に伝えると満足しているかのように首をうんうん縦に振っていた。
「まぁ、ルカリオ、もといリオルと出会いまして……色々あって進化しました」
「色々って?」
「ジムチャレンジの途中で……。一応、ジムチャレンジにも……頑張って、挑戦したりしました」
「すごいな! そして彼と戦いの中成長していったのか」
「――そうだと思ってたんですけどね」
「?」
まるで純粋無垢な子どものように彼は頭上に疑問符を浮かべている。まるで戦いの中成長するものであることが当然であるかのように。そしてその後うんうん唸った後ですっと顔を曇らせて全てを察したかのように眉毛をハの字に下げた。
「……そうだったのか。色々あったんだな、君は」
「ええ、色々、ありました」
静かな夜のカフェに、重い空気が流れる。隣のネルソンはスイーツを食べ終えたのか行儀よく口元を自分で拭いた後で目の前のチャンプの顔を見据えていた。
「君は、もう一度あの場所に立ちたいかい?」
「あの場所、とは?」
「シュートスタジアムのことさ。君の本気を、その隣にいるルカリオとのコンビネーションを見ていたい。だから……君のことを推薦しようと思っているんだ」
目の前のチャンピオンに手を差し出されたような感じがした。おそらく、次のジムチャレンジへの推薦の話かもしれないが、もう、あの吐き気のするような悪夢に立ち向かうだけの気力は既にない。以前マイナーリーグの飛行タイプのジムリーダーさんに色々あって推薦して貰えただけでも幸運なはずなのに、約束を果たすチャンスだったのに、私は無駄にしてしまったのだ。きっと今ここで頷いてもそれを無為に帰すだけのことである。
「その、ダンデさん。ごめんなさい。多分もう私は……立てません」
一瞬の沈黙が重苦しい。人からの提案をとっさに断ってしまった。ああ、だめだ。怒られる。人からの提案を無下にしやがってと怒られるんだ。きっと。
「ごめんなさい、ごめんなさい。提案を無下に……」
「わかった。だからそんなに謝らなくていいから顔を上げてくれ。君のルカリオがほらおどおどしてるじゃないか」
ダンデさんがそう言ったのでちらりと横目でネルソンを見る。どうどう、と私をいさめるように手のひらを見せていた。ああ、本当に情けない。私がポケモンにこうされるなんて。
「あ、あ……わ、わかりました」
「まあ、大丈夫。それはそれとして……相当君はいい人、なんだな」
「……そうでしょうか」
「君、そこのルカリオと一緒にいるときの写真はあるかい?」
「ええ、まぁ」
「良ければぜひ見せてくれ」
では、ということで私はスマホロトムを起動させてためらいなく写真フォルダを開いた状態で彼に見せる。キャンプで他のポケモンと一緒にカレーを作った時のこと、エンジンシティで機械仕掛けのエレベーターを背に記念撮影したときのもの、そしてどこかの森で道に迷ったときのことやらナックルシティの宝物庫。あの時の恐れと共に戦ったあの日々は、既に遠い日々のよう。
「なるほどなぁ、一緒にいたんだな、ずっと。あ、ありがとうな、見せてくれて」
「ええ、まぁ。どういたしまして」
では、とダンデさんは目の前で立ち上がる。どうやらもう帰るらしい。行く前に、早く言わないと。
「あ、あのその、約束……果たせなくて申し訳ございません!」
そう私が言った瞬間、ダンデさんは立ち止まって優しい笑顔で言葉を紡いだ。
「大丈夫だ、気にしてないしそれに、いつかそれは果たされるから安心して生きてくれ」
そう言った後、彼は風のように去っていった。代金をスマホロトムで支払った後で。
「……」
そして私は通知に初めて応答する。手早く端末を操作して「すぐ帰る」とメールを打った後、飲食代を支払ってキルクスタウンへと帰ることにした。
……まさかあの食事代をダンデさんが払っていったなんて思いもしなかった、が。
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