断章:1

 翌日、昼下がりのライブラ事務所にて、スティーブンはこれから調査する予定の組織に関する資料に目を通していた。またそれとは別に男の手元には、一人の人物に関する調査結果の書類がある。顔写真はアジア系で、黒髪は後ろに一つにまとめられている女性。名前の欄には坂本今宵と書かれていた。
「どうしたのかね、スティーブン」
「……ああ、クラウス。少し調べものをね。違法な異界のテクノロジーを用いた手術をヒューマーに施しているという報告があってね……」
「その報告だが少しそれについてこちらでも少し調べてはみた。……驚くべきことに既に大崩落の直後から行われていたそうだ。それで、その数少ない生還者の一人は君が持っている資料に書かれてあるミズ・坂本だろう?」
「そうだ、確か……その彼女が絶対忘れないようような能力を身に着ける手術を施された女性かい?」
「ああ、そうだ。その脳手術の名前はニ・ザブウェーニェ・パーミチ。非忘却記憶と呼ばれているらしい。裏社会では有名な都市伝説で『レクス・メモリアエ』という存在がやっているらしいが……それ以外は不明だ」
「……非忘却記憶の少女か……」
 ふむ、とスティーブンは資料に書かれた少女の顔写真を凝視する。証明写真に映った彼女を見て彼は少しだけ唇を噛み、以前路地裏で出会い、救った女のことを思い出した。

「結構です、この世界の見えない場所でひっそりと死ぬので」

「――その子だけど……近いうちにセント・アラニアド中央病院から退院するそうだ」
「……接触したのか? スティーブン」
「まあ、ね」
「ああ、で彼女の様子はどうだった?」
「幸い体は大丈夫そうだったが……はっきり言って精神の方は参っている。端的にいうといつ死んでもおかしくない状態だ」
「……」
 クラウスはコーヒーを一口啜り、一息ついたところで眼鏡の奥にある目を伏せる。そして無言でこぶしを握り締め、牙のある口から息が漏れ始めた。スティーブンは肩をすくめ、クラウスの鬼気迫る様子を見て資料を置いた。
「クラウス、彼女の件は僕が引き受けるよ。それに一応念のために僕の連絡先は彼女にも渡してあるし、何か情報が聞けるかもしれないからね。それに……彼女を死なせたくないのは僕も同じだ」
 スティーブンは女の報告書をファイルに丁寧にしまい込む。そしてスマートフォンの通知確認をした後、スーツのポケットにしまった。
「ああ、ではよろしく頼む。スティーブン」
「任せてくれ、クラウス。それと、これはあくまで僕個人としての意見だけど……」
 クラウスが首を縦に振った後、スティーブンはまた口を開く。ほんの少しだけ真剣な声色で彼は言った。
「忘れることのない記憶であれば、彼女の脳に詰まってる情報を狙う組織が多くいるだろう。それにそれ以外にも情報は多く持っているはずだからきっと、彼女は役に立つ。僕としては彼女をここに引き入れた方がいいと思うんだ」
「……それも、そうだなスティーブン。彼女がいいと言った時は私たちで歓迎しよう」
 そして二人は一緒にコーヒーをすする。その時、無機質な電子音がスティーブンのポケットから鳴り響いた。
「……はい、スターフェイズです……ああ、うん……」
 クラウスは、ただコーヒーを飲みながら電話越しにうんうん唸っていたり時折言葉を発するスティーブンを見ている。少し落ち着いたのかコーヒーカップを握る手は相応の力になっていた。
「……分かった、後でメールするから少し待っていてくれ それじゃ」
 電話を切り、男はコーヒーを飲み干した男に向かってほっとしたような笑顔で言う。
「クラウス、件の女の子だが連絡はついた。任せてくれ」
「すまない、スティーブン。世話をかけて……」
「大丈夫さ」
 ふと、スティーブンは窓の方を見る。灰色の空と霧の中からいつものように触手が現れ、びたびたと動いた後霧の向こうに消えていく光景を眺めた後でふらりと行くべき場所へと向かっていった。

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