――ピピ、ピピピ
まず、覚醒と無意識の境界にて規則的になる音を認識する。自分が何処にいるかすらわからず、まるで彼岸を彷徨っているようにすら思えてきた。
「――で、この――――は」
次に、何か言葉らしい言葉を誰かが喋っているのを認識する。これは、知っている誰かの声ではないということはなんとなくわかった。おそらく私のことらしい。
「――――ですか、えーと、とりあえず――に――します?」
また、別の声がする。どうやら他の人がいるらしい。だが、何を言っているのかはところどころ途切れてよく聞こえない。
「その方がいい、だけど――が目を覚ます――――に――のでしょうかね?」
「とりあえず、彼女を運んできた――――してみますか?」
「いや、――――を覚ました後が――でしょう」
段々ノイズがクリアになっていき、それに比例するように光が溢れてくる。真っ白な服に天井、カーテン。きっとここは天国なのだろう。
「――ああ、やっと死ねるのか」
ふと、どこか気を緩めたような感覚で目をゆっくり開ける。そして、死後の世界に足を踏み入れた。
「――――」
目を覚ました後、飛び込んできたのは生きた人たちだった。色という概念がまるでないような周囲、そして看護師らしき人物が傍らにいた。
「あれ、ここは……」
傍らの看護師に此処は何処か質問する。看護師はこれでもかというほどの笑顔を私に向けて答えた。
「お目覚めに、なられましたか。ここは、セント・アラニアド中央病院です」
「病院、ですか。つまり、その……私は、生きているということですか?」
瞬間、目がくらりとしたがどうにか正気を保って私は看護師さんに確認する。病院ということは、もしかして私は――死に損なったのだろうか。そんなことは万が一にでもあってはならない。ならないのだ。
「ハイ、貴方は大変な大けがをして、三日ほど目が覚めなかったんですよ~」
――なんて、こと。
「……私が危篤状態になったことは」
「少しだけ危ない状態にはなりましたが、我々の手で今こうしてあなたが生きているというのが何よりの証拠です」
「そう、ですか」
「まぁそうですね。あなたぼろぼろでしたし腕の切り傷もたくさん、そしてまあ……あざだらけ。一体全体どうしたらこんなになるのですか?」
「よくあることです。本当によくあることです」
「とにかく、あなたは安静にしていてください。いいですね?」
「わかりましたわかりました……。それで、その、あの、どうして私はここにいるんですか?」
「ああ、それはですね……あなたを運んだ人がいたんですよ。スティーブン・A・スターフェイズと名乗ってましたね」
こち、こち、こちと時計の秒針が時を刻んでいる。その音がかなり響いていて、やけに静かだなと感じた。まさか、私を生かした人の名前を聞くことができるとは思えず少々拍子抜けこそしたが、ひとまず余計な事をした人のことを知ることができたのは人生最後の幸福とでもいうべきか。看護師さんもまさか私が死にたがり、なんて思ってもいないだろう。そんなことを表に出せば色々面倒なことになりそうな気がしたのでここはとりあえず生きていてよかった、という感じのことを言っておこう。
「ありがとうございます。その、彼から名刺とかもらってはいないのでしょうか? 助けてくれた彼にお礼を申し上げたいので」
「あー……申し訳ありませんが、そういった類のものは受け取っておりません」
「……ありがとうございます」
看護師は申し訳なさそうに答える。名誉とか気にしないのか、それとも素性を知られたらまずいということか。どちらにせよ名前以外の手掛かりがない、という現状を知った。そして看護師が医者を呼びに行ったのを見計らい、スマートフォンを開き、早速男の名を調べた。だが、彼の名前で検索すれど検索エンジンにはヒットせず、一人で肩を落とした。
かくして無為に病室で過ごす日々が増えていく。その中で私は自分の体に繋がれている医療機器を外そうと試みても看護師の巡回が非常に多く、実行に移すことは退院の日まで叶わなかった。
入院者も変わっていき、どこの町がどうとか、あの町の近所の話等入ってくることはあったがその流れに入ることはできず、そしてスティーブンという男についての話題が上がることはなかった。
そして、自分をここまで運んだスティーブン・A・スターフェイズなる男について調べようともベッドの上からでは何も得られるものはなかった。もしかしたら、ごく普通の一般人かもしれない。それか、検索してはいけない人だからこそ、情報がないのかもしれない。そう私は直感した。何故なら――斯様な男にまつわる噂は一つもまったく知らなくて、私の記憶にもない男だったからだった。
◆◆◆
カレンダーはめくられ、私が入れられた時にいた患者が何度も変わったある日のこと、退院日は決まった。
「明後日にも、退院はできそうです。おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
から返事を医者に言い、退院までの段取りを一通り説明される。医者からもたらされる自分の生存、並びにこのHLでまた生きていけること、そして一般的に帰るべき場所――家族の元に帰ることが出来ることへの祝福は、呪いへと変換される。早く、死にたいのにどうして生存を目の前の人たちは自分のことのように喜んでいるのだろう。
「――ところで、ご家族は?」
「日本です。それに、このような場所に来て欲しくないので家族の元へと連絡しないで欲しいです」
「親孝行ですね、感心感心」
「……」
「ところで、坂本さんは家族に連絡しないとして、どこか知り合い等あてはあるのですか?」
「ありません」
「……分かりました」
そして、私は退院の準備をするために病室へと戻された。
◆◆◆
退院前夜、一通り荷物――とはいえ、小さいバッグに収まる程度だが――をまとめ終えた私はベッドで病院最後の夜を過ごしていた。
「……冷たい」
今日の病室はいつにもまして、ひやりとしていた。今日は雪でも降るのか、とぼんやり窓から見える風景を眺めている。まるであの路地裏で感じたような寒さだった。あの時、彼が余計なことをしなければ私はあのまま死ぬことができたのだろうに。
そのとき、かつかつと軽快な靴音がこちらに近づくのが聞こえた。病室に入り浸りすぎたのか、それとも自分をここまで運んだ元凶について調べたのが間違いで死神でもやってきたのだろうか? ともかく、本当に死神なら早く私を殺してほしい。生という苦しみから逃げたいし、なにより生きていていいことなんて何一つないからだ。
「もし、死神ならさっさと私の魂でも奪ってくれませんか?」
寝ている者が目覚めぬよう、独り言のように漏らす。そして、その返事はすぐに返された。
「残念ながら、僕は君の死神ではない。君をここまで運んだ者だ」
それは聞き覚えのある声、否、あの時路地裏で自分自身を勝手に救った男の声とひどく酷似していた。思わず私は声のする方を向く。
そこには、あの時会ったスーツの男がいた。黒く、闇に紛れるかのような身なりに涼し気な目元。あの時会った時と全く同じ位置にある傷。
「……スティーブン・A・スターフェイズ……!」
「おや、お礼も言わず僕の名前をいうのかい?」
どこでその名前を知った?と笑顔で私に聞く。あの時と同じように私は正直に、震える声で答えた。
「看護師が教えてくれたのです。何故ここに運び込まれたかを聞いたら教えてくれたのです」
「そうか、それで……気分はどうだい?」
「文句を言いたい気分です」
「文句、とは」
「――何故、私を生かしたのですか?」
ひゅうっと冷たい風が窓から入る。カーテンと彼のくせっけが揺れる。男はゆっくりと笑顔を浮かべたまま口を開いた。
「そうだな、ただ君が気になった。それだけのことだ」
「本当ですか?」
「それは、想像に任せるよ」
にこり、と男は微笑む。どこか裏がありそうで、私が他の人でよく見た笑みのようでそうではないかもしれないと思案する。今一つ、彼のことが掴めない。
「それで、何故ここに来たのですか?スターフェイズさん」
「端的に言うと、君を迎えに来た」
「は?」
わからない。わからない。わから、ない。初対面同然の私を、病院に運び込んだ後で迎えにいくなんて、一体全体何がどうなっているのだろうか? 情報が足りない、なにも、わからない。
「……すみません、迎えに来たってどういうことですか?」
「そのままの意味だが? もし、退院したとして行く当てがないのなら僕の元で……」
「結構です、この世界の見えない場所でひっそりと死ぬので」
「……あのなぁ、君。ここはHLだ。いつどこで死ぬのか分からない世界で最も剣呑な街ということは分っているな?」
「はい」
「どこにいようとも、死の危険は常に付きまとう。生還率33.3%の切る場所や中央の虚でなくともそれは同じだ」
「……はい」
「そうか」
数秒、男は考え込むようなしぐさをする。そして何かを思いついたのか彼は私に向き直り、こういった。
「それなら……死ぬ前に一つ、僕についていってほしい。それから死ぬのも遅くはないだろう」
彼はそう言って一枚のメモを私に手渡した。寒さはやわらぎ、風は止んでいる。その後彼は手を振りながら病室を出た。
「……ついていくなら、ここに電話しろということですか」
残された私は男の連絡先を記憶する。そしてスマートフォンに登録したのち、びりびりとメモを細切れにして窓の外から流した。
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