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「なんで、祝ったの」
 ぽつり、と退院と元通りに体が戻ったことを祝った医師と看護師に聞こえることのない文句を吐く。張り付いた笑顔を浮かべた医療関係者たちにお礼は必要だったのでいったはいいが、その後は全くどうするかすら考えていなかった。この街から出る、なんてことは最初から考えていなくて、ただ死ぬということしか頭にない状態。早く逝きたいが周りは生きることを祝福する。人のことも知らないでと自分の中でひたすら悪態をついていた。
「私、路上で野垂れ死にしたかったのに」
 適当に歩いて適当に見つけた路地裏で立ち止まってからスマートフォンを見る。確か暇だったから、そしてどうせ死ぬのなら一つ花を咲かせたいという理由でスティーブンなる男にテストメールを送ったがそこから何気ないメールでのやり取りが始まって、それで退院後に斯様なメッセージが来るとは思いもしなかった。そのメールには私が行くべき場所を示している。
【カフェ・スマグラドでPM3:00に落ち合おう。奥のすみっこのテーブル席で待っていてくれ。そこで君のこととか今後のことについて話したい】
 ふう、と地面に向けて再び息を吐く。顔を上げると映画のCGあるいは特殊メイクが施されたと思えるような生き物たちが何事もないように街を闊歩していた。普通であるかのように一瞥し再び歩き出した後でふと、空を見上げてみる。ヘルサレムズロットは相変わらずの鈍色の空。そこに浮かぶ飛行船型時計はデジタル表記で午後三時前を指していた。ゆっくりと私は首を左側に向けてみる。そこには石造りで扉に威圧感のあるカフェがあった。イーゼルには【カフェ・スマグラド】とラテン文字で書かれている。
「少し、早く着いちゃったかな」
 そして私は扉に手を掛ける。一歩、カフェの中に足を踏み入れて店員に案内されるまま店の隅のテーブル席に腰かけた。

◆◆◆

 スマートフォンをチェックしつつ、眼前に広がるカフェの利用客の様子をぼんやりと眺めていたら、見覚えのある男がかつり、と靴音を慣らしながらドアを開けてカフェに入ってくる。遠くからでもわかるくらいすらりとした長身で、少しだけ癖の或る黒髪、ブルーのシャツに黄色のネクタイ、そして灰色のスーツ。間違いない、以前病室で出会ったあの、スティーブン・A・スターフェイズだ。じっと私は彼を見ていたのか、それに返事するようにスティーブンは小さく手を振って私が座っているテーブル席に向かい合うように座る。
「やあ、ごめんね待たせてしまって」
「いえ、そんなに待っておりません」
 やってきた店員に彼はコーヒーを二つ頼む。注文を承った異界人がカウンターに戻るのを見届けた後、男は私に切り出した。
「早速だが本題に入ろう。君のことについてさっくりと調べさせてもらった」
「……」
「まあ、その反応は無理もないな。勝手に個人のことについて調べたというのは気味悪いし。ごめんごめん」
 言葉の合間に注文されたコーヒー二杯が異界人の手によって差し出される。私たちは一礼してそれを受け取った。一口その黒い液体をすすって、話を続ける。
「いえ、別に」
「そうか、じゃあ早速確かめるけど君は確か……自分の見たもの聞いたもの、つまり君が『識った』ものを完全に記憶できるそうじゃないか」
 ――なん、て?
「……確かにそうですが……それで……?」
「それを使って、一先ず僕の元で働いてみないかい? 勿論君がよければの話だが」
「……ごめんなさい、あの、唐突すぎてあまりこう、うまく、のみこめません……」
「ああ、それもそうだね。まずは労働条件から提示しないと納得しないよな、ごめんよ」
 スティーブンは姿勢を正し、きちんと私に向き合う。少しだけ咳ばらいをしたのち、アルバイトの面接官に似た笑顔で彼は労働条件や待遇などをまとめた紙を提示してきた。
「まず、僕の家での住み込みは確定。給料は出来高払いだがこの街の平均給与は保証する。休日は……その時によるというところかな」
「なるほどです」
「ここまではいいかい?」
「ええ、大丈夫です」
「次は仕事内容になるけど、基本的にデスクワークだね。肉体労働は基本ないものと思ってもらって構わない」
「デスクワーク」
「そうだね、端的に言うと君のその記憶の力が必要だ」
 記憶の力が必要。その言葉を聞いた途端私の手が震えだす。足はがくがくと震えていて、心臓から血の気がすう、と引いていく感じになる。今にもこのカフェから脱兎の如く飛び出しそうで、それをすんでのところで何とか堪えている状態だ。今までやってきた仕事のことが、洪水のようにあふれ出す。人のようで人でない扱いをされた日々、拷問に尋問、いきが、くるしい。めのまえのかれもおなじことを、するというらしい。
「……あー、今宵、今宵、大丈夫かい? 酷い扱いはしないしするつもりもない。それに……あくまで決めるのは君自身だ。強制じゃあない」
 ほら、ほらと男が私に呼びかける。テーブルに載せた私の手が、彼の手に触れられる。あたたかい、なぜか、ぽかぽかする。
「……スティーブン、さん。あ、大丈夫です。私は大丈夫です」
「ならいいが……あまり無理はしないでくれ」
「大丈夫です。ただ、その……私の記憶の力についてですが悪用は、しないんですか?」
 自分自身を落ち着かせるためにコーヒーをすする。一口飲み終えた後、少しだけ考えるだけの気力が戻ったのかとりあえず彼に質問してみた。念のための質問。もし本当に悪用しないのなら、きっとそこにクモの糸はあるのかもしれない。
「悪用はしないさ。それと君が僕の元で働いて欲しい理由について聞いてもらってもいいかい?」
「……はい」
 すう、とスティーブンは息を吸って間を置く。そして彼は改め私に向けて理由を提示した。
「確か君は、死を望むと言ったね?」
「はい。生きる希望もなにも、ありませんので」
「でも、僕にとって君は必要なんだ。僕は今君に死んでほしくない。というより今死なれちゃこまるんだ」
「こんな私ごときが、死んじゃ困るなんて」
「ありえないという顔をしているな。でも、ここはHLだ。君が必要になるということも起こりうる。そして、今がその時なんだ」
 私が、必要。そう語るスティーブンさんの顔はとても真剣そのもので、まるでテレビで見るような求婚のよう。実際はそうでないということは重々承知ではあるのだが、なぜか本来受け入れることのない言葉がするすると入ってきているのは事実。たとえ道具であろうとも、必要であるならば……彼の求めに、応じてみたい。でも早く死にたい。まよいが、口に出そうだ。
「―――いまが、そのとき。でも私は早く……」
「わかっている。だけど死ぬ前に一つその記憶力を使ってみないか? 死ぬ前に最後の一花咲かせるというわけじゃないけど、この日常を護るために貸してほしい。今宵」
 スティーブンは、私のためらいの言葉より早く笑顔で説得する。少しだけ目の前に絹のような蜘蛛の糸が見えた気がした。気づいたら私は彼の手をそっと握り、頷いた。
「……分かりました。いかようにもお使いください」
「ありがとう、感謝するよ」
 そして私たちはコーヒー代を支払ってカフェを出る。私はスティーブンの後ろについて、彼の家兼自分の仕事場となるだろう場所へと向かっていった。足跡は他の人の足跡と喧騒によってそっとかき消された。

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