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 いつも通りの魑魅魍魎が闊歩しているHLの街を歩き、僕のアパートメントへとたどり着く。彼女――坂本今宵は恐る恐る僕の後ろを歩いていて、アパートの一室に上がったときの彼女は早速部屋の片隅に立っていたからとりあえず座るよう促した。しかし彼女はそれをしようとはしなくてかたくなにずっと立っていようとしたためそれとなく彼女の背を押して僕の向かい側にあるソファへと座らせた。
「あ、ありがとうございます……。それと、すみません。私なんかのために」
「大丈夫、僕がそうさせたかっただけだからね。さて、本題に入ろう。此処が君の仕事場なわけだが……まずはその絶対記憶がどのようなものなのか確かめてみたい。つまりはテストだ」
「テスト」
「そう、まずはこの本を読んで欲しい。そして僕が適当なところをわざと間違えて読むからそれを君は指摘する。10問連続で正解したら合格、無事就職というわけだ。ところで『ジュゼッピーナの生涯』は知っているかい?」
「じゅぜ……いえ初めて聴くタイトルです」
「なら丁度いい。これをテストの題材をしよう」
「……承知しました」
「ああ、読み終えたら『終わった』と告げてくれ。そしてその本を僕に渡せばいい。そこからテスト開始だ」
「……はい」
 顔を変えずに今宵本を開く。英語でびっしり書かれたそれをスキャンするように目を通しページをめくる。時々息継ぎのために小さな吐息が部屋に漏れた。その間僕は彼女が不正してないか監視しつつ、非忘却記憶について調べたことを反芻していた。
 
 ――――ニ・ザブウェーニェ・パーミチ。HLでも異界でも違法とされている強化版絶対記憶で、その理由の一つが知ってはならないことを知ってしまってそのことによってさまざまな不都合が起こるのを防ぐためである。人狼の消失といったような世界の書き換えを除いて何されようとも一度覚えたもの、記憶したものは絶対に忘れることはない。そしてそれを施しているものについての情報は、未だ不明。今、その違法とされたテクノロジを施された犠牲者が目の前にいる。
「……」
 もし彼女が何か知っていたら、もし世界の危機に関わるようなことを把握してたら。もしあの記憶の施術者について何も知らなかったら。あらゆる可能性が僕の脳裏をかすめる。だがそればかりに全身を浸らせるということはなく、ただじいっと目の前の女がページを進めるのを監視するのを放棄してはいけない。そして僕は彼女が最後のページをめくり、本を閉じて読み終えた旨を申告するのを見届けた。
「終わりました」
「よし、ではその本をこちらに渡すんだ」
 ハイ、と今宵は返事をして両手で名刺を差し出すように本を渡す。僕はそれをよしとした後本を開きページをぱらぱらさせて適当なところで止めた。そして、テストを開始した。

◆◆◆

「……そこでジュゼッピーナはこう記した。『私はもうすでに長くありません。嗚呼クリッソン、どうかどうか私の元に来て……』」
「『どうかどうか私の元に来て……』ではなく『もう二度と私の元に来ないで』です」
「正解だ。これで10問連続正解。合格おめでとう」
 つつがなくすらすらと意図的に間違えた所を指摘する今宵。僕は平然と彼女に合格を告げても内心は目の前の少女がたった一度の黙読で非常に細かいところも覚えていたという点に驚愕していた。まさか本当に一度目を通しただけで全部覚えてしまうとは。
「――――は、ほんとうに、すごい、な君は」
「別に……大したことではございません」
 そういって今宵は仮面のような顔で僕を見る。まるでこれが当たり前であるかのような口ぶりで、礼儀正しく絵にかいたような面接試験に挑む受験者のようにきっちりと座っている。何故かわからないが僕は嗚呼、と心の中で少しだけ嘆息した後立ち上がり、書類が数枚入ったクリアファイルを取り出して彼女の前に差し出した。
「これで試験は終り。ということで早速仕事してもらうわけだが……後出し情報で本当に申し訳ない。ここから先知ることは君が望まない形の死につながる要因になるかもしれないことばかりだ。常に何でも起こる街だからね。そしてこれ以上の情報は君が働くということを決断しなければ話すことはできない。ここまでは大丈夫かい?」
 そういいながら僕は全ての書類を彼女の前に広げて見せる。女は眉一つ動かさずに僕の話をしっかり聞いていた。それはとても、恐ろしいくらいには。
「要は危険ということですね、わかりました」
「……ためらいが、ないんだな君は」
「慣れているので、こういうことには」
「……そうか」
「それに、別に死ぬことは怖くありません。ただ痛いのが嫌なだけなのです」
 にこりと温度なきほほえみを女は浮かべてブレザーの内ポケットからボールペンを取り出してさらさらと自分の名前を然るべきところにサインする。
「契約、成立だな。今日からよろしく頼むよ」
「――――はい。ではよろしくお願いします。スティーブンさん」
 冷たい手同士がふれあい、握手の形となる。あまりにも危うくて――触れたら壊れてしまいそうな今宵。何故かその、一挙一動に目が、離せない。
 少しだけ、氷がとけるような感触がしたがおそらく気のせいだろう。とりあえず僕は彼女にこれからの生活のことについて軽く説明をしたのだった。

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