「でさぁ、その僕忘れっぽいのかそれを見かねてバーガーの精がお告げくれたんだぁ。メモするといいって」
「メモ、ですか」
「そう、メモメモ。僕ケータイとか持たないというよりそのお金あったらバーガーたくさん食べたいからさぁ……本当に親切なバーガーの精だったよ~」
レオナルドが隔離居住区からなかなか戻ってこない。そこまでジャック&ロケッツの店は混みあっているのかもしれない。鈍色の空を見上げたり霧の町を眺めていてもしょうがないのでネジと会話して時間をつぶしているがそれも限界に近い。初対面の異界人と何かしゃべろうとしても、何をネタにすればいいのかわからないので只管ネジの話に相槌を打っていた。
話を聞くに、ネジはバーガーの精のお告げのおかげで彼も彼なりに自分の在り方を「認識」したうえでこの街を生きている。助言があるとはいえ、それはかなり……幸福ですごいことだ。自分のことを認識したうえでどうやって生活するかということを実行しているのだから。
「すごいですね、ネジさんは」
「そうかなー? 僕はバーガーの精の言葉がなければずっと忘れっぽいままのネジだったし」
「それでも、あなたは……」
十分すごい。それを云おうとした時だった。
――かつん、ころん
「……痛いなぁ」
ネジがぼんやりとした口調でぽつりと呟く。音がしたので慌てて地面を見やったがそれはただのアルミ缶だった。音を鑑みるに何も入っておらず本当にただの空き缶らしい。
「ネジさん、大丈夫?」
「うん、へーきへーき」
ぐるりと周囲を見渡してみる。いきなりのことで空き缶がどこからやってきてネジに向かっていったのかわからない。周囲は気にすることなく各々の日常を過している。スマートフォンには通知の音すら鳴り響かない。
「それよりバー今宵ガー、レオナルドバーガーくんまだ来ないねぇ」
「―――ネジくん、本当に平気なの?」
「まぁ、ね」
本人がいうなら、と周囲への警戒を解こうとした時だった。銀色の軌道がこっちに迫ってくるのが見えた。それは小さくてどこにでもあるような空き缶で――まっすぐ、ネジの方向に向かっている。
このままだとまた彼にぶつかる。何故かその結末が許せなくて気が付いたら私は――的になっていた。
「今宵!」
私の体に空き缶がぶつかって、転がる。太ももは痛いけどその場で崩れ落ちる程度ではないからまだいける。
「ネジくん、大丈夫だから」
「でも……でも……!」
自分の心配をせずにネジはおどおどと慌て始める。自分にぶつけられた時は何事もないようにしているのに、私に害が及んだら急にそうなるなんて。
「こういうの慣れてるから大丈夫」
「慣れちゃいけないよぉそれ!」
至極、ごもっとも。初対面の人にそんなことを云われるなんて思ってもいなかった。現に自分の心の痛みはないし、私にとっては日常茶飯事だからどうということはない。
後ろから新たな音が聞こえてきた。何か違うものが、たくさん、宙を舞っている音がする。かばいきれない。かばいきれないほどの缶が、とげとげしたものが、私たちに投げつけられた。周囲は相も変わらず気にするそぶりを見せずに見て見ぬふりを続行している。
別にひどいとは思わない。こんなことはよくあることだ。でも違うことといえばネジの頭部が赤くなっていることだけ。まずい、何故だか知らないが本能がまずいと云っている。赤くなったその先をに行かせてはならないが、この場ではどうすればいいのか知らないのだ。
つまり、窮地。絶対的な窮地である。そして追い打ちをかけるように新たな足音がいくつもこっちに迫ってきている。私に今できることは――
「――ネジ、逃げて!」
「やだ! レオバーガーとバーガー今宵と一緒に……バーガー食べたいから待ってる!」
彼を逃がすことだけだ。しかし当の本人ともいうべきネジは逃げずに赤くなったままその場にとどまることにしたようだ。私は説得するのをやめて別の手を――考えようとした時だった。
「おうおうおう、ねーちゃんどうしたキノコのツレかい?」
足音が止まる。どすのきいた男の声が聞こえる。ついでにへらへらとしたような笑い声も聞こえてくる。
「今日知り合ったばかりです」
「そうかそうかー、じゃあそっちに引き渡してくれないかなぁ。そのキノコの異界人探してたんだ」
「嫌です。空き缶投げつけた人に渡したくありません」
何者なのだろう。出会って空き缶とか色々投げつけた上に今日知り合ったばかりの同僚のお友達を引き渡せと云う奇々怪々な要求をしてくる人なんて。きっとひどい人に違いない。とりあえず無視してしまえば問題ないだろう。
「もう用は済んだはずです。おかえりください」
「なぁ、今宵。頼むからさぁ……レクス・メモリアエの頼みなんだよ。わかるよな? レクス・メモリアエ」
「―――!」
なぜ、その名前が出てきたんだ。自称・記録王の知り合いか? いや、彼は――まずい。何を私にしでかすかわからない。あんな忌々しい男の縁者を名乗る男がなぜ、ここにいる!?
「どうし……て……」
「レクス? 誰?」
「……とりあえずざっくりいうとここHLの裏社会では有名な……自称『記録王』の怪人にして血界の眷属……といったところでしょうか……」
「やっぱり覚えていたなぁ。いいや今宵が忘れるなんてことはないから覚えていて当然か」
「なぁおやっさん。この女どうします? ここでぼこぼこにします?」
「好きにやってろ」
どこからともなくうじゃうじゃと男の後ろから見るからに悪い人たちがやってくる。早く連絡しようとスマートフォンと取ろうとしたらいきなり背後を取られてしまった。そしてお腹にあたりにこぶしが、めり込む。
――いた、い
にぶ、い。
こえが、で、ない。
私に抵抗する手段はなく、ただ文字通りあらゆる方法で一方的に殴られる。華美なメリケンサックにサイン入り金属バット、とげとげの靴に鉄扇。あらゆる暴力が私に降り注ぐ。レクスの元でも同じことされたなぁとか関係ないことを思いながら私は目の前でへたり込んでいるネジのことをぼうっと見ていた。みるみるうちに、彼の体がまっかになっていく。
「どう、して。どうして……君は痛くないのかい!?」
「―――いたく、ないです。こういうの慣れてるから」
感情が切れた。ただただ成すがままに暴力に晒される。考えるだけのちからも失われていく。精いっぱいつよがって、私にいいきかせるようにネジに云う。
「だいじょうぶ、こういうの、なれてます。ことばすくないだけ、まだらくです」
私の顔から血が流れていく。力の雨はやむことはない。そんなことはどうだっていい。こんなの、よくやられていたから。
――前にいた場所、その前にいた場所、もっともっと前にいたばしょをおもいだす。
確か前にいたマフィアでは指示された情報が矛盾の塊だったのでそれを指摘したらこぶしでなぐられて。
それを無視したひとたちが何故だかしらないけどわたしのせいにして、けったりして。
結構前にいたばしょでは、いいがかりつけられてぼうげんとともに袋叩きにされて。
――最初にいた場所では、いなかったことにされた。
「いいの、なぐられてすむのならそれで、いいんです」
すくいなんてない。もとめちゃいけない。むだだから。
それでもなぜか、ぼうりょくを振るわれる彼をほおってはおけなかった。きっと彼にわたしをかさねている極めて傲慢な行為。
痛みは、かんじない。でも生暖かいなにかはながれているのできっとひさんなことになっているのだろう。ねじくんの体は、あかくてあつくなっている。
「あ、ああ――あ、やめろ――」
かぼそいこえが、ネジ君から出ている。
「やめろぉおおおお!」
ネジの体は赤くなる。頭頂部にある切り込みからは勢いよく――胞子が噴出した。
◆
目を開ける。そこに広がっていたのはいつか見た病室だった。私の腕にはシップと包帯。おそらくあの広場での一軒で奇跡的に無事だったのかもしれないレオナルド君がどうにか連絡して私をここに運んできたのだろう。後で彼には何かしらお礼をしなければと思いつつ、私は傍らのスティーブンさんから色々なことを聞かれていた。まずあの時ネジの頭から噴出した胞子は人に「忘却」をもたらすものだったらしい。そして私たちをリンチした男たちはその胞子を狙って、ネジ君の近くにいた私を殴ればどうにかなるだろうとした結果、私を殴ってネジのストレスを高めさせて集団昏倒事件をもたらしたということだった。
しかし、私がきかれたのは「何があったか」ではない。それとはまた別のことだった。
「まあ無事でよかったが……本当に覚えているのか? あの時あったことを」
「ええ、はい。全部覚えています」
「わかっているが……君とほぼ同じエリアにいたチンピラは記憶全部消えているんだぞ?」
「知ってます」
「……いや、あの胞子に耐性あるのか? 君は」
「こうして受け答えに応じていられているのでおそらくは……多分……」
「そっか……そこのところを後で詳しく聞かせてほしいなぁ」
「……」
集団昏倒事件。以前にもこのような事件は起きていたらしい。その時にもかなりの人数が記憶喪失に見舞われていて、レオナルドも軽い記憶喪失――事件前後のことを忘れるという被害を被ったそうだ。今回は隔離居住区の人ごみにもまれていてそこから出ていなかったからか偶然難を逃れたが、きっと今回の事件の一部始終を聞いたらどういうことになるのやら。少し、怖い。
それより、スティーブンさんが私に記憶のことについてまた質問をしている。今回の忘却の難から逃れた原因を知って何かしらの参考にするのか、わからない。そもそも、何をどうして思ってこういう質問を彼がしているのか、わからない。
「えーと、どういうことでしょうか……」
「まぁ、そうだね。君のその絶対記憶についてだよ。あのチンピラが記録王が云々云ったというからその記録王とやらと君の関係性についてちょっとね」
「……記録王、レクス・メモリアエですか……れくす……」
「そんなに云いたくないのなら今は言わなくていい。ただいずれきちんと云ってくれると約束してくれるかい?」
記録王、レクス・メモリアエ。そんな名前を聞いた途端ぽやぽやと私の視界が歪んでしまう。それが顔に出ていたのかつい彼に気をつかわせてしまった。私は「いつかいう」と約束しこの場をとりあえず収めようとした。
「ありがとう。今宵。それはさておき君はもっと自分を大切にすべきだ。自分から殴られに行こうとするなんて自殺行為にもほどがある」
「自分を大切に?」
「疑問符が付くのか……まあ、いい。友達を助けようとするのはいいが、君まで死んでしまったら元も子もないだろう?」
「……」
「それより君には少し、いいや沢山聞きたいことがある。退院したらになるがきちんと養生するんだぞ」
そうしてスティーブンさんはリンゴを置いて病室を出た。その時「……何があったんだ」とぽつりと呟く声が聞こえた、ような気がした。
窓の外を見る。世界は変わらず灰の色。久しぶりに聞いた名前を反芻して――きりで衝かれたような痛みが脳に走った。
◇
夢を見る。
本当はずっと起きていたいところだが、体が睡眠を欲している上に看護師から寝ろと促されたので仕方なく眠ることにした。
上映された夢は過去の話。いつも流される定番のもの。どんなホラーよりも恐ろしく、どんな陰鬱な物語よりも心を抉る話。
よく見た女から眼の前に落とされたのは一個のライター。
「それだけ死にたいのならこれで死ねよ」
着飾った女がそう云うとすぐに私はそのライターを手に取ろうとしたが私の手は高く鋭いヒールに刺されるように踏みつけられた。
「本当に死ねると思ったの? 死ぬという意志を持てるとでも思ったの?」
そうだった。わたしはどうぐ。いしをもつことは―――ありえない。
であればこのライターは、しねといわれたときにつかう道具だろう。
「まぁすっごい苦しいだろうけどお前はこれでしかしんじゃいけないの。サカモトは死ねと言われたらこれで自殺するんだよ」
ズームアップされる女の顔。わらいごえがおおきくなる。それをきいても何もおもうことはなかった。否、なにか感情を抱く気力すらなかった。
ただ、なされるがままにされるよくある日常もの。死ねと言われたらしんで、でもわたしはしにたい。どうしようもなくて――――ただ私は、そこにいるしかなかった。
◇
―――今日の上映は終わった。窓の外は今日も曇天。鞄の中のライターは入院するにあたり没収されたようで入っていなかった。定規も、なかった。
「……退院したら、また買おう……」
炎と定規。炎にまつわる歌詞を思い出しながら私は昨日スティーブンさんがおいていったりんごを頬張った。
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