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 スティーブンさんから昼食をおごられ、事情聴取じみたことをされた後で帰り道をいく。こうして誰かと一緒に並びながらどこかへと帰るという行為がこんなにも安心するとは思わなくて、手でもつなごうとしたがそこまで親しくない人に向かってそれはどうかと自分でも思ったのでとりやめる。
 霧の街は相も変わらず雑多で、おもちゃ箱をひっくり返したような狂騒にまみれている。だからといって、いちいち驚くようなものではなく、三年もいればその狂騒はいつも通りのものになる。人の慣れというものは案外恐ろしいのかもしれない。
 ふと、私の横を歩いているスティーブンさんに目を向けてみる。まるで絵にかいたような大人の男のようで、いつもきっちりとしたスーツを着こなしているからかどうも秘密結社の人とはいまだに思えない。否、首から少しだけ見える赤い刺青が少しだけ彼は堅気の人間ではないということを表している……というのは考えすぎか。
「……ところで、今宵はファッションに興味はあるかい?」
「同世代では恐らく薄い方かも……しれません」
 今日の天気をきくように、彼は唐突に話題を振ってきた。ファッション。あまり考えたことがない……というより考える暇すらなかったのは事実。とりあえず当たり障りのないような答えを返し、この話題について早く終わってほしいと祈りながらありもしない同世代の会話の内容について考え始めた。
「そっか。いや、君はいつもこう……ブレザースタイルだからそういった類のこだわりがあるのかと思ってね」
「ああ、それで聞いてきたのですか。なるほど。まぁ、成人女性である私がいつまでたってもこの服ですからそういわれても仕方がないのかもしれません」
「……失礼になったのなら謝るよ。ごめん」
「大丈夫です、慣れておりますので。侮蔑の言葉を口にしなかったのは貴方が初めてです」
 しまった。余計なことを云ってしまった。何故だか今日は無駄に私はしゃべっている。個室レストランの時は彼があまりにも穏やかにしゃべるからか、それとも比較的長く彼と一緒にいるからかついついしゃべりすぎていた。無論、趣味方面の話である。自分のことについて改めて聞かれることがなかったからか、ストッパーが半ば機能せずにマーライオンの如くしゃべり続けていたかもしれない。
 本来であれば最初に自分から『何を話せばいいか』と伺うべきなのかもしれないが、完全に調子に乗ってしまった。そうすれば私がすべきことやクラウスさんが云っていた『ある一件』についての話。さっきの彼の情報開示から鑑みるにあの絶対記憶の一件がクラウスさんのいうある一件なのかもしれない。私は今、その絶対記憶――違法な手術とその施術者『レクス・メモリアエ』についての重要参考人。いえるには言える……が、怖い。
 早く云えばいいものを、私はまだ言えるはずがない。意図的に与えられた情報は自分でも信じられなくて、そこまで施術者は間抜けではない。それに――昔のことは、話したくない。喋り出した時の私の動き、一挙一動、顔、第三者から見た表情がどうなるかが怖いのだ。関係ないことまでしゃべりだして、相手を混乱させる可能性がある。また、私の言ったことが人に理解されるはずがない。そんなこと、ずっと身をもって知っている。わかっている。いつスティーブンさんの目がいつか見たようなクラスメイトと同じような冷たい目になるか、分からない。
「侮蔑って……いやいやいや、慣れちゃいけないよ。そんなことには」
「いいえ、慣れるものですよ。この街と同じです」
「つくづく思うけど君……君は、本当に――」
 途端、ぎゅ、と私の手が握られる。男の人の大きな手。節くれだっていてそれでいて細くて、暖かい。
「――哀しい人だ」
「同情ですか?」
「同情じゃない。自分自身をさげすんだり、慣れちゃいけないものに慣れきって、それでいて――」
 見ていられないときがある。
 どうやら私は、それほどまで壊れているらしい。慣れてはいけないものに慣れているくらいには壊れているらしい。普通だと思っていたのに。誰かから悪口を云われるくらいよくあることだと思っていたのに。
「慣れちゃ、いけなかったんですね。どうすればよかったのでしょう私は」
「まずはそうだな、君の場合は自己肯定感を高めるところから始めた方がいい。自分自身に戴冠するレベルで君自身を大切にしてもいいんだぞ、君は」
「……二回島流しにされろと?」
「違う違う。ナポレオンになれとは言ってない。まあ、うん、とにかく君は自分を大切にするんだ」
 いいね? と念押しするように彼は言う。とにかく、自分自身を大切にだとか、そういうことはわからないけど飲み込んだ方が良さそうなので首を縦に振った。それを見て彼は満足そうに微笑んだので恐らく私の選択は間違っていないのだろう。
 歩みは止めず、しばしの沈黙。何故かライブラの事務所に帰るまでの道のりがひどく遠く感じる。一緒にしゃべりながら歩いているからなのか、幻術由来なのかはわからない。ただ確実なのは、彼とずっと話していたいことだけ。向こうもそうであることを祈るだけ……だが、私はあくまで違法な手術などを追うための重要参考人。故に彼はあの日、私を拾ったのだろう。目的がはっきりしているのなら、それでいい。それで、いいのだろう。
「まあ、うん。君のその様子とか話してくれたことを鑑みるに難しいかもしれんがまあ、大丈夫だ。ゆっくりやればいい」
「……は、はい」
「いい返事だ。ところで少し聞きたいことがあるんだが……」
 くねくねとした路地裏を通り抜ける。歩みがだんだん遅くなるのを鑑みるとどうやら事務所近くまで来ているらしい。来た道とはまた別の道。恐らくこれが彼なりの用心の仕方なのかもしれない。それもそうだ。ライブラの情報は億単位の値段が付けられるほどだ。私の脳にそれがあると判明すれば……考えただけでもくらくらしそう。それはそれとして聞きたいことってなんだろう。
「……なんでしょう」
「ちょっとした興味だが、今宵にはほしいものがあるかい?」
 欲しいもの。
 ずっと考えても、手に入らないもの。それを今聞かれている。色々あって失われた青春やら、嫌なことを忘れる能力とか、たくさんあって選べないけど決して手に入らないものがほとんどであることはわかっている。だから、云っても仕方ないだろう。そもそも仮に手に入るものであろうともそれが私の元にやってくることなんて、ありえないのだ。
「――ありません」
 これが、今の最善の回答。きっと彼は私のことを無欲な人と納得するだろう。
 だが、彼はそう言うことはなく、首をゆっくり横に振った後でこう云った。
「嘘。話してごらん。話せばわかるかもしれないし、手に入ることが出来るものかもしれないぞ? 手に入らなくとも概念的なものでも構わない。云ってごらん」
 なんたってここは何でも起こる街だから手に入るかもしれないと彼は言う。
 ただ、そこであろうとも無理なものは無理であるというものを所望しているということは私自身が理解している。
 そう、云ってしまえば私が欲しいものは過去に閉じ込められた幻想ユメのようなものだ。
 そんな幻想を欲しがる理由も過程は――言えるはずが、ない。
 だからずっと黙っていようとしたけれど、隠し事なんてできるはずがないのでヒントだけ出すことにした。
「……まぁ、概念的なものとだけ」
「わかった。話せるときが来たら云ってくれ」
 ふ、とつないだ手が離される。優しい笑顔でスティーブンさんはそう云ったけどその笑顔が申し訳なく思えた。私の精神的な問題で云えないだけなのに。きちんと云わないといけないのに。舌を弱く噛んでいつもの癖のように布越しで左腕に爪を立てる。ひりりとした痛みが走って、和らいで、一時だけ私の心を凪いでくれた。
「わかり、ました」
 そいて私は彼とともに建物の中へ入ろうと――した。
 途端。私の腰に何かが巻き付く。ぬめぬめ、じとじととした触手であることに気づいた時には既に遅かった。
 急激にスティーブンさんの姿が遠くなる。路地から路地へ。どこに連れていかれているのかわからない。確実なのは、ライブラやスティーブンさんに迷惑をかけることになるということだろう。その証拠にスティーブンさんは私の名前を叫んでいるのだから。
 見たことのない路地を通り抜け、よくわからない場所に触手によって引きずり込まれていく。私を拘束する力はあまりにも強くて、叫ぶ力すら残してくれない。
「……無理だ、これ」
 全てをあきらめて目を閉じる。瞼に浮かんだのはなぜか、美しくてものさみしいあの日のことだった。でもそれは――すぐに終わって、別のものにすぐ塗りつぶされる。まるでそれが正常な映像であるかのように。心臓の鼓動だけが、まだ私は生きていることを告げていた。

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