彼に腕を引かれて雑踏をかき分けていく。
決してはぐれることのないように私の手首は強く握られて、時折はぐれていないかの確認であるのだろうか、スティーブンさんは私に色々なことを話しかけていた。少しだけ踏み込んだ趣味――好きな本の作家とか、よく聞く曲とか。決して馬鹿にせず彼は色々聞いてくれたから、思いのほかすらすらと自分の好きなことが云うことが出来た。それどころか、スティーブンさんが色々な本を進めてくれたのはありがたかった。彼の好みの一端を知ることが出来たから。もっと彼について知りたいけど不用意に踏み込むのは少し怖いので自重した。
この調子で、私が知っていることが言えたのならどれほどいいだろう。少しだけ俯いて私は彼との言葉を聞いて、適切な返答をし続けた。それは、スティーブンさんの家にたどり着くまで続いた。
◆
「……さて、まずは退院おめでとう。今宵」
彼の家に着くや否や、スティーブンさんは私をふかふかのソファに座らせる。眼前にはローストビーフが挟まれているサンドウィッチがある。恐らくこれが今日の夕飯なのだろう。彼は向かい側のソファにゆったりとした格好で座った。
「あ、ありがとうございます。何度も何度も申し訳ありません」
「いいんだ、君が謝ることじゃない」
「で、でも私の脳……とか記憶とか諸々漏れてないか心配とか……疑いとかしないのですか?」
「ああ、あの後で君のことを襲った人たちについて調べてみたが今のところ君が新たに覚えたことが外に流れているということは確認されなかった。今のところは大丈夫だ」
彼の口から秘密は漏れていないという言葉が出ただけで体の緊張がゆるみそうだったが、まだ彼の大切な話は続きそうだったので緊張を緩めるわけにはいかない。ぴんと背筋を伸ばし、彼の口から出る言葉を待っていた。
「……ただ、僕が君を助けるために動いたことで君がライブラと関わりがあるかもしれないといううわさが流れるだろう。予めいうが、これに関しては『僕が』『望んで』『動いた』から君は自分を責めてはいけない」
「あ、ごめ、え、あ……」
「いいかい、クラウスが常々言っているがライブラのメンバーに危機が及べば全力で救出に向かう。これは組織の方針だ。だから自分を追い詰めなくていい」
「でも……もしやはり万が一ということがあったら私は、やはり安全な方法で自害……はできませんよね……」
「まぁ君は違法な手術絡みの重要参考人だからね」
「……ごめんなさい、証言らしい証言も出来なくて。口にするのも文字にするのも怖くて……胸が締め付けられて、色々と鮮明に蘇ってしまうんです」
「……そうか、それは、そうだよなぁ」
「わかっているんです。早めに証言しないといけないことも。大丈夫です今から――」
「――今宵、いいかい」
こちらを見据えた目でスティーブンさんが言う。家というプライベートな空間にいながらライブラにいるときのような仕事をする目で彼は一呼吸置き、再び切り出した。
「たしかに君の証言は必要だ。実際に今回のことについては君の証言が頼りなところがある。真偽がどうであれ我々は情報が欲しい。ただ……拷問まがいのことをしてまで入手した証言は信用に足らない」
そういってスティーブンさんはすっくと立ちあがり、デスクの中から一冊のペーパーバックと同じ大きさのノートと一本のペンを差し出してきた。ノートは全て白いままで、ペンは少ししっかりしたつくりをしている。
「落ち着いている時にはここに書けばいい。物的証拠にもなるし書きながら今まであったことを整理できるかもしれないからな。書きながら泣いても大丈夫だ、このノートは」
「……ありがとう、ございます! 頑張って出来るだけ、ここに私が知る限りのことを書きますね!」
「いや、無理だけはするなよ?」
「大丈夫です無理はしません」
「本当かい?」
彼の眉間にしわが寄るがすぐにそれは消えてさわやかな笑みを私に向けられる。あ、だめだ、これ本当にやるなと云っている。
無言で首をぶんぶん縦に振る。彼の顔から張り付いたような笑顔は消えていった。
「本当のようだね、絶対無理はするなよ?」
「もちろんです」
「よし、まあそれはそれとしてだな……僕は君のことをきちんと知りたい。仕事ということもあるが僕は君というありかたをきちんと見たいんだ」
「それは、どうしてですか?」
窓の外には夜霧が立ち込める。ガラスには私と彼が向かい合っている姿が映っていた。スティーブンさんは立ち上がりわたしの傍らに腰を掛ける。彼の腕は伸び、大きな手は私の頭の上に載せられた。
「まあ、こういっちゃなんだけど……ただ僕がそうしたい。それだけさ」
彼は私の顔を覗き込み、わずかに口角を上げた。心臓の音がやけにうるさい。はやく鎮めないと。
「―――わかり、ました」
私の頭に載せられた彼の手をそっと降ろす。ほのかな彼の熱が皮膚を伝い、神経を通って私の心臓に到達した。理解不能なものを抱えて私は部屋の隅にうずくまり、瞼を閉じて意識を手放した。
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