マル

「……もうすぐ夜明けか」
 陰と陽の境界にて、両儀式はぽつりと呟きながらカルデアの廊下を闊歩する。時刻は午前四時。変わらずバーにて駄弁っているサーヴァントも、遅くまでゲームしているサーヴァントも今は静かになっている。ひどく静かな場所だと思いながらも式はふらりふらりと歩いていた。
その道中、重厚な扉を見つけた。重く、入るものを拒むような扉。そういえば、と彼女は昨晩ここを出る一対の男女がいたなということを思い出した。
「―――きちんと痛いと云えたのか、あいつは」
 ふと、言葉が口に出る。そして彼女は扉に背を向けて徘徊を再開した。
「痛みは訴えるものなんだよ。ああくそ、あいつもそういったのか―――?」

◆◆◆

 無機質なアラームより早く蒼は眼を覚ます。
 しかし動こうとしても何かに拘束されているようで、動けない。
 小さな声で、ぶつぶつと出力した後自分の置かれている状況を確かめる。腕を動かそうにも動くことはなく、体を動かしても何かにあたるだけ。ゆっくりと顔をあげて見るとそこには、とても見覚えある男がいた。大きな口と青空のような瞳は閉じられていて、オールバックになっている赤茶の髪の毛は降ろされている。
「―――多分、寝たふりなんだろうな」
 女はぽつりとつぶやいて自分は今どうなっているのかを確かめた。どうやら逞しい腕によって自分自身は寝台の上に拘束されているらしいことを把握した。腕も動かせるはずはなくて、眼鏡はきちんと外されている。それも当然眼前には第二ボタンまで開けられているシャツから少しだけ見える範囲であるが彼の逞しい胸があったからだ。眼鏡のレンズが汚れないように気を使ったのだろう。
「……まあ眼鏡が汚れていないのは喜ばしいのだけど……」
 自分自身の状況を把握した蒼はゆっくりと、昨晩あったことを思い出した。どうしてこうなったのか。朝特有のふわふわ感はだんだん消えていき、思考回路は明瞭となっていく。
 まずは昨晩、目の前の男―――ナポレオンに呼び出されてマイルームに着いて、時間あったからシャワー浴びて、何故か服着たまま浴びて、また自傷行為をして、彼が来て、騙して逃げて、それから、それから―――
「―――どうして」
 じわりと目頭が熱くなる。どうして彼は、悪いことをした私をお迎えに来たのだろう。どうして彼は、私の嫉妬を知っていながら私の願いに応えていたのだろう。どうして彼は、どうして―――私を嫌わなかったのだろう。彼女は目を瞑って彼の方へと縋るようにすり寄る。内面の泥が溢れないように、まるで子供が誰かに甘えるようにすり寄る。
「貴方は―――」
 途端、彼女を抱きしめている腕の力が強くなった。青い目は開いて、大きな口はゆっくりと彼女に囁き始める。
「おはよう、よく寝られたかい?」
 目覚めた彼の声はとても優しく、傷跡を優しくなめるような低さだった。普段の生活かつ戦いで見せるような勇ましさはなく、ただ誰かを愛おしみ宥めるような声色をしていた。女はただ無言で頷く。男はそれを見てよしとした。
「そうか、ならよし」
 腕はほどかれて男の左手は女の頬に添えられる。武骨な手は柔い頬を優しく撫でて、涙を拭った。
「……あの、昨晩のことですが本当にごめんなさい」
「いいんだ。確かに嘘はよくないがそれについてどうして悪かったのか分かってるのならそれでいい」
「でも私、まだ罰を……」
「おあいこだ。オレは勝手にオマエさんの手記を読んだからなぁ……」
 頬を撫でていた左手は、女の肩に伸びていく。女はそれを黙って受けた。マイルームは辛うじて互いの顔が分かる位に薄暗い。
「―――さて、寝る前に云ってたあれだ。オレはオマエさんの話を聞きたい」
 なだめるように男は云う。女は暫くの無言の後小さく、振り絞るような声で答えた。
「……美しい話じゃありません。醜い話になりますがいいですか?」
「ああ、いいさ。美しいか醜いかを判断するのは聞いた後にするからな」
「あまり聞いていて気持ちよくない話になりますよ」
「構わんさ。蒼のことを余すことなく知りたいからな」
「……聞いて後悔するかもしれませんよ?」
「後悔なんてしないさ。オレはオレの意志でオマエさんの話を聞くと決めたからな」
 ああ、と女は嘆息する。ずっと云ってた彼の言葉。今までの行動からして嘘偽りがないということは他ならぬ彼女自身がよく知っている。しかし助けを出せない声と残留している傷跡が猜疑心を生んでいるというのもまた事実。彼女の脳内にてぐるぐると白と黒の勾玉文様が組み合わさって回り溶けあって、形容しがたいマーブル模様をなしている。
「あの手記からは、ただオマエさんが北欧異聞帯の記憶に囚われていて、ずっとそれに引っかかっているということが分かった。オフェリアに妬いて、自分自身も救われたくて、でもそれをオマエさん自身が許してない。許せない。そうだろう?」
「……」
 はい、そうです。なんて彼女が言葉で意思表示できるはずはなく、首を縦に振ることで解とした。
「まあ要約するとこうだが……もっと、知りたいんだ。といっても北欧の記録はカルデアのメートルが教えてくれたからまあいいんだ、が……」
「……本当に?」
「ウィ。きちんとオマエさんの口から聞きたいからな」
 ほら、早くと云わんばかりにナポレオンの左手が蒼の頬を再び撫でる。ぎり、と唇を堪えるようにして噛んだ後彼女は恐る恐る、小さく彼にだけ聞こえるように言葉を紡いだ。
「私、ずっと、どす黒い感情に襲われているのです」
 そうか、とだけ男はいう。男の声の調子は変わらない。
「貴方に優しくされるたび、貴方に呼ばれるたびによぎってしまうのです。北欧にて出会った貴方の姿が。別物と分かっているのに、過ってしまうのです」
 ぎゅ、と女の手が男の服の端を掴む。
「―――私はずっと、嫉妬してるのです。悪い感情を抱いて、燻ぶらせて、でも暴発させたら悪い子になってしまうので、ずっと強引に組み伏せているつもりでした」
「ああ、知っている」
「嫉妬しちゃいけない。表に出して凶行に及んではいけない、何より―――色恋においては非常に私は不慣れであり、いい子でなきゃならないと思っている節があるのです」
ぽつぽつと、室内に光がともり始める。夜が明けるにつれてだんだんと互いの顔が鮮明になっていく。
「あの時、あの夢の中で出会った時から私は貴方に好意を持ってしまったのかもしれません。なんでか分かりませんが気になって、また会えないかと気になって、北欧で出会った時に何かが芽生えて―――暗くなって、それから……」
 すらすらとだんだん滑らかに自分の心を言葉に出来たかと思えば、ぴたりと口が閉じてしまう。男はせかすことはなく、ただ女の頭を撫でた。
「……そうか、きっとそれは一目ぼれ、だったんだな」
「そう、だったのかと思います」
 ふう、と息を何度も吸って吐く。きっとここから先は誰にも聞かれたくなかった、知られたくなかった事柄なのだろう。ナポレオンはぎゅ、と彼女をだきしめる力を強めた。女は目を閉じて、それに答える。
「―――つまるところ、ご存じかもしれませんが私は彼女に嫉妬していたのです」
 ずっと云いたくても言えなかった言葉。彼女の声は震えていて何かを吐き出そうとして吐き出せないくらい、張りつめていた。
「彼女がうらやましかった。決してそういってはいけない思ってはいけないと分かっているのに。別の貴方に愛情と救いと慕情を向けられていた彼女が、羨ましかった」
 震え声は泣き声に変わっていく。じわじわと彼の服が湿っていくのをナポレオンは感じている。ただじっと彼は彼女の絞り出すような小さな叫びと泥に耳を傾ける。
「怖かった。あさましい嫉妬心を持っていて何もない私が貴方に縋るのが怖かった。嫉妬心を咎められるのが怖かった。いつか凶行に走るかもしれないから」
「いいところがあるじゃないか。自分自身を俯瞰してみられるところとか、好きなことには目を輝かせるとか」
「違う、違うの……。私は、貴方が、好きで、初めて好きになった人で、愛とか恋とかの取り扱いがわからなくて、貴方を困らせてしまうのがいやだったからでも分からなくて……」
「そういうところだ。自分自身を少し遠くから観察できる故に、理性と感情を切り離しすぎた故に感情を悪として捉えちまう。オマエさんはもう少し感情に溺れていいはずなんだ」
 とても、優しい声が彼女を撫でる。優しく室内灯が二人の姿を浮かび上がらせていく。
「切り離して、感情を出すのに一呼吸おけるのはいいことだがずっと我慢するのは疲れるだろう? 泣きたくても泣けずにいて、怒りたくても怒れずにいて、好きという気持ちを言えずにいて―――こんなに、残酷なことはないさ」
「―――」
「それにオレは嬉しいぜ。ずっと蒼が妬いちまう程に惚れてられているなんてなぁ」
「―――っ!」
 ぎり、と蒼は唇を噛み拳を強く握りしめた。男は変わらない声色で語り掛ける。
「ああ、すまんな。本人はとても真剣だというのに。でもまぁ、アレだ。その感情も決して悪いものじゃない。確かにまあ嫉妬のあまり凶行に走っちまった例はたくさんあるが実行してないだけでも十分オマエさんは偉い、偉いぞ」
「でも、私は―――! 私は! 正直になんて貴方の前ではなれなくて、ずっと隠し事をしてたんですよ。無意識のうちに今のあなたを、北欧での貴方に重ねてしまって、思っても無駄だというのに、あの子に嫉妬して、もしあの子が私だったらなんという空想までして、別と分かっていようともそれでも、どうしてもどうしようもない感情に襲われて、貴方を、貴方を……貴方を―――」
 ―――好きでいたい。愛していたい。難しいと分かっていながらも私だけを愛して欲しい、思っていて欲しい。それなのに、そんな感情を持ちながら懸想することを他でもない自分自身が許さない。ふさわしくないというのは分かっていながらも、思ってしまう。
言葉が詰まる。まだ自分自身の感情を、思いを口にするという行為になれていないのか女はただ喉を鳴らすということしかできなかった。男はただ女を抱きしめ続けている。愛おしく、壊れ物を扱うように。
「―――貴方を、あれ、どういえば、いいんだろう」
「思ったことを云えばいい。ここにはオレとオマエさんしかいないから誰も聞いちゃいないさ」
「でも、本当に言葉に、口に出来なくて……」
「……オーララ」
 被害者だった頃の記憶がよぎる。助けを出せない声。感情を出せない声。助けてを求めても無駄だったという経験が彼女を未だに縛り続けている。助けを求めながらも拒絶するという蒼の矛盾精神はナポレオン自身もよく知っていた。
 痛みを感じても体裁を整えるためだけに堪えて、例え傷が悪化しようともありあわせの絆創膏だけで止血するそれのように彼女はずっと振舞っていただけ。そうしないと傷口を第三者の手によって広げられ、その醜さを指さして嘲笑われるということを彼女は過去の経験から学んでいる。そのことによって優しさと愛情が彼女にとっては毒となってしまうという精神を持ってしまっており、引きはがすにはその毒を長期間にわたって投与して慣れさせないといけない。
「……少しづつ、少しづつでいい。思ったことを口にしていいんだ。口にできないならこっそり手紙にでもなんでも書いてくれればいい。とりあえず、全部ぶつけてくれればいい」
 思ったことすら言えない。そして罪悪感と自尊心の低さ。そのことが彼女の劣等感並びに嫉妬心に拍車をかけている。云いたくても言えない、傷をつける度胸すらない。
「……羨ましいと思う心、全部切り離せればよかったのに。貴方に傷をつけるだけの度胸も何もないし、云いたいことも言えない私なんて、死んじゃえばよかったのに」
「切り離さなくていいんだ。醜いと思わなくてもいいし、傷はオレの誇りにする。云いたいことはきちんと形にすればいいし、なにより―――死にたいと希うのならオレがその痛みを受け止めるし、その手を掴むまでだ」
 蒼は、みるみるうちに嗚咽してナポレオンに縋りついた。ただ彼がそこにいるということを確かめるように。懺悔するように呟いて、彼に許しを請うように子供のように心の内をぶちまけた。
「面倒な女でごめんなさい、素直になれなくて……ごめんなさい。貴方を信じられなくてごめんなさい。支離滅裂でごめんなさい。痛みを訴えたら、助けを求めたらもっと悪い子になりそうで、怖かったのです。嫉妬に駆られて酷いことをしそうで怖かったのです。本当に、痛いと、痛みを訴えてよかったのですか……?」
 男は、女が決して否定することのことのないように、刻み付けるように願いを込めて答えた。
「いいんだ。オマエさんはもっと助けてを求めてよかったんだ。心と理性を分ける痛みを耐えなくてよかったんだ。傷を訴えてよかったんだ。素直に、痛いといってよかったんだ」
 朝を知らせるアラームが鳴る。二人は布団の中で抱きしめあって、男は女が流す涙を拭いた。女は何かを求めるように口を動かして、それをみた男は彼女に深く先ほどの言葉を嚥下させるように口づけを落とした。

◆◆◆

(以下、涙痕にて滲んだ蒼の手記に書かれていたメモ。なおフランス語だったため解読には他の職員の手を借りたことを明記しておく)
もう少し、オマエさんは感情におぼれてよかったんだ。もっと縋り付いて、感情を出力してもよかったんだ。全てオレが受け止めるから。もう夜を過ごさなくていい。罰を下さなくていい。嫉妬してもいい。だから……もう大丈夫だ、メートル。

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