静謐補色

「――しかし、本当に大丈夫ですかマドモアゼル。いざとなれば宝具――はいけませんね」

「大丈夫です、前にもあったので。あとあなたの宝具はさすがにまずいです」

 暗がりの中、ジャケットの中から適当な明かりを取り出してスイッチを入れる。白い光は豪奢な服を身にまとった銀髪の大男――アレッサンドロ・ディ・カリオストロを照らした。ひび割れた顔に翠玉と紅玉を思わせるような瞳は否が応でも目を引き、低く這うような声は静かに鼓膜を震わせる。しかし最近まで彼が――カルデアを危機に陥れていたこともまた事実。念には念を。警戒してボーダーにやってきたばかりの彼を案内していた矢先のことだった。

 ――或る部屋を案内していた途端、システムの不具合で閉じ込められてしまった。電力も最小限になったためしばらくはこのプリテンダーと二人きり。そうなった途端、心臓の音がやけに大きく響き始めた。

「前にも……とは。このようにドアのかぎが閉められて二人きり、ということがあったのですか?」

「いえ、一人だけでした」

「……それはそれは、たいそう心細かったことでしょう」

「一人には慣れてますので特にそういったことはないです」

 それは残念、と伯爵は目を閉じる。じじ、とノイズが走るような音がしたがきっとそれは気のせいだろうと自己暗示をかけた。

 手持ちの端末を確かめる。運悪くバッテリーは赤。救援は見込めないだろう。ただ、待つしかなさそうだ。

「時にマドモアゼル。折り入って頼みがございます」

「頼み……ですか」

 ゆっくりと、彼の顔に視線を向ける。相も変わらず余裕そうな顔をした男が目を開き徐に口を開いた。

「実は召喚されたばかりでパスがそこまでしっかりと接続されていないようなのです」

「……ボーダーの電力は?」

「まぁ、つながったばかりですのでそこまで安定はしておりません」

 眉尻を下げ、カリオストロは淡々と告げる。

 彼の言葉が真である証拠はない。しかし――戦力を、人員を失うことはあってはならない。

「それで……何を、してほしいのですか。カリオストロ伯爵さん」

「さんづけは結構、マドモワゼル。――もし、あなたがよろしければの話ですが……体液を、少しばかりこの私に……」

 予想、通り。微々たるものだが今の彼にとってはそうであろうとも欲しいものだろう。普段はボーダーの電力でパスやらなんやらでどうにかしているがシステムの不具合であればいつどうなるかわからない。故に、そのよすがてきな物が欲しいというところなのだろう。

 無言で首を縦に振りジャケットの中からツールナイフを取り出して左の人差し指の腹に傷をつける。鮮血がにじみ、ぷっくりとした水滴となったところで彼に左手を差し出した。

「……気休め、程度ですが……」

「ああ……ありがとうございます。それでは失礼します」

 大きな手が私の手を掴み、人差し指が男の咥内にいれられる。

 生暖かい感触が傷口を撫でて、少しだけしみるがそれはまだ序の口。

 大きな舌が、垂れた血液をなめとり傷口を起用に避けつつ指を這っている。唾液が、ぬくもりが、力が絡み合ってどうにかなってしまいそう。

 思わず顔を逸らすがそのたびに手首をつかんでいる彼の手が力強く締め付けてくる。ゆえに、彼の顔から逸らすことはできそうにない。

「あ――ちょ、っと。か――」

 声が出る。しかしそれを流すように男はただ只管私の傷口を舐めていた。ぴりり、と傷口に唾液がしみる。

「はぁ……あっ、ん……マドモワゼル……」

 ぴちゃぴちゃと、水音にまじり男のくぐもった声が漏れる。カチリとなにかが入りそうだったがすんでのところでなんとか堪えるのに精一杯。彼の長いまつげの隙間からやけにきらめく補色の瞳がきらめいているのが見えた。

「み――みない、で」

「なぜです……?」

「あ、こわ、こわい―――のです」

「恐れることはなにも……ありませんよ」

 ほうら、とカリオストロは指を甘く噛んで口から離す。てらてらと反射している私の指に、指輪のような歯型が残った。

「とりあえず、今はこれで大丈夫です。ありがとうございます、マドモワゼル」

 にこり、と男は微笑む。そして恭しく私の左手にリップ音を立てて口づけを落とした。なぜかそれが、どこか恐ろしくも甘い捕食の合図と思えてしまったのであった。

 

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