(蒼の手記より抜粋)
私は決して許されない罪びとです。やってはならないということを常にしでかしている罪びとです。誰にも開示することが出来ず秘密にしているようなことがあることをここに懺悔します。
よく世の中で云うようなことに「嫉妬してはならない」「自分に向けられた賞賛などを否定してはいけない」とありますが、私はそれを常に破っている状態です。前者に関しては愛する人―――この場合ナポレオン―――への慕情を拗らせてとんでもないことを言いそうな危機に常に陥っています。具体的には、外道なことをしないように縛ってほしい、閉じ込めてほしい、牢にでもぶちこんで欲しいと乞い願いそうで怖いのです。彼は決してそのようなことを進んでする男ではございません。きっとそう願った背景を探り、踏み込んで、解決するようなことをするでしょう。その優しさと在り方が、言葉は悪いのですが私にとっては毒でしかないのです。優しさの裏に或る毒が、とても怖いのです。
二つ目の罪に関してですが、これに関してはもう私でもどうしようもありません。一時期普通の社会の中で生きていたことはありましたがどうも私は人から見れば「異常」のようでそれを眼に付けた人たちが私に関する物事を否定し始めました。まずは私の趣味、私が得意とする技能、私という人格、私がしたこと。全てすべて、否定しました。そして私という存在そのものをいなかったことにされました。そういったことをされても心を強く持って躱す人がいるにはいますが私はそうではなかったのです。自分を褒める人も裏では私を否定しました。結局私はその程度の産廃物。スクラップはスクラップなりにひっそりと過ごしました。これをずっと浴びてきた私は、優しさが毒となり悪意が薬となりました。信じられるのは悪意だけで優しい言葉は裏に何かあると勘ぐりそうになりました。
こんなことを書面上に告白して、そして自分はダメだとかいう理由を付けるのは本当に身勝手でどうしてこうなったのかというのをこじつけてしまうのは本当にダメなんだと思います。ですがこのことは何処かに吐き出さずにはいられない。でも人に話すのはもっとだめだと思いこの日記に記しました。誰も見られずに、このまま、私が死んでしまえばいい。それだけを願います。
―――ああでも、彼がなんかと気にかけてくれるのは嬉しかった。例えそれが嘘だとしても、私にとっては気持ちが安らぐひと時でした。大きくて優しい手、青空のような瞳、須らく照らす光のような在り方。私に向けられたということだけでも十分嬉しかった。死ぬことしか考えてこなかった私が初めてゆだねられそうになった彼。でも―――私は愛の向け方を知らない。慕情の取り扱い方を知らない。嫉妬の制御の仕方はわかっていてもこれらは分からないのです。こんなことなら初めから、彼に惚れなければよかったのかもしれませんがつながりを断ち切るのが、惜しくなってしまいました。
せめて、せめてあの火災の時死んでしまえばよかったかな。
(抜き出し終わり)
◆◆◆
まるで雲の上を歩いているような感覚で、夜の廊下を歩いている。だがしかし私の右手は誰かに強く引っ張られていて、暖かいものに触れている。とりあえず今私を引っ張っているのは私の好きな人で、多分彼は私を個室に連れ込もうとしているのだろう。おそらく彼は私を叱るために移動しているのだろう。そうじゃないといきなりお酒を飲んでいるときにわざわざ強引に手を引っ張ることはない。
「……メートル」
「なんですか?」
酔いは少し醒めてきている。彼の低い声から察するに私は叱られるのだろう。当然のことだ。私は彼の前で彼の誉め言葉を否定したどころか侮辱したのだから。それに関してはきちんと謝って彼からくだされる罰を待とう。いや罰せられると思うこと自体一種の思い上がりがあるのかもしれないがとにかくそれを待つしかない。
「オマエさんがオレの誉め言葉とかそういうのを侮辱したからそれについて叱られると思ってるのだろう?」
「……はい、申し訳ございませんでした」
「まあ、いいさ。自分が悪いというのを自覚しているのならそれでいい」
少しだけ、彼の声が柔らかくなる。その声色が、胸に刺さって血が流れた。
かつかつと二つの足音が響いて、私の個室で止まる。慣れた手つきで彼がドアを開けて、私を部屋に入れた。
「邪魔するぜ」
ナポレオンさんが部屋に入り、私をベッドの上に座るように促す。彼に促されるままに座ってしばらくして、彼も私の隣に座った。
「まあ別に、メートルがあの場所で騒いでいようとなかろうとオレはオマエさんの部屋に入っていたがな」
「そう、ですか。どっちにしろ私は貴方に呼び出されることになってたというわけですね」
「そういうことだ」
「それで、私に何か御用でしょうか」
彼の顔を直視できずに、私はうつむいたまま彼に問う。彼はそんな私を気にせずに歌い上げるように答えた。
「単刀直入に云おう。オマエさん、あの時―――メートルが布団にくるまっていたのをオレが発見した日のことだが、アンタは何か言いたいことがあったんじゃあないか?」
あの時、ああ、誰かに助けを乞うてみた日の話か。確かに私は貴方に言いたいことはある上に、聞いてほしいことはある。でもそれをしてみたところで貴方に「面倒くさい女」だの「見た目人間中身怪物」と判定されて嫌われるかもしれない。きっと貴方はそういうことをしないのだろうと思うけれどどうしても、万が一、そういうことがあるかもしれないということが怖いのだ。
「……いいえ、何もありません」
「いや、あるだろう? 聞こえていたとオレがいっても空耳とオマエさんが答えるんじゃあなぁ。そして嘘は苦手な人間と見た。嘘をつくとき、というより真実を隠すときオマエさんは少し顔に出る。少しだけ、哀しそうな顔をするんだ」
「……そんなことありませんよ」
なんてことをいうのだろうと反射的に口角が上がる。眉毛がハの字に変形する感覚がする。あ、と気づいたときは既に遅くて「ほら」と彼が指摘した。
「オレは、そういう女に弱いんだ。そしてつい助けたくなっちまうし婚約者であれば猶更だ」
肩を寄せられる感触がする。とても暖かい体温が私を包んで低い声は私の耳を優しくなでる。
「だからどうか、話してほしい。情報がなければどうしようもないからなぁ」
―――ああ、なんて猛毒。
表も裏もないからこそ、余計信じられなくなる。出来ればそれに溺れていたいけれど泥まみれの罪びとにはそんな資格はないのだ。告白できないものを抱えているのならば、猶更だ。
「今は話せなくても……といいたいがどうも最近のメートルは掻き消えそうで怖いんだ。ふっと息を吹きかけたら飛んでしまうたんぽぽの綿毛のように……な」
「掻き消えそう、ですか。もしかしたら望んで消えたがってるのかも知れませんよ?」
「それは困る。とても困るし例えそう望んでもずっと咲いていたいと思えるようにするまでさ。少なくともオレはずっと咲いてほしい」
彼の心は変わることはない。それはそうだ。私を抱き寄せている彼は不可能はないと謳う彼だ。であれば私を救い、素直にさせることも出来ると本気で思っているのだろう。もし、私が二つの罪を抱えていなければ―――彼の云う通り彼の前だけでは素直になれたのかもしれない。でも、無理なのです。彼は知っているかどうかわかりませんが秘密を開示して、懺悔した結果、彼に向けてしまっている嫉妬心を本人に知られたら幻滅するでしょう。つながりを絶たれるくらいならこのまま、現の夢を見ていたいのです。
「そう、ですか」
「だからなぁ、何か云いたいことがあるならオレに言ってくれ。オマエさんの心が悲鳴をあげて壊れちまう前に」
彼がそう言って私の顔を覗き込む。その顔はとても優しくて、その慈しみが私に向けられたことが嬉しくて―――つい、北欧の時に出会った彼と重ね合わせてしまった。
「―――っ」
そのまま私は、心を空にして彼に抱き寄せられるままぼうっとした。悲鳴はずっと声を殺してあげていたからか声のあげ方すら忘れていて、心はとうの昔に壊れ切っていたからかその自覚すらなかった。ただ、私は彼の優しさに甘えることしか出来なかった。
◆◆◆
男は彼女を抱き寄せた時、服越しの違和感に気づいてしまった。
「―――包帯、か」
心の中で呟いて、前に彼女が傷ついた事件を思い起こす。ただレイシフト中に起きたインシデントを振り返っても包帯を巻くほど酷い傷を負った事件はない。では日常で負ったケガか? と考察するも捻挫以外でケガしたことはあまりない。ともすれば―――と一瞬最悪の考えが浮かんでしまった。それも、彼女ならやらかしかねないこと。
「自傷行為、か?」
自罰的で自分自身を忌み嫌う彼女であれば自分を罰する行為をしてない方がおかしい。それに常にコート等を羽織って肌の露出をしない、先ほどの「消えたがっている」発言。物的証拠は乏しくとも十分に彼女がそれをやる可能性はある。事態は彼が思ったより悪く、下手すれば彼が思い描いていた最悪の場合が更新されかねない危険性をナポレオンは察した。
「大丈夫、オレに不可能はないらしい。だから―――」
彼女が助けを求められる状態にしなければならない。彼は彼のすべきことが明確にし、次は何をすべきかということを彼女を抱きしめながら考えた。
「せめてどうか、壊れないでくれ」
彼女が彼の服の端を縋るように握りしめる。男は彼女の耳元で「大丈夫だ、オレがいる」と囁いた。
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