彼女はずっと、自分自身に枷を付けているようだった。彼女自ら自分自身の嫉妬心やら恋慕の情、そのほか諸々を抑圧し、我慢しているように見える。それが当然であり義務であるかのように振舞うが、その在方は事情を少しだけ知っているオレからしてみればとても痛ましく思えた。
だからこそ、出来る限り一緒にいて色々と彼女のことを安心させたりするように心掛けているが、彼女の口からきちんと聞いたことはない。趣味嗜好について、事務的なことについて聞いたことはあれども彼女自身の感情ならびに自分の過去について聞いたことはなく、ましてや弱音の一つすら聞いたこともない。この前彼女が布団の中に入っていたのを目撃した後の流れでそのまま彼女をなだめたり、彼女の心に踏み込もうとしたがどうも彼女の心は堅く閉ざされていたことしかわからなかった。
下手に踏み込んでしまえば全て壊れて、二度と彼女を救えなくなる。故にこちらから彼女の心について知っているということを開示するのは余程のことがない限りやってはならない。こちらからしてみればその気持ちも全て打ち明けちまえば楽になれるというのにそうしてはならないという自縄自縛のありかたはとても落としがいがあって、素直になった先が見たくて、手をのばしたくなってしまう。それに―――ずっと辛いものを抱えているのは彼女自身、とても辛くてしんどいだろう。独善的かもしれんが彼女自身のためにも、オレは彼女を救わねばならん。
であれば彼女についてオレが知ることを考えねばならない。まずはあの夜読んだ手記だ。アレを読む限り北欧異聞帯にて出会ったもう一人のオレに出会い、恋をして、涙を流して泥が生まれたらしい。以前別のメートル――カルデアの方――から北欧異聞帯での出来事を聞いたことがあるがおそらく彼女はその出来事にだいたい立ち会っていたと聞いたから猶更堪えるだろう。彼女は北欧でのオレとカルデアでのオレは別物であるということを理解はしている。ただ気持ちの整理がついていないかつ、好きな人の前では綺麗でいたいという恋する人特有の思考回路から来るものだろう。だが本当に、そうだろうか? オレが知らないだけで話すことが出来ない、というより人を頼ることが出来ない理由でもあるのだろうか?
次にオレがすべき行動だ。最終地点が彼女を救うこと、並びに彼女と恋仲になることだがこれに関しては彼女自身オレに慕情を寄せていて、かつオレも彼女に恋している。所謂両片思い状態であるがこれに関しては彼女の方が思いを告げるそぶりすら見せていない上に
「無理しなくていいんですよ」
やら
「私のほかにいい人はいますよ?」
と云って取り合おうとはしない。きっと先ほどの嫉妬から来る反動かもしれんし彼女の言う醜い側面を見せたくないからこそそういったことをいうのだろう。だが口ではああ云っているが体や行動は正直なのがそれを証明している。事実オレが他の女性職員や女性サーヴァントたちと話していたところで光のない眼をこちらに向けていた。何か言いたげだったが少しすると何処かへ行っていたということが何度もあったことを覚えている。あの後彼女に話を聞こうとしたが色々言われて結局聞けずじまいだった。それに後者の「私のほかに」云々を仮にからかいやら本当の拒絶でいったのなら声を振り絞るように震わせていうわけがない。というより言動が手記と矛盾している。
「やっぱりオレが手助けしないといけないよなぁ」
やはりここは長期戦か。もし彼女を纏ってるもう一つの呪いが堅く、年月ものであるならばそれ相応の時間が必要かもしれん。そしてもう一つ、長期戦が必要であるかもしれない理由がある。彼女はおそらく優しさに慣れていない。何度彼女の真面目さを褒めてもちょっとしたこと褒めても返ってくるのは無言もしくは自虐の声だった。
「私よりうまい人はたくさんいます」
「別に、どうということはありません」
「なんで私なんかを褒めるんですか」
単純に褒めたいからとかそういう理由が通るはずもなく、彼女自身の言葉によって否定される。その言葉を発する彼女の顔はいつも信じられないという表情で、何かまずい光景を見たような感じだった。いったいどこがまずかったのか。いいやあれは勘だが―――まったくそういったことに慣れていない顔だった。おそらく賛美やら優しさが「毒」となってしまっているタイプだろう。そうと思えばそこから先はいたって単純な解になる。
もし毒ならば、毒を以て制すればいい。それか優しさという毒に慣れさせればいい。それだけの話だ。
「まったく、強情なあんたもいいけど素直に笑うアンタも見てみたいもんだぜ」
葉巻に火をつけて、煙でオレの中を満たす。思考はたちまち冴えわたり、すーっと今何をすべきかがすぐにはじき出された。
「とりあえず、また行ってみるか」
◆◆◆
「よう、邪魔するぜ」
夜を待って、バー・ルソーへと入る。ルソーといってもメートルのいう歴史の本に載っている人物ではなくあくまでオレの母国語であるフランス語で「運命」という意味だ。運命といっても英語でいう「destiny」ではなくより悲劇的な意味を持つ「Fate」という意味らしい。カルデア式召喚システムであるフェイトから名づけられてると犯罪界のなんだかが言っていた。ともかく、オレが予想した通り既に麗しい先客がいた。
「いらっしゃい、ナポレオン君」
「おうおっさん。また来たぜ……っとやはりオマエさんもいたか、蒼」
「……ナポレオン、さん」
静かにオレのメートルは『出来上がって』いてその証拠にショットグラスが何杯か並べられている。あらゆる渇きをいやすためとはいえこれは多すぎる。
「ねえこれは夢? あなたがここにいてまた酒を飲めるなんて」
「あー、夢じゃないぜ。ってもこんなにべろべろになるなんて……」
ごゆっくり、といわんばかりにおっさんはバックヤードの方へ消えていく。それを確認したオレは彼女の右手をとった。
「えへへー、なぽれおんしゃんのおてて大きくてあったかいなぁ」
「それはどうも。オマエさんのその細い手首、とてもすてきだ」
「いやぁ違いますってぇ」
……オーララ、酔っていようとも自己肯定感の低さはデフォルトか。これはやはり落としがいがある。
「んでさぁ、やっぱり貴方も酒飲みに来たんです?」
「いや、人を探していたが……それもすぐにすんだ」
「へえ、誰をさがしてたんです?」
にんまりと光ない目で彼女は笑う。オレはとった彼女の右手の甲に口づけを落として、飛び切りの笑顔で言った。
「それは、今目の前にいるお姫様だ」
一瞬の沈黙。バーテンダーのおっさんは未だ戻る気配はしない。女はそれを確認した後体を震わせて自分自身を侮蔑するかのように静かに笑った。
「お姫様……お姫様かぁ……!」
「そうだ、オマエさんがお姫様だ」
「いやぁ本当に……おかしいですね! こんな凡愚で不良品で根暗で美術品にはほど遠い私をそう呼ぶなんて……!」
背中をバーの椅子から落ちそうになるほど反らせてくつくつと笑う。何度もオレの賛辞を受け取ることはなかったがこれほどまでとは気づかなかった。思ったより、彼女を巣食う呪いは根深いらしい。
「いや、オレはそう思わない。なんたってオレはオマエさんのサーヴァントだしなぁ」
「サーヴァントだからこそ、でしょ? 変な気づかいはやめて」
―――ああ、なんてことだろう。
そう言いながら笑う彼女はどこか掻き消えそうで、今にも泣きだしそうだった。それがあまりにも痛々しくてオレは、おっさんにバーを出る旨を告げた後、急いで彼女の部屋へと送っていった。出る瞬間、「支払いは気にするな。彼女は前払いで払ったからネ」とバーテンダーは云っていた。なんて真面目なんだとオレは関心してしまった。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます