サリュ

「―――っ」
 夜明け前のノウム・カルデアにて私は腕をまくる。そして隠し持っていた三角定規を左腕に当てて、そのまま切りつけた。自分自身を罰するための行為はもはや習慣化していてこの光景を医療関係のサーヴァントたちに見られたらたちまち私は大目玉だろう。そして私のことをよく知るサーヴァント――ヘクトールさん――と最近なんかと私に話しかけたりしてくる彼――ナポレオンさん――に知られたら多分えげつないことになる。だがこの行為だけはやめられそうになく自分自身を罰することで一種の気休めを得ていた。
 黒い嫉妬、無価値な人間が思い人になんかしら気にかけられること、隠し事。
 これらは私の罪であり、裁かれるべきである。だが開示されなければそれらは裁きようがなく開示されたらされたとして罪人に向けられる特有の目線が襲い掛かる。それならば、と卑怯な行為に私は出た。罪を隠して思い人の前に現れて楽しいひと時を過ごす。それだけでも十分その時は幸せで苦しいものだった。いっそのこと、泥が知られて嫌われる方が救いになるのかもしれないと頭の中で過ったが愛する人と過ごす時間を失いたくなかった。故に隠し事を続行することにしたのである。
 ぼんやりと腫れあがる左腕を眺める。一筋だけ赤い線がにじみ出たのでガーゼで簡易的に止血した。ひりひりと痛むが私にとっては慣れたものなので特に気にしなかった。
 そして、ゆっくりと室内灯が明るくなっていく。夜は明けて罪を隠す闇は消えた。私は定規と簡易救急キットをしまって然るべき場所へと向かっていった。

◆◆◆

 カルデアの食堂にて、用意されたトーストをほおばって自分の部屋へとこもる。マスターの予備として常に待機している私の仕事は所謂トラブル解決の仕事並びに技術関係の仕事だった。とはいえいつも働いているというわけではなくピンチヒッターとしての意味合いが強く、交友関係のトラブルの仲裁並び――たいてい英霊同士時々スタッフ――や軽い機械トラブルの解決によくよばれていた。故に日々勉強は欠かすことのないルーティンとなり英霊のことを知るための読書、並びに技術向上は立派なお仕事であった。さらに私は魔術師であるためそちら方面での技能向上もまた欠かせないことであった。
 今日はその魔術の腕をあげるための自主練。魔術に優れたサーヴァントはたくさんいるが、召喚トラブルなどがあるためせめて迷惑にならないようにと私は自分の判断で腕をあげていた。とはいえ専ら使うのは強化であるが。
 引き出しから適当にものを取り出してみる。何個か調達していた三角定規を一つ取り出して、眼を瞑る。
 物質要素解明、そしてより鋭く硬く。
 ゆっくりと眼をあげて硬くなった三角定規をナイフのように持つ。そして左腕をまくり、ためらいなく内側に傷をつけた。
「―――ぐぅ」
 朝より鮮やかな赤がぷくりと膨れ上がってにじみ出る。痛みはより鋭くはしったことにより私は今何をやっていたのかを思い知り冷静になる。朝の時と同じようにガーゼをあてて、包帯を巻いた。
「よし」
 強化はきちんとなされたことを確認し、修練を終える。そして私はベッド下に隠し持っていた酒を取り出して、瓶ごと飲んだ。
「―――ぷはぁ」
 楽しみのために飲んでいたはずが酔って酔って体を壊す自傷行為に変わる。冷静さは消え失せていくも理性はまだはがれそうにない。人がいる前では比較的壊れることはないものの今は人が誰もいない。それならばと私は再びベッドの中に飛び込んで布団の中へと沈んだ。

◆◆◆

「―――あ」
 暗く、深い寝床の中でゆっくりと脳内劇場を再生させる。いつもそこで上映されるのは思い人のこと。もし私が彼の手を笑顔で取っていればというイフの話。
 お姫様はずっと自分で自分のことを閉じ込めていていたけれど王子さまはそれを放っておけなくて、彼女が閉じ込められている場所へとたどり着いて彼女を解放したけれど、実はお姫様は人の形をした怪物だった。故に王子さまは躊躇いなく怪物をころした。そういう話を求めているのに何故かラストは違っていて、王子さまは「怪物でもいい」と云って彼女の手を取ってどこかへと連れていくところで幕は閉じるのだ。
「違う、私はそんなの望んでない」
 酷く酔っているからかじわりと涙があふれだす。こういう時に限って眼鏡は鬱陶しいものになるので眼鏡ケースにしまい込んだ。
「私は、救われちゃいけないの。こんな醜いものは知られずに、すべて終わった後でひっそりと一人で死んでしまえばいいの」
 光がさしてこないここは気持ちがいい。適度に息苦しくて安心感を覚える。だからこそ、普段泣かない分泣いた。醜い感情を確かめて、救われたいと願う高慢な私を私で罰して、時分を呪う。自分で自分を許せとかそういう言葉は聞くけれどそういうことを試しても得られたものは虚無しかない。
「だから、貴方はどうか……知らないで終わって、私を殺して。私を救わないで」
 嘆願に似た祈りを彼は聴くはずもないだろう、そういうことは私がよく知っているのでただ一人で呟くことにした。
 だが―――その直後に不運はやってきた。唐突に光が差し込む。誰かが布団を覗き込んでいるようだがこちらには気づいていないのかもしれない。慌てて私は涙を拭ってじっと暗い中縮こまった。それでも布団を覗き込んだ誰かは少し唸った後包み紙を剥ぐようにゆっくりと布団をのけた。
「誰かと思ったら……蒼か」
 青い目が醜い私を見ている。何か気になることがあると言わんばかりの顔で彼は私を見ていた。
「どこからか助けを求める声が聞こえたから入ってみたが……なるほど其処にお姫様はいたわけか」
「……どこから聞いていましたか?」
「最後のところだけだ」
 ほら、とナポレオンさんは布団をすべて剥いだ後私を起き上がらせる。眼鏡をかけていない私が珍しいのか色々と観察するような目線が感じられた。
「まあそれより眼鏡してないメートルは本当に珍しいなぁ。まるでオマエさんじゃないみたいだ」
「でしょうね。眼鏡付けていないとあまり顔とか見えないので。正直貴方の顔もわかりません」
「そうかそうか、なら」
 ずい、と彼は私を立ち上がらせた後、彼が座っているところに跨るよう促す。私はおそるおそる彼の指示に従って彼の逞しい足の上に座った。
「……近いです」
「そうか、でもこれくらいなら見えるかい?」
「……まあ、どんな顔をしているかは」
「bien」
 端正な顔と青い目が近い。至近距離で見つめる彼の顔は相変わらずの笑顔だけどどこか真剣な雰囲気があって、彼に恋とか愛とかそういう情を抱くのを咎めているように見えた。
「それより、さっきの救われたくないって本当なのかい?」
「……きっと空耳でしょう」
 先ほどの言葉について優しく問いかける彼。きっと優しい親というものがあるならば、いい先生という人がいるのなら、よき恋人がいるのならこう問いかけるのだろう。だけどその優しさすら信じられなくて、怖くて思わず私はなかったことにする。それを聞いた彼は私の頬をそっと撫でた。
「いいかい、救われたくないとかそういった類をいうときは『もしも、もしかしたら』という祈りが込められているときなんだ」
「祈り……?」
「そうだ、それを望んでいれども拒んでしまう。どうして拒んでしまうのか教えてくれないか」
 ほら、と彼は頬をなでていた手で私を抱きしめる。暖かくて、泣きだしそうになるくらい柔らかい。
「……」
「まだ話したくないかい?」
「……」
 認めることも、否定することも私にはできない。認めたら自分の醜い部分がむき出しになりそうだったが否定したらすべてが崩れてしまいそうで怖かった。だから何も言わず、優しさに耐えた。
「まあ、そういうこともあるよなぁ。ならしばらくこうするか」
 よしよし、と彼が私の背中をなでる。ただ嘆息することも声を漏らすこともなく、何も聞かない彼の優しさに耐えるしかなかった。

◆◆◆

 しばらくして彼はカルデアのマスターに呼ばれて退出し、また私は一人きりで部屋にいた。ぬくもりは未だに残っていて、優しさの名残は消えつつある。だが蜘蛛の糸はまだちぎれておらずそれに縋り付こうか悩ましい。
 そういえば私は何してたっけ、と部屋を見渡す。机には飲みかけのお酒。ああ、と要約私は嘆息したのち自業自得由来の災難が降りかかったのはまた別の話。

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