ポリツィア・イ・ドーシチ

――或る天文台のお膝元にて。

「……オーララ、なんてこった」
「夕立だろう、まさかこんなに早く来るとはな」
 バケツを引っくり返したかのような雨が降り注ぐ。その中でNCPDの腕章をつけた一組の男たちが轡を並べて待機していた。西の空から黒い雲が広がったと思えばたちまち雨の匂いが広がりにわか雨。今はむせ返るような暑さが支配する季節であればこうなることはあると二人は把握していたがそれがあまりにも突然だった故に慌てて雨合羽を着てこの雨をやり過ごすことにした。
「まぁ、早く戻ったほうが……いやだめだ、なつのあめには哀れな少女が出るというしなぁ」
「なら、我々だけでも巡回を続行するか。上から戻れとも言われていない、かつこういうときこそきちんと巡回しなければならないからな」
「それもそうだな、シグルド」
 シグルドと呼ばれた男は頷いて手綱を握る。それを見た男は彼に習って馬の歩を進めた。

◆◆◆

「しかし、つくづく思うのだが」
「どうした?」
「その口ずさんでいるメロディは、なんだ?」
「シェリーに口づけだが?」
「なるほど、把握した。あまりにも個性的なメロディだったのでつい」

◆◆◆

 雨は変わらずざぁざぁと降り続いている。ぱしゃぱしゃと馬たちは水たまりも気にせずに歩んでいく。男たちは目を凝らしつつもなにか怪しい人たちがいないか目を光らせている。
「流石に外出しているものは少ないな」
「誰も濡れたくないのだろうな、ときに聞くがナポレオン、貴殿は雨に濡れた女は好む方か?」
「ああ、大好きさ。詳しく言っちまうとあれだが……いや珍しいなシグルドの方からそういうことを聞くなんて。もしかして近くにそういう女がいるのかい?」
「そういうわけではない。興味が湧いたまでだ。貴殿はいつも倒れたりしている女を見るたびに馬からおりて駆け寄っていくからな」
「警官として当然のことじゃないか? シグルド」
「ああいや、そういうわけではなく……なんというかナポレオン、貴殿が休憩中のとき助けた女の幸せを祈っている姿を見てな、それでだ」
「……見られていたか」
「別にどうということはないが、我々は街の景観と治安を守るのが仕事だ。我々警官が台無しになる……なんてことは避けてくれ」
「ダコール、それより真剣な話をしている中悪いが……さっきのは年末に向けての単独笑撃の練習かい?」
「……違う、忘れてくれ」
 ウィ、と小さくナポレオンは返事をする。雨脚は弱まることはない。
「こりゃ虹は見られそうにないな」
「虹、か。確かこの前は夜の虹が見られたらしいな」
「ああ、ほのかな月光で出来た七色の光、きれいだったな……ん?」
 突然、ナポレオンは青い目を凝らして石畳の道を見る。視線の先にあったのは青い服をまとった女が地に伏しているところだった。暖かい雨とはいえ体温より低い液体が降り注ぐこの状況にいることはかなり危険であるということを二人は知っていた。
 そして、それを見るや否やナポレオンはすぐに馬をおりた。
「すまんマレンゴ、ここでシグルドと待っていてくれ」
「心得た」
 水たまりに足を滑らせないように着地した後、男は女に駆け寄った。黒ブーツに雨水が跳ね返る、その水滴が雨合羽に跳ね返る。それをいとわずに男は駆け寄り、倒れた女を抱き起こした。
「大丈夫かい? 大丈夫かい? お嬢さん」
 男の声に女はコクリと首をゆっくり縦にふる。意識があることに男は胸をなでおろしたがその男を見る女の目がひどくうつろでどこを見ているかわからないという状態が少し気がかりになった。それに加えて青い服……半袖でロイヤルブルー、ミモレ丈。そこから伸びる白い手足はひどく震えていて動く気配はない。
「こんな格好で、どこに行こうとしていたんだい?」
「……わからない、です」
 消え入りそうな声で女は答えた。ああ、と男は心のなかで嘆息し質問を続けた。
「そうかそうか、お嬢さん……と言ってもずっとそう呼ぶのはあれだからなぁ。オマエさんの名前は言えるかい?」
 優しく触れるような声色で女に問う。女はか細い声をふっくらと熟れた唇から出した。
「四条……蒼です……」
「四条蒼か、実にいい名だ」
 ほら、とナポレオンは蒼と呼んだ女をゆっくり抱きかかえてシグルドたちが待つ場所へと運んでいく。丁重に、壊れ物を扱うかのように運び彼女を馬に乗せてやる。
「しっかり捕まれよ?」
「は、はい……」
 その後自分自身もそれに乗り彼女の腕を自分の腰に回させた。
「ん、戻ったか。それで……保護したのか、その少女を」
「まぁ、な。道路になぜ倒れていたか聞くべきだろうし」
「それもそうだな、貴殿らしい」
 ふ、とシグルドが微笑んだ後二人は再びゆっくりと馬の歩みを進めさせる。雨脚はあいも変わらず弱まることを知らずただ降り注ぐだけだった。

 しとしと、ざぁざぁと降る雨の中警官たちは雨の中横たわっていた四条蒼を保護するためにまっすぐ警察署へと向かっていく。女はただ馬に揺られつつも僅かな腕力でナポレオンの腰にしがみ付いており、ゆるゆると振り落とされないようにしているが変わらず眼鏡越しの瞳は虚ろであった。ナポレオンとシグルドは先ほど馬に乗せた女についての処遇について話しているが雨音のせいか女の耳に入ることはない。そして彼女の濡れた服の冷たさも伝わることはなかった。
 ―――どうして、わたしをたすけたの
 誰にも見られないように顔を男の背に埋めた後で一筋の涙を雨に紛れさせる。男たちは彼女の方を振り向くことはなく、ただ馬の歩を進めさせた。

◆◆◆

「―――では、今後の天気です。ノウム・カルデア天文台地区はこのあと雨が上がるでしょう。運が良ければ月虹が見られるかもしれません」

◆◆◆

「……蒼、一人暮らし……と。場所はノウム・カルデア天文台地区の……か」
「間違いありません……」
「ここからだと近いだろう? ほらこれ飲んであったまりな」
「まぁ、近い……ですね。あと飲み物は大丈夫、です」
「そうか、確かに近いな。それで本題だが……」
「―――どうして倒れていたんだい?」
「……」
「蒼殿、どうか言ってほしい。当方らは貴殿を助けたいのだ」
 最低限の個人情報聞き取りの後、二人は女に対し根本的な質問をした。保護したとはいえあくまで二人は公職につく身である。故に職務遂行は最優先事項であるため何故、彼女が雨の中、しかも助けを求めずに倒れていたのかを確かめることにした。しかし最低限のことしか蒼は話すことはなく、それ以外―――何故倒れていたかについては決して口を割らなかった。
「……どうして、私は倒れていたのでしょうねぇ」
 虚ろな目で歌うようにぐるりと部屋の中を見渡す。無機質な部屋に焔と氷を思わせる男がそれぞれ一人ずつ。女は自分を助けたほうの男―――焔の方を見やる。綺麗に拭き取られた眼鏡のグラス越しに男をぼんやり絵画を見るようにして視界にとらえた。
「ナポレオン殿、どうやら彼女は貴殿と話がしたいらしい」
ほら、とシグルドは立ち上がり彼女と彼の話の内容を確かめるために別室へと移動した。
「―――なるほどな、さて……」
 首を回転させてシグルドを見送った後ナポレオンは蒼の方に向き直り話の続きを始める。
「今日は酷い夕立だったなぁ。何をしている途中だったんだい?」
「あ―――」
 ゆっくり女は男の方に顔と視線を向ける。濡れた髪から雫は落ちきっているが、ただ先ほどまで雨に打たれていたという名残を震えとして体に残している。しかしほんの少しとはいえ一緒にいた時間があったからか、それとも公職に付く者が相手であるからか、唇の隙間から少しだけ言葉を漏らした。
「あるいて、いました。あつかったあとにぬれるの、きもちよくて」
「地面に伏せるほどか?」
「だって水たまりがありましたから」
 へへへ、と女は初めて男の前で顔をほころばせた。男からしてみればまるで無邪気な少女のようで―――仮面をかぶっているような笑みだった。しかしナポレオンは決してその笑みの前で顔を曇らせることはなく質問を続けた。
「どうしてその青い服を着ていたんだい? お気に入りかい? とても綺麗だ」
「ええ、青大好きなんです。特に暗い青が……」
「中々似合ってる。それで本当に、一人暮らしかい?」
「……ええ、そうですよ」
「……そうか、それで何故倒れていた?」
「ですから、雨に濡れたくて―――」
「―――あのまま倒れていたら、オマエさんは死んでいたんだぞ。オレたちがいたからまだいいが何かの拍子で乗り物がオマエさんの方にいっていたら一巻の終わりだった」
 顔を一気にこわばらせて、男は事実を突きつける。女は光のない目を見開いて男を見た。後少しだけ思慮を巡らせる素振りを見せた上で女はいった。
「そう、だったんですね。確かに私は……馬にひかれるところでしたね」
「そうだ、いやオレたちは警察官だからきちんと常に前後左右確認しつつパトロールはしているが……そうでなくとも、どうして死ぬかもしれないようなことをしたんだい?」
 晴れた空のような目が、虚ろな女を見つめている。
 決して責めるようなものではなく、ただどうしてそういうことをしていたのかをきくような目。
 女はそれに観念したのかぽつりと「嘘はやっぱり苦手だ……」と呟いた後さらにか細い声で答えた。
「本当に、死ねたらよかったんですけどね」
「……死ねたら、か」
 ナポレオンはカメラのある方へ身振り手振りをした後すぐに女の方へと向き直って優しい表情で口を開いた。
「何があったかこのオレに話してくれないかい?」
「―――ただ、死にたかった。それだけです。全部全部嫌になっちゃったので」
 蒼は泣くこともなく、ただ力ないままの笑みを浮かべる。ナポレオンはただ、「しにたい」と語った女の背景に想いを馳せるしかなかった。安易な同情が出来るはずもなく、かといって深堀りも知り合ったばかりであれば難しいものであるからこそ、現時点で出来ることはないに等しいものだった。

◆◆◆

「ナポレオン殿、ナポレオン殿」
「どうした、シグルド」
「蒼のことだが……同居している家族がいるらしい」
「―――そうか」
「む、その口ぶりは分かっていたようだな」
「シグルドはオレより前に分かっていただろう?」
「ああ、だが念には念をというだろう? 故に裏もとってきた。当方の方から連絡は取ったがすぐに迎えにいく、そうだ」
「わかった。何から何まですまんなシグルド」

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