七罪考察

 冷たい雨が、体に染みる。しとしとざぁざぁとシャワーの水が降り注ぐ。体が硬くなっていくけどそんなことを気に留める暇はない。ただ私の罪が、洗い流せないだけなのだ。
 その自分の罪を考える。始まりは恋心。一番大きいのは嫉妬心。その次に強欲。一番危険かもしれないのはその嫉妬心で最悪の場合それによって私自身の心が壊れた果てに大惨事が起こる可能性がある。しかもそれは何をしようとしても消えそうにない。一瞬だけ忘れるということは出来るけど、それは酒におぼれるか病気になるかセックスをしているときくらいしか出来ないのだ。
 ただ、私はあの子が羨ましかった。彼にそんな強く思われている彼女が羨ましくて、北欧異聞帯での活動に支障をきたしかねないほど心は揺らいでしまった。そのありさまはロマンチックで、例え成就することはなくとも彼は想い人のためにその霊基を燃やした。人のすることに手を出すことは出来ないので私はただ、それを傍らで見ることしかできなかった。一言二言でも彼に思いを告げて砕け散ればよかったのかもしれないがそんなことをしたら、歯車は軋み、結果的にここでカルデアが瓦解しかねない。私が、我慢すればよかっただけの話だ。そのはずだった。
 でもその北欧異聞帯の件が終わった後、私は彼を召還した。そして恋に落ちて、結ばれて、思い出と傷を作った。私の心のうちと罪を明かしたけどそれでも彼は私の力になると言ってくれた。熱いプロポーズの言葉と口づけと温もりのセットを貰っているがそれでも私は、もっとそれ以上のものを欲してしまう。猜疑心は未だぬぐう事は出来ず、婚約者と呼ばれるたびにノイズがちらついてしまう状態は私にとっては好ましくないことでもある。今の彼を無意識に北欧異聞帯における彼と重ね合わせてしまっていることを実感させてしまっているからだ。今の彼とあの時の彼は名前や姿が同じの別人であるということはわかっているがどうしてもあの時の記憶がよぎってしまう。私だけを見てほしいという浅ましい願いを抱いてしまうのだ。
 そんな私が、彼に淡い思いも、色欲も抱いていいのだろうか。この先彼をずっと思い続けていいのだろうか? 罪は酷くこびりついていて消えそうにない。体が氷のように冷たくなっていく。服も濡れてレンズも役割を果たしていない。ポケットに何かないか探ってみたが三角定規もシャープペンシルもなかった。
「……どうして」
 タイルの床の上で体育座りをする。目は覚めていっているものの体は動かない。どうやら低くなっていっていることでセーブモードに入りかけているらしい。
「そうだ、これは罰だ。思いを抱く罪に対する罰だ」
 どうか今の私を誰も見ていませんように。そう小さく祈りの言葉をつぶやいたがその言葉はすぐに打ち砕かれる。がらりと部屋に誰かが入る音がした。聞き覚えのある低い声が聞こえてくる。私の名前を呼んでいるらしい。
「……蒼? どこにいるんだい?」
 ごそごそと何かあさっているらしいがそれもすぐやめたらしく、私のいるシャワー室に向かう足音が聞こえてきた。水音がするのならそっちに向かうのは当然のことか。
「蒼、また服のままシャワーを浴びているのか」
 がらりとシャワーのドアが開く。黒いブーツの足元だけが見えた。私の前を歩いて、視界から消えたかと思ったら彼は私の左隣に座り、私の右側が彼によって押し出されてシャワーの雨から外れた。その代わり彼の体は冷たい雨に濡れた。
「……アーチャー」
「どうした、何か取れないものがあるのかい?」
 そっと私の左手をとって彼は言う。私は思わず、自分の思っていることを口にしてしまった。
「何かがこびりついて、取れないんです」
 その言葉を言い終えたとたん、彼は私の左手を彼自身の口に持って行って、舐めた。そんなことをしても取れるはずがないのに。私の手に血はついてないというのに。ましてや私は、金星のような女ではないというのに。
「どうして、そんなことをするのですか? 私の手には何もついてないはずですが」
「オマエさんにこびりついてしまっているものをとるためさ」
 大きな舌が私の左手の指を舐めている。隅々まで念入りに這っている。嫌悪感とか性的な高揚感はなく、ただそうされているだけ。彼の咥内の温もりが直に伝わってきている。そのまま唾液まみれで出されようともシャワーは止めていないからそれも流されるだろう。そんなことをしても、拭えるはずはないのに。
「……無意味なのに、そんなことしても」
「無意味じゃないさ。意味はある」
「それは、どんな――」
「さあ、な」
 ゆっくりと指が咥内から離される。すぐに唾液は流され温もりは消え失せた。しかしシャワーの温度が上がることはなく、そのままの冷たさのまま彼は私とともに濡れ続けている。前髪も落ち、幾分か見た目が幼くなっている。そんなことを気にせずにナポレオンは話し続ける。
「なぁ、どうしてここでこんなことをしているんだい?」
「……罪を洗い流そうとしてました」
「だからこんなに冷たい水を着の身着のまま浴びていたのか」
 きゅ、とシャワーの蛇口が締められる。冷たい雨は止み、半ば強引に私は彼に立ち上がらされた後自室にてわしゃわしゃと水滴を拭かれた後ローブに着替えさせられた。あの時と、同じだ。
「でも風邪をひいてしまうとちと困るからなぁ、ほどほどにしておけ、メートル」
「……ごめんなさい」
「まぁ、分かればいいさ。それに正直オレはほっとしているぜ」
 何に、と聞いてみる。彼はこれ以上ないと言わんばかりのほっとしたような笑顔で私を見た後、強い力で私を抱きしめた。
「オマエさんに何事もなかったということが、だ」
「――ああ、そうでしたね。私、前科あるから」
 前にシャワーに濡れて外に連れ出されたことを思い出す。あの時私は簡潔にいうと自傷行為をしていた。その姿を彼は何度も見ているためきっとそういうことを言ったのだろう。単純に、偶然コート内になにもなかっただけなのに。でも、なんとか我慢しようと努めていたのは事実で腕の傷も薄れてきているのは事実だった。
「でも私、決めました」
「何が、だい」
「全部、全部背負います。罪も罰も何もかも。消えることはなく、何をされても悪いことをしたという証は消えませんから」
「……どうしてそう決めたんだい」
「かつて、北欧異聞帯で会った貴方に言われたんです。何かを踏みつけていくのなら背負うべきものを背負うべきだって」
「記録でオレはそういったらしいな……まさか、蒼」
「ええ、私は自身の良心を踏みつける責を負わねばならないと気づいたのです。罪はどうあがいても消えませんし許されるはずもないですから」
 その言葉を聞いた彼は私を抱きしめている腕の力を強めた。葉巻の香りと爽やかな香水の香りが混じって奇妙でスモーキーな爽やかさが鼻腔をかすめている。
「よく聞け、蒼。オマエさんの慕情は何も悪くない。いいも悪いもすべては表裏一体、要はくっついているんだ」
「……わかってます。だから私はそれを――」
「オマエさんは背負いすぎだ。全部自分のせいにして背負って崩れて倒れたら元も子もねぇよ」
「でも、私は倒れるまで背負わなきゃ……」
「――なら、オマエさんは背負うものを選べ。余計なものまで背負いこみすぎだ」
 いつも聞くような明るい声ではなく、低く、そして私にだけ聞こえるような声で彼は言う。常に私のことを見ているが故の言葉。なかったことにしないというのは彼なりの敬意の表し方なのだろう。私という存在を留めておきたいと思っているのか彼の大きな手が私の着ているバスローブをことさら強くつかんでいる。
「でもこれだけは覚えていてくれ。オレは、蒼のことを愛してる。愛しているからこそ助けたくなるし困っているときには手を差し伸べたくなるんだ」
 優しい言葉が、突き刺さる。こわくて、それでいてあまりにも優しすぎて目が潤んでしまいそう。人前で泣いても何も変わらないというのに。決心が揺らぎそうになるからこれ以上優しい言葉を言わないでほしいのに、さらに彼は言葉を続けてしまった。
「だから……辛くなったらオレを頼れ、そうしなければオマエさんが辛くなるだけだ」
 当たり前の事実にして、全く認識していなかったことを告げられる。既に私は限界だったらしく自分を覆っていた何かが崩れるような感覚がした。人をねたんで、欲を増幅させているだけの私にそんな優しい言葉を、そそぐなんて。
「ずるいです、ナポレオンさん」
「思ったことを言ったまでさ。それにオマエさんの力になると誓ったんだぜ」
 普段だったらそんな優しい言葉をうのみにせずに拒絶するはずなのに、何故か今は彼の言葉を受け入れたくなってしまう。
「……アーチャー、信じていいの?」
「用心深いなぁ、蒼は。もちろん信じていいさ」
 温もりに溺れて、抱きしめられる。こんな私に優しく、手を差し伸べてくれる人を悲しませちゃいけない。顔を上げてみたらとてもやさしい目で笑っていた。残酷にすべてを照らす太陽ではなく、春の日向のような貴方。どうか、どうか――こんな悪い子をずっと愛してください。許してください。私の罪は全部背負いますから。
「ありがとう、ございます……」
 どこからともなく優しく啄むように口づけをかわす。とても暖かくて、その温もりがもっと欲しい、私だけをずっと見てほしいなんて浅ましい思いを封じ込めて今だけはこのつかの間の幸せに浸った。
「その時は、その時はどうか……よろしくお願いします」
「お望みのままに、メートル、マドモアゼル、いや、フィアンセ」
 けがれた手で彼に触れる。毒に満ちた喉で彼と話す。フィアンセという言葉に心を躍らせて、静かに過去のことが再生される。彼は悪くない、ただ、私が悪いだけ。私の思いは私だけで抱えねばならない。ずしりと重い心を携えて私はただ、彼のアイに身をゆだねていった。

 完

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