小径捜索戦/零

 決して、手を伸ばしてはならない。決して、欲しがってはならない。決して、振り向かせてはならない。決して、あの人の顔を見てはならない。これが私が自分自身に課した決まりであり、枷である。無尽蔵にあの人を、あの人のことを欲しがってしまいそうだからだ。そうなってはまた迷惑をかけてしまいそうで怖くなる。故に今日も私は淡々と隊長が貯めている書類整理の手伝いをする。何か声をかけられようとも揺らぐことはなく、隊長の名やら印やらが必須の時はそれをより分けて、彼の元へと持っていく。だがその時がとても大変で、七緒さんがいればまだいいのだが彼女がいないときは虚と相対する並みの覚悟がいる。ごくり、と唾をのみ何とかして意識を固定。さあ、ただ隊長に書類をはい、どうぞとするだけだ。襖開けるのと同時に、書類を差し出してすぐ退出。よし、大丈夫だ。そして私は、恐る恐る襖を開ける。
「……隊長、失礼します。突然で申し訳ありませんが」
「おんやぁ、蓮ちゃんじゃあないの」
 ……だめだこの隊長。文机の上で小説の原稿を書いている。だが彼のペースに呑まれてはいけない。
「その、こちらの書類ですが」
「えぇ……後ででいいかなぁ?」
「後で……伊勢副隊長に色々言われますがそれでいいんですか?」
「まぁ大丈夫でしょ、んで、用件は」
「それだけです」
 取り急ぎ私は京楽隊長の目の前に書類をどんと置き、足早に出ようとした時だった。
「……蓮ちゃん、根詰めすぎてない?」
「何も、詰めてませんし正常ですよ、ええ」
「……目の下、くま出来てるじゃないの」
「嘘ですよね」
「ほんとほんと、少し寝た方が」
「大丈夫です!」
 まさか夜通しでバラ色の小径を読み直していたとは著者本人の前では言えまい、ここは何か……いい感じの言い訳を言ったのち逃げねば、どうにかなってしまいそうだ。
 1,鍛錬は流石に不味い。これを言ったら恐らく京楽隊長のことだ。腕とか触ってきて確認してくるだろう。2,夜の散歩……は流石にばれる。彼は夜の街に繰り出して飲み歩いていたりするからその夜出歩いていたとなれば……嘘がばれるのは明白。だが正直に言うのも後で面倒事になる未来しか見えない。あ、瀞霊廷通信を読む、これなら大丈夫だ。
「瀞霊廷通信を……隅々まで読んでいただけです」
「そうなの、確か君、十二番隊にいたからもしや」
「違います、マユリ様の影響ではありません」
「ほーん……それで蓮ちゃんはどの記事が好きなのかな? もしかして……僕の書いてる」
「いえ、日番谷隊長の……」
「それ、今は夏だから休載するってさ」
 やってしまった。今日こそ涼しいが今は暦の上では夏であるということをすっかり失念していた。ここから立て直して自分の持ち場に戻ることは難しいだろう。ああ、私はまたあの甘ったるい声を聞き続けねばならないのか……。
「で、どの記事が一番好きなのかなぁ」
 そっと、隊長は文机に乗り出して正面から耳元でぞくりとするくらい低い声が流れてきた。やめてくれ、それ以上、何も言わないでください。
「……黙秘します」
「そういわないでさぁ、ボクもっと蓮ちゃんのこと知りたいし……全然君自分のこと話したがらないでしょ?」
「別に、私のこと隊長に話してどうなると、いうんですか」
「……そうだね、もっとボクが君のこと好きになる、ということかな?」
「勘違い……は、甚だしいですね、隊長……」
「ほら、声、震えているし顔も赤いじゃないの」
 顔に血が集まる感触がした。私はとっさに隊長の肩を突き飛ばし、何も言わずに隊長の執務室から振り返りもせずに脱出した。
「あ、ちょ、蓮ちゃ……」
 情けない声から遠ざかり、大急ぎで自分の分の書類の前に立つ。これでやっとか、と思えどふと懐が寂しく感じ手で探ってみた。
「……嘘でしょ」
 そこに、私が何時も読んでいる本――バラ色の小径――はなかった。もしや、とそろりそろりと引き返した。

 そして隊長が本を拾い、落とし物のお知らせが八番隊全体に広まりまたひと悶着あったのはまた別の話である。

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