夢を見た。
しんしんと雪が降り積もる夜に、ボクは女の子に出会った。それはまるでかつてボクが魂葬した少女にひどく似ていて、いいや、正確にはその少女の名残がある女の子というわけだが。まるで濡れたように輝く黒い髪の毛、虚無を見ているような緑の瞳、女性であることを示しているような豊満な体つき、そして雪のように白い肌。黒一色の着物をきちんと着ていているが見るからにそれは薄手だった。不気味なほどに一切震えたりさむがる様子すら見せてはいないが、それがかえってどこか危うくてどこか惹かれてしまった。きっとあの時自殺さえしなければこのような姿になっていて、いい人と出会って平穏な人生を送っていたのだろうか。
「……蓮ちゃん、だよね?」
恐る恐る、あの時名乗ってくれた少女の名前で呼んでみる。されど女の子は首を縦に振ることも横に振ることもせずただそこに佇んでいるだけだった。
「ねえ、寒いでしょこんなところにいちゃ。だから、ボクが温めてあげるよ。さ、おいで、恥ずかしがらなくていいから」
さくり、と雪を踏みしめてボクは彼女にゆっくり歩み寄る。手を広げてボクの胸の中に取り込もう。そして、せめてもの温もりを提供しようとした時だった。
「――――――――――」
厚く熟れた唇が僅かに動く。その動きから何と言っているのか読み取ることは叶わない。
「どうしたの? もしかして、ボクのこと一目ぼれで……」
好きになっちゃったの。その言葉を彼女に届けることは出来なかった。何故なら――――
「寒くもない、温もりはいらない、ましてや助けなんて、いらない!」
悲嘆と共に突如彼女は右手を前にかざす。足元からは黒い泥が湧きあがり彼女の右手の元で巨大な武器が瞬く間に生成されたからだ。形を作り終えた泥はまるではじいて消えるように消えていき、そこにあったのは彼女の身の丈程ある金剛杵だった。
「その武器、置いといてくれないかい? それじゃあ、君を助けようとも助けられないじゃないの」
「聞こえなかったのですか? 助けなんて、いらないと」
「でも、君はとても寒そうだったから」
言い終わらぬうちに、ぶんと女は金剛処を振り回す。それと呼応するようにあの黒い泥が白い雪の地面から勢いよくボクに向かってきた。
粘度を多く含んだ黒い泥、彼女が沈んだであろう黒い泥、きっと彼女を永遠に捕えてるだろう黒い泥。きっと、彼女がもし流魂街にいるなれば、まだ救われてはいないのだろう。その証拠に彼女の目からは一筋の涙がこぼれていたのだから。
「寒くなんか――――な、い!」
目の前の哀れな女は咆哮する。ボクはいよいよ覚悟を決めて刀たちに手を掛け――――あれ。
「まいったね、こりゃ……」
……ああ、なんて失態。
既に黒い泥は僕の手足を拘束していて動くことは叶わない。きっとボクはあの金剛杵で貫かれるのだろう。夢とはいえ、さすがにまいったな。
「左様なら」
細い腕で女はその金剛杵をまっすぐ投げる。軌道の先にあるのはこのボク。
「どうしたら君を、救えるんだろうねぇ……」
静かに涙を流している女をまっすぐ見据えつつ、ボクは甘んじて欲を貫く刃を受け入れた。
◆◆◆
「隊長……隊長ー!」
誰かが、ボクを呼ぶ声がする。隊長と呼んでいるのなら恐らくあの子ではないだろう。
「まったく……どこにいらっしゃるのですか……本当隠れる腕を上げて……」
誰かが、ボクを皮肉めいた言葉で賛美する。きっとボクを良く知る人だろう。
「隊長、今日は十二番隊から異動してきた隊員に挨拶とかする予定じゃないですか! もうすでに隊首室で待ってますよ!」
誰かが、ボクの仕事について言っている。であればきっと―――
「ん~、七緒ちゃぁん……、そういう予定だったっけ?」
そう、七緒ちゃん以外ありえない。だが今こうして桜咲く春を謳歌しているのだ。少し残酷で哀しいけど可愛い女の子の夢を見たばかりなんだ。頼むからこう、少しだけ手心というものを加えてくれないだろうか?
「ええ、そういう予定です。まったく、女の隊員だからって昨夜浮かれてたじゃないですか」
「……え、そうだっけ」
「酒で全て忘れた、わけじゃあないでしょうね」
「まさかぁ」
「……本当、隊長という人は……。そんなにだらしない顔で昨日はやれどういう女の子が来るかだの、やれどんな姿なのかだの、やれあの時の女の子じゃないかと酔いながら言ってましたよ。というかあの時の女の子って誰なんですか!?」
いつものように七緒ちゃんの眉は吊り上がり、怒った顔を見せている。ああ、本当にかわいいといったらありゃしない。
「んー、まだ七緒ちゃんには話していなかったっけ? ボクがかつて魂葬した女の子のこと」
「……?」
あ、珍しく七緒ちゃん頭の上に疑問符を浮かべてる。
「いやあ、可愛らしく七緒ちゃんが聞きたそうな顔してたし話すとするかねぇ」
「誰が可愛らしく聞きたそうな顔してますか。まあいいですが……それで、その隊長が魂葬した子とはいったい」
そして僕は七緒ちゃんにあの女の子を魂葬した話をした。彼女が自殺していたことは【ずっと一人ぼっちだった】ことに置き換えておく。そしてその一人ぼっちの子に名前というより名字をつけた、そしてその子の名前が【風花 蓮】ということを話したところで七緒ちゃんは目を見開いたんだ。
「あ、多分私知ってますというか……真央霊術院での同期でした。確か卒業後は十二番隊に所属してました」
――嗚呼、なんという奇跡か。
まさか、あの子が死神になっているなんて。いや、きっと同じ名前の子だろうか。十二番隊に所属していたという過去形が少し気になるが、それでも同姓同名であろう女の子については知る必要がある。
「七緒ちゃんの同期……ねぇ、蓮ちゃんと交流はあったのかい?」
「ええ、少しですが交流はありました。よく図書室で出会いまして、お勧めの本というか最近読んだ本について意見交換を少しするだけでしたが……最後まで好きな本について教えてもらうことはありませんでした」
「そうか……、それじゃ、好みは分らないわけかぁ。で、なんで彼女は十二番隊に?」
「そこまでは流石に……教えてくれませんでした。って、ともかく! なんで私に聞くんですか!?」
「……え?」
いきなり七緒ちゃんが少ししんみりしたような顔からいつものような怒り顔に変貌する。ボクは一体なにかまずいことをいったのだろうか? と思った時だった。彼女の口から衝撃の言葉が告げられた。
「その風花 蓮ですが、もうすでに貴方がいるはずだった隊首室にいるんです! 今日付で八番隊に異動してきたのですから!」
――――嘘。同じ名前の女の子が、ボクの部屋に。
「―――へぇ、そりゃあなんたる偶然」
本当に、彼女は僕の知る【風花 蓮】だろうか。まあそれはいい。こんなに長く女の子を待たせるなんて申し訳ないからボクはゆっくりと起き上がり、いつものように死覇装を着崩した。
「ありがとね、七緒ちゃん。んじゃ、行ってくるよ」
そしてボクは瞬歩で真っすぐ自分の隊首室へと向かう。後ろでは七緒ちゃんがなんか言ってたような気がするがこうしちゃいられなかったんだ。
◆◆◆
慌てて隊首室に戻ったボクを待っていたのは、まるでさっき夢に出てきたような女の子だった。黒く長い髪の毛は後ろで一つにまとめられていて、光を喪った翠玉のような目、肌は太陽を知らない程白く、体つきは女性らしさを強調していた。その中にやはり、あの時出会ったようは哀しさがまだ彼女を縛っているようなものが含まれていることが感じられている。女の子は新しい仕事場であるからか小さく震えている。ここで緊張を解くのがボクの役目。いつものような笑顔で、ボクは切り出した。
「君が、今日ここに配属されてきた死神かな?」
「はい、本日付で八番隊に配属されました。風花 蓮です。不束者ですが何卒よろしくお願いいたします」
うつむいた顔から、鋭く氷を思わせるような声が聞こえてくる。まるで自分を抑えることになれているような調子。緊張感は未だ持っている、ということか。
「ん、大丈夫大丈夫だって。そんなに気負わなくていいの。ボクは八番隊隊長、京楽春水。よろしくねぇ」
「は、はい。京楽隊長」
まずは握手しようとボクは手を差し出したけど、その手は取られることはない。蓮ちゃんは頑なに後ろ手の姿勢を崩そうとしない。
「楽にしていいよ、蓮ちゃん。ボクはね、女の隊員には優しいの」
「……はあ、そう、ですか」
彼女は虚ろな目でボクをじっと見る。いや、正確には焦点すらあっていないように見えた。まるで僕の瞳だけを見ているのではなく、ボクを中心とした景色全体をとらえるような視線。その視線に光は排除されていた。その目に光は宿るようにと一縷の望みをかけてボクは一つ切り出す。
「蓮ちゃん、折角だからさぁボクに何か訊きたいことはない? ほら、なんというか……」
「一つ、聴きたいことがあります」
「なんだい? 蓮ちゃんの聞きたいことならなんでも答えるよぉ」
一体、蓮ちゃんは何を質問するのだろうか。少しだけ期待しつつ、ボクは彼女の問を聞いた。十二番隊と八番隊では色々と勝手が違うだろう。ましてや彼女は元々技術開発局の捕獲部隊にいたようだ。出来る限り新しい環境に慣れてほしいし、その手助けが必要ならボクは惜しむつもりはない。
そうこう考えているうちに蓮ちゃんは、小さく息を吸う。一度息を飲み込んで、震える口で問を口にした。
「―――何故、あの時『地獄に堕ちるぞ』なんて言ったんですか。生前罪を犯さなければ虚になっても地獄に堕ちるはずなんかないのに」
一瞬、静けさが隊首室を支配する。
その問いは、あの時蓮ちゃんを護るためについた嘘についてだった。彼女を虚にしたくなくて、仮に虚になったとしてもその矛先が他のところに向けさせないためについた嘘。道を踏み外して欲しくなくてついた嘘。問を突き付けられたことで、かえってボクは安心できた。あの時名字をつけた女の子は、あの時ボクが魂葬した子は、きちんと大人になるまで生きていたという事実が実感できたのだから。
「そっか、気づいちゃったんだね。いや、霊術院に進んで死神となったのなら遅かれ早かれ気づくか」
「はい、それを知って、私はいつか絶対嘘の理由を貴方から聞き出そうと決めた次第でございます」
人肌が感じられない声は、淡々とボクに向けて言葉を放つ。ここはひとつ、真実を述べなくてはならないだろう。
「そうか、なら嘘をついた理由、君に言わなきゃならないね」
相変わらず、彼女の瞳は最初にあった時と変わらない緑。あの時と同じように彼女の瞳はボクを捉えている。ボクは、ゆっくりと目の前の蓮ちゃんに真実を、告げた。
「ボクはね、君に道を踏み外して欲しくなかったんだよ。何もしてない人たちを傷つけることによっていじめっ子たちと同じような存在になってほしくなかった。それだけさ」
はっ、と小さく息をのむ音がした。ぎりと目の前の女の子が唇をかみ、ボクから目を背ける。ただボクは嘘の理由を述べることしかできない。そこから先は彼女がどう動くか見守るしかない。いや、言ってないことと言えば―――ほんの少しだけ同情があった。見ず知らずの少女の嘆きを知ってしまい、せめてもの幸せを願ったのだからきっとそうだったのだろう。
「それって」
「君の場合、虚になっても地獄に堕ちることはなかった。その場合いくら周りに迷惑かけても尸魂界に魂が導かれるわけだ」
「はい、存じ上げております」
「だからボクはね、その時生まれる罪悪感の苦しみから君を救いたかったんだよ」
一瞬、彼女の緑の目が見開かれる。目線だけ、ボクの方に向けられる。
「そう、だったんですね」
ふっ、と安堵したような息をつき、蓮ちゃんは再びボクの方を向く。そして彼女のそのふるふるとした唇をゆっくり動かして、凛とした声を出した。
「ありがとうございます。嘘をついた理由を教えてくださって。きっとそのままであったら私は、貴方に不信感を抱いたままここで働いていたことでしょう。それを私は望んでいません」
「それなら、よかった。んじゃあ、今日からよろしくねぇ」
すっと僕は彼女と握手をするべく手を伸ばす。蓮ちゃんは恐る恐る右手をボクの方に差し出した。小さくて細い指、まるで繊細な工芸品を思わせるような手は、青い手袋に覆われていた。
「ん? 手袋は外さないのかい?」
「ああー……これはすみません。いくら京楽隊長のご命令でも外すことはできません」
「そっかー……そうかー……それは残念」
「ええ、なんかすみません」
「ん、大丈夫大丈夫」
ほら、とボクはそっとその小さな手を両手で包んだ。手袋をしているにも関わらず、とてもそれは冷たかった。
「……ありがとう、ございます。その、京楽隊長の手って、大きくて暖かいんですね。とても安心します……」
その言葉と共に彼女はほんの少しだけ微笑んだ。その笑みが何処か、口元で何か零れるのをこらえているように見えた。そして手は振りほどかれる気配はない。それよりボクが気になったのは、彼女の笑み自体が身を守るために取り繕っているように見えてしまった。まだ、やはり彼女は救われていないのだろう。
「ああ、くれぐれも無理はしないでくれよ。蓮ちゃん」
「――はい」
ほんの少しだけ、彼女はほころんだ笑みを一瞬だけ見せた。目に光はなかったが、肌は少しだけ上気して赤味が差された。きっと、本来の彼女の笑い方はこうなのだろう。仮面のようなほほえみじゃなくて内面から咲くような笑顔。
そうぼんやりボクが思った瞬間、ボクの内部構造がぎしりと鳴ったような感じがした。この感触をボクはよく知っている。そうだ。是は、この感触は―――
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます