「――あ、ふぅ」
繋がっていた唇が離れ、唾液は銀の珠を作って、途切れた。蒼は目の前のナポレオンにより壁に追い詰められた状態で両手を塞がれていた。男の握力が強いのか、逃げようともがいてもびくともしない。それどころか男は少し余裕そうに女の顔を、体を舐め回すようにみていた。
「ねぇ、どうして」
「あー、もう一度聞くが香水は変えてないよな?」
「変えてないです……。どうして、どうしてそのようなことを聞くんですか?」
肩を上下させて女は問う。男は香りを確かめるように蒼の首筋に顔を埋め「やはり、な」と女にだけ聞こえるようにして呟いた。
「わかるんだよ、普段と違う香りをまとってるなぁって。好きな女の匂いはわかるさ。それがないから誰かと会ったのか、それとも香水や石鹸等を変えたのかと思ってな。でも……それがない、それがないんだ。蒼」
すう、とナポレオンは女の匂いを取り込んだ。蒼はただただ戸惑いと歓喜が入り混じったかのような笑みを浮かべている。
「……あ、あーちゃー、ちが、あ、その」
「しどろもどろになってるぞ? 何か言いたくないこととかあるのか?」
ぎらり、と男の青い瞳が輝いた。どこまでも澄んだ青い空のような目は熟れた果実のような顔色をした女の横顔を映している。女はただ目を泳がせ、厚い唇をぱくぱくさせて小さな声でいった。
「あー……私、ほんとに、貴方以外の男とは、そんな関係とか、むすんでません……」
「わかっている、わかっているさ。蒼はそういうことしないもんなぁ」
「じゃあ、どうして……」
「他の人の匂いがした。だからその出処を探っているんだ」
「わかんない、本当にわからないんです……っ!」
わからない。その言葉を聞いた男はす、と女の体を自分の腕の中から解放させた。女はただ、乱れた自分の衣服を整えて、少しだけ呆然としつつ潤んだ目で男をみていた。
「本当にわからないんだな。そうか、それは……すまなかったな。少しこっちも冷静じゃなかったようだ」
「大丈夫。むしろ……ほっとしました」
どこがだい? とナポレオンは蒼に問う。さながら裁きを待つ被告人のように。女は少しだけ浮ついた声色で答えを口にした。
「嫉妬してるの、私だけじゃないことがわかったから」
「―――蒼、オレにも嫉妬というものはあるんだぜ」
「それでも、少し信じられなかったというか……いや、ああ、うん、その……!」
顔を更に真赤にして女はダッシュでその場を離れようとする。しかし手首はいつの間にか再び拘束され、蒼は再び男の腕の中に取り込まれた。
「――」
「蒼、もしオマエさんがよければ試してみるかい?」
「いいよ、疑わしいことをした私が悪いもの。どんなことしても、いいですよ」
容易くそんなことを言うな、とだけナポレオンは言って女を抱え込むようにして抱き上げる。向かう先はベッドルーム。そして――香りの上書きと女の渇望によって行われたおしおき、そして深く抉るような愛の睦言がかわされたがそれはまた別の話。
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