春を待つ

「……やっと起きたかい、蓮ちゃん」
 ゆっくりと女は男の声と共に意識を浮上させる。両目に映るのは木で組まれた天井と右目に眼帯をした愛しい男。布団の中にいる女の傍らに座る男は大きくごつごつとした手で女の頭をやさしく撫でる。女は「ん」と鳴きながらもぞもぞと布団の中で身じろいだ。
「総隊長殿」
「おっと、今は二人きりだから下の名前で呼んでもらえると嬉しいなぁ」
「申し訳ありません、春水さん……」
 女は布団で顔を覆うとしたが京楽はそれを許さないと言わんばかりに優しく女の頭を撫でていた手で静止した。
「顔、見せてくれると嬉しいなあ。それに息が苦しくなっちゃうでしょ」
「は、恥ずかしいんです。こんなに無様な顔とか様子が見られるのが」
「でもボクはそう思わないし、なんならここに運び込んだのは僕だから」
「……そう、でしたか。すみませんありがとうございます」
 まさか二人きりの酒の席であんな姿を見せてしまうなんて、と自分自身を嘲笑うかのように蓮は吐き出した。京楽はゆっくりと先程までのことを回想し始めた。

◆◆◆

「君、最近元気なさそうじゃないの」
 先の滅却師との大戦後、護廷十三隊総隊長として京楽春水は尸魂界の復興を進めており、もうすぐそれが終わると言ったところで一つ頭を休めようといつも通っている居酒屋へと足を運ぼうとした。誰か一緒に行く人はいないものかと一番隊隊舎内をふらふらとしていたところ偶然ふさぎ込んでいた恋人――風花 蓮を見つけたのである。あの大戦以降彼女はどういうわけかずっと陰鬱なる雰囲気を背負い込んでいた。故に彼は彼女に声をかけたのである。
「あ、総隊長殿」
「やだなぁ、今はボクたちしかいないから下の名前で呼んでもらえたらなぁ」
「……すみません春水さん。で、その、私そんなふうに見えてましたか?」
「そりゃあ、ね。なんか抱えてそうだったからつい」
「……別に、私は抱えてませんよ」
 ぎこちなく蓮は口角を上げて京楽に言う。そのぎこちなさに一瞬だけ京楽は破顔したがすぐに本来の目的を思い出した。今、京楽は一緒に酒を飲む人を探しているのだ。
「まあ、それは置いといて……久しぶりに一緒に呑まない?」
 いつもであれば愛しい恋人を前にだらしない笑顔で誘うが今回は違う。優しくその毛むくじゃらの手で細く白い手を取って、優し気なただ一人の「男」として京楽は微笑んだ。女は顔をゆっくりとあげて、その握られた手を握り返しゆっくりと返す言葉を紡いだ。
「わ、私でよければ……」
「んー、ボクとしては君がいいんだけど……じゃ行くとしようか、蓮ちゃん」

 いつもの居酒屋は既に営業再開していたようで作業帰りの死神と流魂街の人たちが楽しく飲んでいた。戻りつつある日常をよそ眼に京楽は店主に個室の手配をした。そして個室が確保されたことを確認したのち京楽は蓮と一緒に奥の個室へと案内した。酒は数こそ大戦前と比べてまだ少ないがそれでも飲むには十分だった。
「そうたいちょ……いえ、春水さん、その、ありがとうございます」
「大丈夫、気にしなさんな。今日は久しぶりにほら、飲もう!」
 ほら、と酒がなみなみと注がれた盃を蓮に差し出す。盃には一枚の桜の花びらが浮かんでいた。女はまるで怯えるように京楽の方を見る。相変わらず男はにこにことほほ笑んでいた。それがかえって女の目には不気味に思えてしまっているのか小刻みに震えていた。
「……その、この花弁は」
「ああこれ、今ちょうど桜の季節だからさ、店が用意してくれたんだってさ」
「そう、でしたか」
 くい、くいと女は二回に分けて酒を飲み干す。喉がやけるような感覚に何かを見出したのか口角を少しだけ歪ませた。
「……久しぶりです、この感覚」
「そうだねぇ、ボクもしばらく色々忙しかったから酒饅頭すらも食べられなかったし、それどころじゃなかったからねぇ」
 京楽もどんどん酒を盃に注いではのみ、注いでは飲んだ。蓮も京楽に盃を差し出して酒を注いでもらう。机の上には日本酒の入っていた容器がどんどん増殖していった。そして酒に侵食されきったのは蓮だった。何杯目か分からなくなったころ急に口を閉ざし黙になる。
「……蓮ちゃん? 寝ちゃったの?」
 そっと、蓮の後ろに回りとんとんと肩を叩こうと京楽は動いた。しかしそれが彼女の”醜態”への引き金になることを彼は知らなかった。
「……蓮ちゃん? 大丈夫?」
「――――――しゅんちゅい、しゃぁん……」
 ぐるり、と女は体を回転させてがばりと京楽に抱き着いた。そして顔は京楽の方へ真っすぐと向けた。
「……あちゃあこれは……これまた盛大に……」
「んねぇ、しゅんちゅいしゃんは、あたしを、すてることはない、ですよねぇ?」
 まるで歓喜に満ちた声で女は問いかけるが、その問いは宙に浮いたような声でするものではなかった。京楽はじっと、女の目を見つめて優しい声で答えた。
「大丈夫、こんなにまじめで優しい蓮ちゃんを捨てるなんてことはないよ」
「それ、わたしのひみつ、しっちゃっても……おんなじことしゅんちゅいはいえんですかぁ?」
「秘密、ねぇ……」
 もしや、彼女は先の大戦にてトラウマが出来たのだろうか、はたまたトラウマを思い起こすことがあったのか、そしてそれは「蓮にとって知られたら嫌われる」ようなものか。迂闊に踏み入ったら恋人を悲しませるだけでなく自分の手で壊してしまうということになる。故にまず、京楽は女の背に自分の手を回した。
「大丈夫、ボクは君の全てを愛するっていったんだよ? 捨てないし、むしろ大事にするって」
「ほんとぉにぃ? あたしのばんかい、たぶんしったらしゅんちゅいはげんめつするだろーしぃ、てぶくろとったときなんてぇ、きっとあたしとまぐわいたくなくなる」
「……大丈夫、幻滅なんてしないし、それにボクは蓮ちゃんだからこそ抱きたいんだ」
「んー、くちではそーたやすくいえるんすよしゅんちゅいぃ」
「口だけじゃないってこと、信じてくれないの?」
 そっと京楽は蓮の額に口づけを落とす。これ以上彼女をとどめておくのは色々な意味で危険だと京楽は判断し、蓮を横抱きにして抱え込んだ。
「大丈夫、ボクは君の味方だからね。君を魂葬したときからずっと」
 そして京楽は蓮に触れるだけの口づけをした。蓮は飲みすぎたのかゆっくりと瞼を閉じたのである。

◆◆◆

「――大丈夫、昨夜のことは話さないよ」
 回想を終えた京楽はそっと蓮の頭を撫でる。
「……春水さん、そのご無礼をお許しください……あんな、口で、その、あの」
「大丈夫だよ、だれしも不安なこととかはある。それにボクは気にしてないよ」
「ありがとう、ございます……」
 相変わらず蓮は目を逸らしてぽつりとお礼を言った。そして何かを詫びるような声で女は続ける。
「卍解ですが、その、すみません。それについては教えることは……できませんし出来そうにありません」
「大丈夫だよ、まあ手の内を知られたくないと言って仲間にその情報を伏せる死神もいるわけだし」
「あと、私の腕ですが、まだ貴方に教えられそうにないです……本当すみません……」
「いつか、教えてくれるようになったら教えてくれればいいよ」
 そして再び京楽は女の方へと手を伸ばす。女はゆっくりとその手を取り、自分の頬ですっていた。
「……暖かい、です」
「そりゃよかった。さ、いつでも甘えていいからね」
―――それが出来れば、それが分かれば―――
 女はそう思いつつ、ただ京楽の手に縋りついていた。

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