とうに道は、外れている。
その自覚はあれど元の道に戻る術は私にはない。先生と生徒が二人きりで、しかも生徒側が大人の男の腕の中に閉じ込められている場面は間違いなく激怒どころではすまされないだろう。だが――少なくともこれがあるからこそこの学校に行くことができるのは事実。
「名字さん、落ち着きましたか?」
滑らかなバリトン、そうすべきとシミュレートしたかのような腕の動き、一定のリズムで刻む長針、息づかい。はらり、と銀糸は彼の横顔を飾るかのように垂れ下がり私の頬へと優しく触れた。是、と首を小さく縦に振ると先生は「それは良かった」と腕を離して私の手を優しく包んだ。
「ですが……貴方もわかっておいででしょう。このようなことが露呈したら私も、貴方もここにはいられなくなります。……出来るだけ同級生もしくは生徒と親交を深めることをおすすめいたします」
ほら、行きなさいと言わんばかりに手を離された上に回れ右をされ、ドアへと背中を押される。それでも、ドアの向こうに戻って、どうやってあの大人数の水槽で息をすればいいのだろうか。ああ、そうだ――。
彼の方へと向き直り、残り3歩までの距離まで引き返す。
「名字さん?」
珍しく鳩に豆鉄砲を食らったような様子を浮かべる先生。しかしまたいつもどおり仮面のような笑みへと変化する。
「ああ、そういえばあなたは……そうでしたね。それならば」
羽のような心地で、彼の手が頬に触れる。
そこからなにかが神経などを通り全身へと運ばれていったような気がした。
「大丈夫です、この私がいますからね」
淡いグレーのスーツと髪に、緑と紅の瞳が宝石のように輝く。何故かそれから しばらく目が離せなくなった。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます