海底撈月

「っはー……ああ、いいねぇ、本当にいいよ。蓮ちゃんも一緒にどう?」
「京楽隊長、その、いいんですか? 私なんかが隊長と一緒にこう……月見酒しても」
「いいのいいの、山のような仕事も終わったし蓮ちゃん頑張ってるしさぁ」
 瀞霊廷、護廷十三隊の八番隊の隊舎にて、珍しく白銀の月が輝いていて、ついその光に魅入られていたらいつの間にか私の傍らには日本酒を携えた京楽隊長が居座っていた。月見酒となんとも風流な日常の行為をするのかと思ったらどうやら一人酒はさみしいらしく、彼の近くに立っていた私に照準を合わせたらしい。
「……そう、ですか。ではお言葉に甘えて……」
 日本酒と盃を挟むように座り、盃を手に取る。自分で注ごうとしたら隊長に静止されたので大人しく透明の液体がその杯に満たされるのを待った。毛むくじゃらの筋のある手が死覇装から伸びて、堀の深い顔とその目はまっすぐ酒がこぼれないかを見張っている。かといって真剣な顔……ではなく、純粋に酒を楽しもうとする一人の男の顔であった。要するに、彼の顔は少しだけ緩んでいた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。京楽隊長」
「今は隊長と呼ばなくていよ、蓮ちゃん」
 京楽隊長によって注がれた酒を見る。なみなみと注がれた水面は少しだけ揺らいでいて小さな海のよう。その海には小さな月。昔の中国に水面に映った月に手を伸ばす酔っ払いの詩人がいたというがなるほど、こんなにもこれは素面でも水面に手を伸ばしそうだ。たとえそれが無駄なことで、泡に飲まれることになろうとも。
じっと酒が注がれた盃を見ている。何故か月も一緒に飲み干すのがもったいない気がしたが横からの視線がどうしても気になって少しづつ口に含んだ。
「どう? こうして白く輝く不変の輝きと一緒にボクとお酒を味わうというのは」
 酒の席の主が緊張感のない声で問いかける。なぜだか甘く聞こえて、酒の勢いという大義名分ですりよりたくなる。しかしこのまま甘えてしまうのもどうかと思ったのでいつも通り、平静を保って私はこう答えた。
「……おいしい、です。喉をするすると通り抜けていて、まるで水のようで」
「でしょ? いやぁ蓮ちゃんを誘ってよかったよ。いつも美味しそうにお酒飲んでるからねぇ」
 隊長の逞しい左腕が私の肩に回ってきた。私たちの間にあったおちょこはいつの間にか京楽隊長の右隣に移動していたようだ。直接隊長の体温と体のにおい、吐息が私の感覚器官にやってきている。よけいに私の心臓が脈打つのがなんか恥ずかしくて盃に残った日本酒を水面の月ごと飲み干した。
「……その、近い、です」
「近いねぇ、こんなにも月に照らされて輝いているかわいこちゃんがボクの近くにいるねぇ」
 鳶色の瞳が私を見ている。笠の影に隠れている目が何故かとても今日は輝いて見えて、目をそらしたいのにそらせない。大きな口は甘ったるいお菓子のような言葉を私に向けている。はだけた死覇装からは体毛に覆われた逞しい体があらわになっていて、今すぐあの胸に飛び込んでみたくなってしまっているがぐっと堪えなくては。
「……隊長」
「うん、うん」
「ありがとう、ございます」
 ふ、と言葉がこぼれた。一体何にお礼をしたのか、自分でもわからないがとりあえずこういうことにした。数秒、私と隊長の時間が止まる。
「……ありがとう、ございます」
「蓮ちゃん、ボクも嬉しいよ。君とこうして飲むことができてさぁ。こっちこそありがとう」
 耳元で低い声が囁かれる。どくん、と心臓が強く高鳴った気がした。

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