「……今日はこれくらいにするか」
隻眼の男は、ずしりとした模造刀を傍らに置き、上半身のみ露わにして手拭で汗をぬぐう。まだ朝とはいえ、夏特有の暑さと日差しは容赦なくその場と夏侯惇を襲うも、彼はまるでそれを涼やかな風のようにしていた。数多の戦場を超えてきたであろう鍛え抜かれた肉体に、じわりと汗が滲み、珠なって地面に落ちていった。
「おい、そこにいるのだろう」
突如、男は振り返り大きな声で何者かに呼びかける。
「……はい、元譲様、何の御用でしょうか」
その呼びかけに応じ、一人の女が頭を低くしつつ物陰から現れた。手には服と思しきものを持っている。
「お前、頼むから頭を上げてくれ……。確かに俺とお前は主と従者ではあるがこうして二人きりの時はせめて、少し楽になってくれないか?」
男は少しだけ申し訳なさそうな調子で、軽く汗をぬぐった両手を女の細い肩に置く。女は少しだけ、身を震わせた。
「は、はい。では、お言葉に甘えて……」
恐る恐る、女は顔を上げる。
「ああ、そうだ。それでいい」
そう夏侯惇がいったと同時に、女は目に入ってしまった。
「――――――――――!?」
声にならない絶叫を上げ、女は再び顔を伏せ、そして両手に持った服を男に差し出した。
「あ、ああ、あの、あのその……服……は、はやくおおおお、お召しに……」
「……悪いな、すぐに着替えるからそこにいろ。すぐに戻る」
布の重みが女の手から消え、女はゆっくりと顔を上げてみる。青い衣は手元になく、そして先程の隻眼の男は既にこの場にはいなかった。あるのは先程まで鍛錬に励んでいたということがうかがえる匂いのみ。
「……」
ただ、女は心の臓が高鳴る中でゆっくりと先程までのことを咀嚼した。
「なんで、げんじょうさま」
そして、女は暑さの重みに負けるようにゆっくりとしゃがみ込んだ。その後戻ってきた夏侯惇に心配されまたひと悶着あったがそれはまた別の話。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます