夏侯惇

ないものねだり

「……どうした、お前にしては珍しくぼうっとしてるな」「――っ! いえ、すみません、元譲様……」「いや、いい。責めたわけではない」 日が西方へと傾く時、立ったままぼんやりと彼方を眺めていた女は背後からやってきた主の声に応じて意識を取り戻した。…

乞い願う

 ゆっくりと意識が浮上していく感覚がする。何かに引き上げられるような温もりが手にあった。浸かるとずきずきとどこか全身が痛むような感じから無理やりにでも腕が引っ張られるようだと女は思った。「――――――――――――」 誰かが女を呼ぶ声がした。…

熱と事故

「……今日はこれくらいにするか」 隻眼の男は、ずしりとした模造刀を傍らに置き、上半身のみ露わにして手拭で汗をぬぐう。まだ朝とはいえ、夏特有の暑さと日差しは容赦なくその場と夏侯惇を襲うも、彼はまるでそれを涼やかな風のようにしていた。数多の戦場…

駕籠に閉じ込めることはなく

「お前、何をしたのか分かっているな」 深夜、夏侯惇は一人の女従者を問い詰めていた。昼間の戦闘にて、彼女は彼に向って飛んできた弓をその身で受けようとしたからである。幸い傷は顔にかすった程度で済んだものの、彼にとってはそれは耐え難く、かつ許しが…

決して雪に変わることはなく

「夏侯惇よ、お主はに惚れているであろう」「……のことか、孟徳。確かに、この俺自信が惚れていることは事実だが、それがどうした」 夜、雨の空を仰ぎつつ曹操と夏侯惇は酒を飲んでいた。とりとめのない話をして、何事もなく飲んでいたら、いきなり曹操が夏…

湖面落下

「やあ、殿。こんな綺麗な月の夜に一人きりなんて、いいのかな?」 後方から、優し気な声が聞こえてくる。なにかよからぬ予感がした女はあわてて地を駆けて逃げようとしたが、ふわりと触れるような声色に引かれ、つい足を止めてしまった。振り返るとそこには…

SS詰め

境界崩落――序 いつからだろうか、境界線を壊したくなったのは。とても固く超えてはならない線。どうも男は従者を見ているとその気になりやすく、かつ彼女が傷つくのが見ていられなくなる。そして危険なほど健気ときた。「元譲殿が、私を初めて認めてくれた…