吐く息は白く、空を仰げば灰色で、雪はまるで季節外れの桜の様に舞っていた。普段であれば緑豊かな自然が紀伊の山中を覆うはずが、全て白く、木は骨組みだけとなっていた。そして、その白い世界をただ一人銃を持って歩く男がいた。緑の衣を着て、首元には布を巻き、手には改造したであろう火縄銃。そして前髪を上げ、後髪は下のあたりでまとめた焦げ茶色の髪の毛。そしていいかんじに整えられた不精髭。
「……早く戻らねぇとな。道に迷っちまいそうだ」
男は雪道を踏みしめるように歩く。彼の歩いた後には足跡がくっきりとつけられる。ひゅうっと風が吹き、男は思わず首に巻いている布を口まで上げた。
雪は調子を崩さず舞い、変わらず領域を封鎖するかの如く降っている。その時、ひと際強い風が吹き、枝に積もった雪は地に音を立てて墜ちた。慌ててその下にいた男は間一髪で身軽によける。
「うわっ!」
今、何が起きたかを認識したのち銃の無事を確認し、男は再び帰路に着こうとした時だった。
「……? 俺の、他にもいるのか?」
男は人らしき足跡を発見する。彼が行く方向とは違うが男はそれに興味を持ち、足跡が雪で消える前に男は急いで辿り始めた。
雪に足を囚われないように注意しつつ辿る。雪は時間が経つにつれて少しずつ降る量が増していく。まだ周囲は暗くはなっておらず、幸い遠くの木々が見える程度の視界は保証されていた。まだ続く足跡に沿って歩く。
「しかし、こんな雪の日に歩く人っているのか……?」
ふと、独り言を漏らした後、男は立ち止まり目を凝らす。
「――――女か?」
男はもしや、と何かを直感し歩みを速めた。足元がどうなっているかすら気にせず、見えた小さな人影だけを目標にして。踏みしめる雪の音が鳴り、頭にかかった雪は落ちていく。手にはいつでも戦えるようにした銃。
一里、一町と影に近づく。影は近づくにつれ全体像がくっきりと分かるようになっていく。
「今待ってろ、この俺が貴方を温めるためにお迎えするぜ」
男は、そういってじっと静止したままの影に向かって足を進める。あともうすぐで影の全容が分かるときだった。
「……?! 地面になにがあるっているんだ?」
ここで初めて男は目線を影から地面へと向ける。急いで確認して辿るのを再開しようとして、ちらりと見た。
「……! ま、まじかよ……!」
見ると、そこには手があった。まるで置物のように固く、冷たい手。しかし手首からは紅蓮が地面の雪を染めていた。
男はそれを見ると、急いで走って影に近づいた。足元の残骸を交わしつつ、走る。白い息は絶えず出て、数多の屍を越えていく。白雪に紅く赤い染料が規則性を無視して染めている。男が見たところ屍は彼が見知っている顔はいない上に、彼と同じ組織の者はいない。ともすれば賊か、と男は納得しさらに先を進んだ。
ひゅうっと風が一段と強く吹く。それと同時に男は、影の正体を目に焼き付けた。
「――嗚呼、とても綺麗だ」
数多の屍の中央に、それはいた。両手には小さな剣、一つに束ねられた黒い髪、結露したメ眼鏡。肩が出ている装いにもかかわらず震えはなく、ただ鈍色の空を仰いでいた。半開きになった口からは白い息がただ漏れていた。どこかおぞましくも、触れれば崩れ落ちそうなたたずまい。男はそれを見て黙っているはずもなく、女の正面に回った。
「やあ、お姫様。こんな雪の日に一人で歩いていた上に……賊に襲われていたのかい? だがもう大丈夫だ。この俺、雑賀孫市が来たからにはもう不安になんか……」
口説きの口上の途中、女はちらりと男を見た。瞬間、だらりとした右腕が下から突き上げてきた。手には煌めいた刃。孫市はそれを間一髪でひらりとかわす。まるで氷のように輝いている刃は女の両手にあり、それはゆっくりと再び孫市に向けられた。
「まじかよ……だが、その暗い夜のようなその瞳が俺に向けられているなんて嬉しいねぇ」
「――雑賀 孫市と言いましたね?」
女の声が張り詰めた領域に響く。二人の距離は僅か八尺。互いの吐く息は白く、しんしんと雪は降り続く。
「ああ、そうだ。オレは雑賀孫市、世のすべての女性の味方さ」
「――ふざけている」
「ふざけてなんかないさ、そして俺は貴方をこの寒さから、救いに来た」
「嘘をよく吐くことが出来ますね、ええ――」
「いいや、嘘じゃない。それよりも早く、俺が貴方を帰るべき場所へ――」
孫市が言い終わる前に再び女によって距離が詰められる。赤と青の意匠が施された刃が、まっすく男の首を狙いに飛んでくる。
「死ね……!」
怒気が僅かに入った女の声が飛んでくる。僧侶袴が広がり、男の頭上から刃が来た。
「っ、仕方ないな、これは……」
孫市はとっさに火縄銃を構え、金属部分で双剣を受け止めた。火花が僅かながら散り、軽々と女と刃をはじき返す。
「……火縄銃か」
「本来はこういう目的で使わないがな……こうも情熱的に迫られたらそうせざるを得ないさ」
「……っ!」
雪に盛大に後退した跡を残した女はまた再び確実に目の前の男の命を刈り取るべく一直線になって男の首を狙った。
「これ以上、ふざけ切ったことを言うな……!」
女は絶叫し、剣をかわるがわる首を狙って切りつけようとするも、のらりくらりと男にかわされる。銃口はこちらに向けておらず、ましてや一向にこちらに攻撃するそぶりを一切男は見せていない。
防戦の過程で、男はふと、呼吸をするように口を開く。
「ふざけていない、これは、本心から言ってるんだ。そして、その一心不乱に戦う姿、素敵だ」
「――!!」
一瞬、女の動きが止まった。それを男が見逃すはずもなく、銃身を女の方へ向ける。
「悪いな、ゆっくり貴方と話したいが……こうするしかない俺を許してくれ」
そして、隙を突いて女のみぞおちに銃身を喰らわせた。
「――――――!」
女は、目を見開いて男を見たが、そのままゆっくりと体は雪の上に倒れた。双剣は手から離れ、彼女の近くに落ちた。
「……っと、すぐ近くの隠れ家に連れて行ってやるからな、お姫様。そこで貴方について色々聞かせてもらう」
孫市は、双剣を回収したのち、女の体をゆっくりと起こさないように抱き上げる。そして、雪山を再び歩んだ。
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