知らないまち、知らない風景。高いビルを見上げながら充電切れ間近のスマートフォンをポケットに仕舞って交番らしき建物を探す。
校外学習で東京にやってきたのはいいがその後の自由行動内のお土産選びで私一人だけが取り残されてしまった。先生たちが生徒たちの安否を確かめるチェックポイントにあたる場所はとうに過ぎ去った後で今頃私は『問題児』として捜索されているころだろう。校外学習のグループチャットでどこにいるのか訪ねても既読済みの通知だけがつく状態。どうしようもなくなり電車に乗り込んだ結果……知らない街に行きついた。
看板を見る限り私が今いる場所は鳴羽田なる場所であることは分かっている。ただ東京ですらあまり訪れることはなく、ましてや初めての場所だ。どう動けばいいのかすらわからない。故に今、交番を探してふらふらと電飾がつき始めた街を彷徨っていた。
ふと、空を見上げてみる。黒い人影がビルの群れをかけていき、空は紫から濃紺へと移り変わり月は顔を出し始め街の街灯は少しだけ光っていた。光り物を見るのは目がくらむので別のものに目を向けてみる。よくわからない人が笑顔を浮かべている写真と共に繋がらない相談ダイヤルの番号が書かれたポスターが壁に貼られていた。酷く色褪せた『あなたの味方はそばにいる』という言葉とともに。
「……いるわけないですよ、そんなの」
ポスターに一瞥し交番を探す。途端、脳内にて移動中の電車の中で起きたことが再生され始めた。
◇
「ねえ雪洞さん、マスクとってよ」
「やだ……やめてください……!」
「寺田さんが言ってた『雪洞の唇は分厚い』というの本当か確かめるためだから! ねぇ!」
「それにマスク外すいい機会じゃん! 入学してからマスク外したことないでしょ!」
何本もの手が私のマスクに向けられる。人前で外したことのないそれを剥がされたくなくて私は、ただ窓に顔を向けてじっと移動教室特有の熱が過ぎ去るのを待つことにしたがそれでも無理やり引き剥がそうとする手によって強引に私の顔を窓から人へと向けさせられる。
「だめ、――誰か助け――」
「助け求めるんならそのマスク取ったほうが声出るんじゃない?」
ほら、という声とともに不織布が引き裂かれる音がする。その手を掴んで止めようとしてもすぐに振り払われマスクは瞬く間に唯の布切れへと変わってしまった。思わず口を手で覆うがそんなことは許されず、隠したいところが無情にも表に晒される。
「……うわ、本当だったんだ、唇……」
「本当に寺田さんは何でも知ってるんだな……流石蜘蛛糸の個性……」
「しかし雪洞さんの唇こんなに厚いなんてねぇ……。どうしてそんなにもキモいくらいになったのー?」
「そ、それは……」
言えなかった。唇の一件は小さい頃付けていたサポートアイテムによるものだということを。今でこそ個性の制御は出来ているため今はつけていないがその名残を見られるのが恥ずかしくてこうして隠してきたということを。何を言われるかわからないからこそ、夏でもマスクで隠していたが――同じクラスに大量の情報を入手できる性格最悪の個性持ちがいたという時点で色々な面で私は詰んでいたらしい。
「まぁ、私は知ってたよ。そんなこと」
後方の座席にてぼそりとつぶやく声が聞こえてきた。ふり返ると声の主は口を三日月型の形に歪ませていた。
「寺田……さん」
「ノリが悪いなぁ牡丹さん。蘭ちゃんと呼んでってクラス替えの時いったじゃん」
それで、そんなこと知られたくらいでなんでうろたえてんのよとさも言うことが当然かのように声の主――寺田蘭は言い放つ。
「私は個性を制御できませんでしたという動かぬ証拠見られたくなかったもんね牡丹さん。いいや未来の敵候補ゲロ雪女」
「それは……ただ生きていく上で必要だったから……」
「本当にそうでも制御できなかったという事実に変わりないでしょ」
知られたくないことが、彼女を通じて拡散されていく。一年以上隠し通してきた秘密は無となり、ずっと彼女が吹聴していた言葉が真実と証明されてしまった。笑い声は他の談笑によってかき消されてどのあたりまで広まっているかわからない。いつも通りの日常がただ、分岐点を迎えただけ。そう自分に言い聞かせて車内アナウンスが目的地の名前を告げるのを待つしかなかった。
◇
その後無事に東京に到着して自由行動に移れたのはよかった。しかし校外学習のしおりにも書いてあるとおりにお土産屋さんから離れようとしたところ私しかいないことに気づいて今に至る。メッセージアプリに返信通知はなく、どこにいるかという文字すらない。同じ班かつマスクを剥ぎ取ったあの人達に常識は通用しないともう少し早く認識すべきだった。しかし現状を嘆いて今すぐ改善されるなんてことはないため交番を探しているところだった――が、見当たりそうにない。
連絡手段もなく、土地勘もない。鳴羽田について知っていることといえばデパートは存在していることのみ。それなりに大きいならきっと見つかるはずだろう。そう確信し、再び建物の群れを見上げようとしたときだった。
「……?」
足元に何かが落ちたような感触がした。落ちたものを確かめるため見上げた顔を下に向ける。そこには少しだけ薄汚れた極彩色の小さな布製マスコットがあった。特徴的な2つの触覚に独特な画風。辛うじて私が個として認識できるヒーローという存在のマスコットだった。
なんとなく、そのままなのは気が引けたので拾い上げる。きっと誰かが落としたのだろうだの、警察に届け出たほうがいいのかとその場でぐるぐると思案を巡らせながら歩いていると両親と思しき人間になだめられている子供がいた。
「あれ!? 僕のオールマイトのマスコットが……!」
「ああもうどうしたの伊織君、なくしちゃったの?」
「ずっとあのオールマイトと一緒だったよなぁ……まだ近くにあるはず……」
喧騒の中、子供がわんわんないている。路上にて伊織君と呼ばれた男の子は小さなバッグの中身をぶちまけて血眼になってオールマイトなるマスコットを探していた。……もしかして、先程拾ったものがそうなのだろうか。そう結論付ける前には既に足は動いていて、結論づけたときには子供の肩を叩いていた。
「……もしかして、これですか?」
この世全てに絶望しきった子供の顔の前に拾ったマスコットを差し出す。それを見た子供は勢いよくそのマスコットを手に取って瞬く間に顔を輝かせた。
「――そう、それ! ありがとうお姉ちゃん!」
「ああ、いえ、その――」
「本当に、ありがとうございました……!」
そう言って伊織くんなる子供とその両親は深々とお辞儀をして何処かへと去っていく。なんとなく私はこの場所に居づらくなったので交番もしくはデパート探しを再開することにした。
人がそれなりに多く、私を個として認識しない群れ。それが何故か心地よくて、ずっとこのままでいたいくらい。だが今はそんなことは許されない。私がするべきことは学校側に迷ったことを報告することである。そのうえで、学校側の指示を仰がねばならない。
「早く、見つけなきゃだめですよね」
疲労によって覚束ない足取りで彷徨うように目的地を探す。数歩、歩いたときのことだった。鈍い音が路地裏から聞こえたような気がした。その後何か軽やかな、そういう音が鼓膜を震わせる。
「あ――」
考える間もなく足は音の方へと向かい出す。疲れ切っているはずなのにだんだん足は軽くなっていく感じがした。一歩、また一歩。音は大きくなっていく。脳内でガンガン何かが打ち鳴らされている気がするが既にそれが何であるかを判断する能力は削られているようで――気づけばその音まであと数歩というところまで来て――音源までいそぐ。近くなっていくにつれて石造りの教会が見えてきた。あの音はそこからしていたらしい。ミサで演奏する予定のオルガンかと思ったが特有の神秘的な旋律ではなく重々しくシンプルな音だった。違う。教会の音楽では、ない。
近くに行くと教会のドアは開いていた。そのドアに隠れるようにして様子を伺ってみる。
「――――――!」
目を、思わず見開いた。
音源の近くは、慌てふためく一対の男女。彼らの視線の先には、先程オールマイトのマスコットを落とした少年がいた。彼は指揮棒を喉元に突きつけられていて、涙目でただ、泣き叫んでいるだけだった。
「静かに。この子供を生かして返してほしければ我が涙日楽団に援助すると誓え」
光なき聖堂にて、畏まった燕尾服の男は指揮棒を手にして言う。
神父たちは燕尾服の集団に囲まれていて動けないものもいれば滅多打ちにされて拘束されているものもいる。周囲にはキラキラと何かが反射していた。
「断る……! 俺が人質になるから伊織を返せ!」
「いいえ、私が人質に……!」
「人質の変更は一切受け付けていない!」
懇願する男女を無視して一振り。指揮者の男がタクトを振る。途端仕組まれたかのようにオルガンが重苦しく鳴り響き――ボロボロの神父さんが悲痛な面持ちで白い塊を夫婦の顔面に投げつけた。
「■■■■■■■ーー」
「あ――――!」
人質の少年が叫びそうになったがすぐに口をつぐむ。顔が血だらけの男女二人組が呆然自失の状態で子供の喉元に掴みかかろうとしていた。口元でなにかぶつぶつと言っているが聞き取れない。ただ――自分たちの不甲斐なさを悔いているのだろうとは、理解できる。
「ああいい忘れていた。私の個性は『指揮』だ。私の支配下に置いたモノはこのタクトと音で自由自在に操れる。やろうと思えばお前たちの子供もお前たち自身の手で殺せることをゆめ忘れぬよう」
そう嘲りながら男は指揮棒を振りかぶる。今、まさに惨劇が行われようとしているのは明白。
ただ、ヒントは指揮者より提示されている。他に人がいるとは思っていないとみて間違いないだろう。
そうなれば話は――早い。指揮棒を破壊すればいい。
気づかれぬよう手から雪玉を作り出す。圧を加えて、硬い凶器が手元にできた。一個だけでは心もとないため何個か作り出し、片手で抱える。
「逃げて!」
そう叫ぶと同時に大きく振りかぶり、敵めがけて力強く雪玉を投げつける。110km/hの直球は高い音を立ててガラス製の指揮棒を真っ二つに砕いた。
「な――!」
燕尾服集団の視線が一斉に私に向かう。指揮系統が一瞬だけ乱れた合間に少年の拘束が解けて怪我をした親の方へ迷いなく走り寄る。それを見ながら私は他の集団の顔をめがけてありったけの雪玉をぶつけた。
雪玉は直球、全て敵に命中。少しずつ精度が悪くなる中ただひたすらに敵の武器や胴体に硬い雪玉を投げ続ける。狙うは顔面並びに胴体。向かってきている集団たちは少しずつ倒れていった。
「振り返らないで――!」
私の横を三人がすれ違うように走り抜く。それに続くように拘束されていた聖職者たちも逃げ出していった。残るは岩塩神父のみ。正直言って聖堂内に武器を持って入るのは気が引けるがそんなことは言っていられない。祭壇への道を一直線によろける足で走りながら、投げる。
「誰だかしらんが――公演中の邪魔並びに退席は最大の罪としれ――!」
指揮者の両手を上げ、長い腕を振り上げる。腕のふりで謎の文様を作り上げ、天高く右手を上げた途端――不協和音が重苦しい聖堂内に鳴り響いた。その音に呼応して、燕尾服の集団が雄叫びを上げる。高低差のある即興コーラスが響き渡る。
「――――――!」
突然の音圧が、逆風のように襲いかかる。思わず一瞬立ちすくむ。その間に――鈍い音が私の胴から響いてきた。
「俺たちを的に一人雪合戦しやがって――!」
勢いよく燕尾服の集団の一人が金属バットを振り抜いた。私の体が、ボールのように教会の外へと放り出されとても固い地面に全身を叩きつけられる。
「ぐぁ――!」
立ち上がろうとしても、腕が痛い。足のちからでどうにかしようとしてもその足首に激痛が走った。バットで追い出されたときに変な方向に足首が曲がってしまったらしい。一歩も、この場から動けない。手で這いつくばろうとも力が入らずただ仰向けでこれから来るであろう死を待つしかない。
ただ――――何故かそれが、怖くもなかった。酷いくらいに凪いでいて、ただ静かに彼らを見据える。
「よくも私の指揮棒を折ってくれたな、女よ」
静かに指揮者は私の目の前まで歩み寄り、淡々とした口調で私に告げる。背後には各々の武器を持った燕尾服たちがニヤけた顔をして並んでいる。金属バットに鞭、メリケンサック、その他形容しがたいものたちが一斉に私の方に向けられていた。
「あの家族と聖職者たちを逃した罪は重い。故にその生命を持って贖うがいい」
長い手を男は上に上げる。またふるときは私が死ぬときだろう。
「……かまいません、よ。しんでも誰もかなしみませんから」
「強がりを」
そういって男は手を振ろうとした。やけに月が綺麗で、それを拝みながら死ねるのはなんて――幸福かと思った。
途端、視界の外から一つの布が飛び込んでくる。少しだけ薄汚れた布が彼の手首に生きているかのように巻き付いた。
「――あ?」
指揮者は慌てて布の元を見る。そこには一人の男が立っていた。黒くて顔も姿もわからない。わかるのは手を捕縛した布の持ち主が彼である、というだけ。無言で布の持ち主はその指揮者を引き寄せて――その勢いのまま地面へと豪快に叩きつけた。
「ま――マエストロ!」
燕尾服の一斉に視線が黒い男へと向かう。そして武器を持ったまま人たちは一斉に黒い男へと襲いかかった。瞬間、重い空気があたりを押しつぶすような感じがした。また違う圧が、この地を覆う。
「感心しないな、一般市民を集団で寄ってたかって攻撃とは」
そう、男が呟いた後――瞬く間に全てが、終わった。あっという間に敵が固まってぐるぐる巻きにされて教会周辺が静かになった。何事もなかったかのように男はスマホを取り出して然るべきところに電話をした後、私の方へつかつかと歩み寄っていった。
「――もう、大丈夫だ」
そういいながらしゃがみ、私の様子を確かめるために檻のようなゴーグルを外して視線を向ける。癖のある黒く長い髪と三白眼に無精ひげ。黒ずくめの男は「失礼」と言いながら私の足を手に取り生足となった私の足首をまじまじと眺めていた。
「痛いか?」
「――」
「痛いならそう言え。我慢して厄介なことになるのは合理的じゃない」
「あ――い――いた、い……? いた、い……で、す?」
押し黙ろうとしたけれど、何故か彼の言葉が怖くてつい感じたことをそのまま口にしてしまった。それを聞いた男はただ無言のままポーチから保冷剤を取り出して私の足首に巻き付けた。
「よく言えたな。終わったら病院に行け」
男はそう言いながら私の体をゆっくりと起き上がらせた。彼の背後には白銀の月がやけに輝いて見える。きっと気のせいだろう。
「後少ししたら警察がやってくる。巻き込まれたとはいえお前も参考人だから話はまぁ聞かれるだろうが……」
「……」
「制服からしてわかる。お前遠方からの人間だろう。どうしてこんな夜に、ここにいるんだ」
「電車、乗り間違えてここにきました」
「それでか……帰りはわかるか?」
「調べる手段が回復すれば、多分……。学校行事で遠くから来たので……」
「そうか」
「その……私からも質問、大丈夫ですか?」
「いいよ。ただ短く簡潔にな」
「貴方は、その……どうして助けてくれたのですか?」
そう聞くと男は少しだけ考え込んだ後、ゴソゴソとポケットから身分証的なモノを取り出した。
「……そう、だったのですね」
「まあ、そういうことだ」
「あ、あの、その……た、助けてくださり、ありがとうございます」
「ん」
最低限、かつ淡々とした男と会話をしているうちにサイレンが遠くから鳴り響く。ぞろぞろとパトカーと護送車がこの場に止まり始めた。そろそろか、と男が呟いた後彼は私の肩を叩く。
「どうしてこうなったのかは伊織という少年から聞いている。公共の場での勝手な個性の使用は法律違反……だが、感謝する」
そういって男は警察の方に向き直り敵引き渡しにあたり色々な話をしていた。私はただぼんやりとその光景を眺めながら、彼の言葉をただひたすら反芻していた。
――感心しないな、一般市民に集団で寄ってたかって攻撃とは。
身分証にかかれている職業から鑑みるにおそらく何度も言った言葉かもしれない。ただ――それが何故か、酷いくらいにここちよかった。そんなことに感心しないひとが、いるなんて。助けてとすら言えなかったのに、助ける人がいるなんて。人の痛みに何度も寄り添う職業であるから当然と言われれば当然かもしれないが、それでもなお人に助けられたのは初めてのことだから余計にそう考えてしまうのだろう。
「イレイザーヘッド……」
うわ言のように、彼の名を呼ぶ。彼が振り返ることはなかったがそれでもなお、その背中は広くてとても眩しく見えた。背中に触れたい、彼に、もう一度だけ触れたい。ただ彼の仕事は邪魔してはならないため手を引っ込める。私はただ、浮かれたような目で彼のことをじっと見るしかなかった。
◇
その後私は警察に一通り聞かれた後でやってきた先生たちに回収され、こっぴどく叱られた。連絡もなしに勝手な行動をしていたと見られているのだから当然のことだろう。実際どうしてこうなったのか説明しても先生たちは信じることはなかった。
地獄の日々は続いた。ただ――明確に違うものが一つだけ、ある。
何度も修復した手作りのマスコット。形はあの時助けてくれたヒーロー。お守りとして作って制服内に忍ばせたモノを取り上げられて眼の前で壊されながらも縫って、布を継ぎ足しして、さながらフランケンシュタインのようになっている。デフォルメしているモノとはいえ、ヒーローを矢面にたたせているようで非常に申し訳なかったがそれでも、あの夜の思い出が蘇ってきてその時だけは、救われたような感じがして―――更に生暖かい傷が抉れたような感じがした。
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