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 いつものようにヘルサレムズロットは曇天の極み。いつもと違うところといえば、雨がしとしとと降っているところだった。地面に跳ね返る水音が大きく響く。異界人または人類も、等しく雨よけを身に着けて冷えるのをしのいでいた。
 黒髪はほつれ、慣れ親しんだブレザーの学生服を見に纏い、赤黒く染まった左腕の袖を右手で無理やり押さえつける。
 体は長く雨に晒されていたからか、震えが止まらない。それでも、私はただ歩くしかなかった。何故かはわからない。ただ、そうした方がいいと思ったからだ。街の人々や異界人たちは私のことを見ることはなく、一瞥してもすぐ興味なさそうに別の方向へと目をそらす。至極当然、なぜなら私のようなものが街を歩いているのは日常であり特段気にかけられるようなものでもなかったからである。
「――――嗚呼、何故」
 深い霧に灰色の雲。ふと自分の後ろを振り返る。私がたどった道には赤黒い液体の跡が続いていて自分が受けた傷跡の深さを物語っていた。そこまで血が流れているはずなのになぜか私はこうして今、街中を歩いている。そして私を追っている悪い人たちはいないようだ。銃やおっかない武器や剣を携えた怖い人たちは、今のところいないらしい。
「何故、私は生きている――――」
 自分の生を嘆きつつ、ただ歩く。自分の終の場所を探すために。

 ザブウェーニェ・パーミチ
第一話:雪花邂逅

 ふらふら危ないものとぶつかりそうになりながら、やっとのことで裏路地にたどり着いた。ブレザーを脱ぎ、ワイシャツの左腕部分をまくり、自分の怪我の現状を今一度確かめる。傷口が血で真っ赤に染まっている上にワイシャツの袖は雨でだいぶましになっているものの淡い赤のしみが広い範囲に広がっていた。本来であればとても痛いのかもしれないが何故かその「痛み」というものはやってこない。その代わりに自分の体がすう、と凍えていくような感じがした。
「……やっと、死ねるんだ」
 ゆっくりと自分の瞼を閉じてみる。瞼の裏に浮かぶは今まであったことの過去回想。浮かんでくるのは虐げられた記憶のみ。なるほど、これが所謂走馬灯なのだろう。
 ――どうあがいても詰んだ記憶。集団からの迫害にあらがう術はあるはずもなく、ただ耐えるしかなかった地獄。何故か新しい環境に移ったとしても集団からよってたかっていじめられる。抗っても戦っても報われないのならやるだけ無駄である。
痛みは消えず、今まで言われた心ない言葉も一言一句空で言えるくらいには覚えている。いいや――忘れてくれない、といった方が正しいのだろう。最近はどうにも忘れたくても忘れられないことが非常に多いから。忘れることができないのなら――死ぬしか、ない。
「―――」
 目を開いて、手を伸ばしてみる。そうしたら心優しい誰かが手を取ってくれそうな気がしたから。そんなことはないとわかっているのになぜか、そうしたくなった。当然私の手は雨に濡れて、何も掴むことはなくただだらりと落ちるのみ。適当にいじめられるのが嫌だったから逃亡したのはいいがすべて、無駄であったということか。
 がつがつと集団でやってくるであろう足音がやってくる。私の方に向ってきているらしい。きっと私を始末するためにやってきたんだ。おそらくここが私の最期。この路地裏に捨てられているごみたちのようになるのだろう。それならば、それでいい。私はこの程度の価値だったのだから。
「――――」
 眼前には魑魅魍魎。テレビや資料で見たような武器を私に向けている。きっと私はいじめられながら死ぬのだろう。
「そっか、これがうんめいなんだ」
 せめて綺麗に死にたいので目を閉じる。ひどく冬のように寒い空気がただよってきたが今となってはどうでもいい。いや、凍死するのもそれはそれで美しいのかもしれない。私はじっと目をつむって感覚がなくなるのを待っていた。数刻、数時間、数分、数秒。脈はいまだに動いていて、意識が途切れることはない。何かが、おかしい。
ゆっくりと目を開けてみる。
 そして――眼前にあったのは氷の彫像だった。数多の銃口と切っ先が私に向けられたまま凍っている。武器を持つ者たちの顔は引きつっていて何が起きたのかわからないというような表情を浮かべている。目の前の敵たちが何故か凍り付いている。
「あ、ああ」
 まるでこの場が冬になったようだった。それくらい冷たくて寒くて、ものさみしい。それでも――何故かその光景が美術品のように煌めいていて、美しかった。一体だれがやったのだろうという疑問が脳裏をよぎる。じっと耳を澄ませてみた。
 かつん、かつん、かつん。
 氷の上を歩いている音がする。文字通り薄氷を踏むような、それでいてゆっくり確実にこちらに向かっているような音がした。おそらく目の前の彫像の製作者なのかもしれない。きっと私はその人に殺されるんだ。そう思うと力が四肢から抜けて泥につかったかのような感覚に陥った。

「――――」

 足音が、近づいて、止まる。何故か雨がやんでいる。目線だけ上に向けてみる。
 ――そこには、男がいた。少し癖がある黒髪に、グレーのスーツに青いシャツ、黄色いネクタイに手入れされている革靴。そして、特徴的だったのは左目の横にある一本の傷跡。どう見ても堅気の男ではないはずだがその男は見ず知らずの私に傘を差し出していた。
「……ねえ、君。ここで何をしているんだい?」
 その傷のある人は低い声で私に問いかける。きっとお迎えがやってきたのだろう。もしかすると地獄の使いなのかもしれない。それならば、きちんと正直に答えないといけない気がしたので私は自分の思ったことを素直に吐き出すことにした。
「死を、待って、い、たのです……」
「死、ね……」
 男は少しだけ考え込み、私と同じ目線になるようにしゃがみ込む。少しだけ雨粒が傘の上から落ちたが、冷気ですぐ氷の珠になった。
「何故、死を待っていたんだ?」
「私が、そうした、かった、からです……」
「……本当に、そうしたかったのかい?」
 男は私の左手首に手を触れる。あたりはすでに冷たいはずなのに、なぜか彼の手は暖かい。人の手は、こんなにも暖かいものなんて思ってもいなかったから思わずぎゅっと握ってしまった。
「はい、生きていてもしょうがなかったから、です」
 正直に私は答える。男は何か考えこんだ後傘を閉じていきなり私の腕をつかんで、彼は私を文字通り背負った。じたばたともがいて降りようとしても私の力がかなり弱いからか、もしくは抵抗できないほどに私が弱っているからかそれが叶うことはなくてただ男は私のことをしっかりとつかんでいた。
「生きていてもしょうがない、なんてことはきっとないさ。少しじっとしていてくれ」
 そういって彼は私を背負ったまま歩き出す。雨に打たれたまま私は彼にゆられて、ただじっとどこかに連れていかれるのを待つしかなかった。

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