「ねぇ、スティーブンさん。私がもし、明日死んだらどうしますか?」
いつも通りの灰色の空をバックにして少女は言う。自分の死について笑顔で口にしているのだからスティーブンは彼女のことを恐ろしく感じてしまった。
「……そんな想像するだけで恐ろしいことをそう簡単に口にするなよ、今宵」
眉尻を下げ、まるで冗談と捉えていいのか悪いのか困惑している顔でスティーブンは今宵を見る。コーヒーの入ったマグカップをテーブルに置き、空いた右手は少女の肩に置かれた。
「君がなに考えているのか分からないが、そういったことを僕に聞くということは、そうしたいってことなのだろう?」
低く、冷酷な声が耳元で響く。いつもであれば今宵はそのたびに情けない声を上げるのだが、その時はなにも反応をせず、ただ思い人の話を聞いているだけだった。
「別にそういったことをしたい、というわけではないです。もしもですよ、もしも、の」
もしもの話。それは起こるかどうかわからない話。普段であれば軽く笑い飛ばせるものであるが、いつもより彼女の声は重い。もし本当に彼女が明日死ぬようなことがあれば―――。そんな最悪の結末をスティーブンは決して望んでいない。できることならずっと今宵といたい。ただそれだけだ。だが本当に彼女が、もし、死を望んでいるのであれば、そのときは何をすべきであろうか?
「その、今宵。もし辛くなったら遠慮なく僕に頼ってほしい。恋人同士、だからな」
いつくしむような目で彼は彼女を見る。どこかに行かないで欲しい。スティーブンはそう言いかけたが、喉に詰まって言葉として出なかった。
「大丈夫ですよ、スティーブンさん。私はいつも通りです、いつも通り」
まるで自分に言い聞かせるように今宵は儚い笑顔で彼に言う。そして後ろ手を振りながらスティーブンに一日限りの別れを告げた。
一人残されたスティーブンはあのとき見せた今宵の哀しそうな顔を思い出す。もし、先ほどの質問が最悪の展開の予兆だとしたら。どこか胸騒ぎがする。いてもたってもいられずに、彼はこっそり今宵の後をつけた。
◆◆◆
世界は残酷だ。希望すら抱くことすら許されない。
今宵はそう、結論付けてしまった。かつて親友だと思っていた人からの裏切りとやられたこと。それらは今宵という人物に影を落とすのに十分なものであった。友人と思っていた人から迫害された。それだけで十分すぎた。
「やはり、私は生きていていいのかな」
天井には今宵自身の手でつくられた縄がぶら下がっている。先には輪っか。そして、その下には小さい椅子が置かれていた。行き場を失ったかのように縄はふらりふらりと揺れている。
彼女には、縄で作られた輪に首を通す理由はあった。いわゆるフラッシュバックである。定期的にその嫌な思い出がよみがえり、人間不信を起こしてしまう。人と関わるうえでそれは非常に致命的なものだった。それはたとえ恋人ができても変わらなかった。むしろ自分の穢れきった自分を見せたくなくて、それを隠すのに必死だった。
――ああ、今の状況を見たらどういう反応するだろうな。
よみがえるのは今までの思い出。恋人との幸せな日常。それは紛れもなく本物だ。甘いひと時は自分の活力となったが、其れと同時に自分の闇について曝け出すのが怖くなった。
――恐らく、嫌われるか捨てられる
そう恐れた今宵は、自ら消えるという選択肢を選んだ。ただ、首をくくればいいだけだ。それだけをすればいいだけなのだが、どうしてか、縄を持つ手が震える。足場としている小さい椅子にも震えが伝わっている。王子様を待ち望んでいるわけでもないのに、どうしてだろうか。
――単純なことじゃない、ただ輪っかに頭を入れて足場を蹴るだけのことよ
それが出来ないのだ。したいのに体が動かない。よぎるのは、スティーブンの哀しそうな笑顔。最悪のタイミングで思い起こしたくないものが出てきてしまう。早くそれを消そうとしても出来ないのだ。そして、そのタイミングで一番聞きたくない声を聴くことになってしまう。
「今宵、おそらく今はクリスマスリースをつくるための準備をしていると思いたいが……、そうでもないようだ」
彼女が愛しいと思っている人。そう、スティーブンがドアの入り口で低く、思い声で言った。
「貴方には、そう見えますか」
「それ以外には、どう見えるというんだい?」
こつこつと、靴の音が今宵の方に近づく。最悪の場面を見られた、自分がやろうとしていることが妨害される、そう恐れた今宵は、縄を持ったまま強く、身をこわばらせる。
「なぜ、来たんですか。お願いですから邪魔しないでください。私が、決断したことです」
決して恋人の顔を見ないで、何かが壊れるのを恐れるように声を振り絞る。だがスティーブンはそれくらいでは引き下がらない。
「昼間物騒な質問したと思ったら、これだ。恋人が自殺しようとするものなら、僕は引き留めるさ」
すでに背後にはスティーブンがいる。逃げ場はこれで失われた。幸い今宵の表情は見えてないからまだいいものの、それがいつ暴かれるかはわからない。
「嫌だ、私は今、消えちゃいたいんだ……」
「だめだ。今ここで君が消えたら僕は、僕は……」
「私なんかの代わりなんて、たくさんいるでしょう?」
私なんか。その一言が引き金となり、一瞬何が起こったか今宵には分らなかった。足場と縄は視界から消えて、代わりにスティーブンが視界いっぱいに映る。
「君は馬鹿だ。代わりなんていない」
――お願いですから私にそういう言葉を言わないでください。
「自ら死を望むのなら、僕は少しでも君の痛みを背負いたい」
――本当、バカなことを言わないで欲しい
「君がそこまでして思い詰めてしまうのなら、どうか僕に打ち明けてほしい」
――そう簡単に言わないで。私の汚れた部分、知らない方がいいでしょう?
「たとえ君が何と言おうとも、僕はその部分を受け入れよう。君の全てを愛そう」
「これ以上、言わないでよ……」
スティーブンの訴えに対する今宵の精いっぱいの答え。これ以上優しいことを言われると壊れてしまう。なにもできないようにスティーブンにより、寝床にはりつけられている今宵は、涙目でただスティーブンを見上げることしか許されていなかった。
「お願いですから、あなたの体をどけてください。私は、私は……」
「とりあえず、僕は君の話を聞こう。どけるかどうかはその後で決める」
優しく、今まで言われなかった言葉を耳元で囁かれる。それはまるで羽のように優しく、温かかった。
そして、今宵は醜い部分を全て、泣きながら話した。彼は全てそれを受け入れた。
「ずっと、大変だったね。僕は今宵のそれらを受け入れよう。だから、どうか笑ってくれ。君は笑った方がずっといいから……」
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