実感するは、生

 一人、ゆっくりと自分の体の活動開始を感じて目を開ける。
天井には昨日あったはずの死の輪っかがない。おそらく昨日訪れた恋人が撤去したのだろう。いつも通り自分の体が動くことを確かめた後、自分が今生きているという確証を得た。
 ―――気づけば、生きていた。
 まるで昨日、自ら命を絶とうとして、恋人に止められたという事が夢のように思えた。あまりにも非現実的で、かつフィクションでよくある展開故、本当にあったこととは名前自身思えなかった。
 自らの体を起こそうとする。だが思った通りに上体を起こすことはできなかった。その理由を探ろうとふたたび布団の中に沈んだ。深い深いあたたかな海。深く沈まねば原因は分からないと名前は思ったが、あんがいそれは浅瀬で見つかった。
 少女を決して誰にも渡さないように、強く抱きしめる恋人。それが彼女をつなぎとめていたものの正体だった。左の眼もとに傷がある男。それが昨日彼女をこの世につなぎとめた男の正体だった。
――夢じゃなかった。
 男の顔を見て、昨日起こったことが急によみがえる。それは、自分が引き起こした修羅場。死の願いをかなえる輪、あの世への踏台、そして、今こうしていることになった元凶。
 急いで朝の身支度をしようとしても、恋人の腕からは逃れられない。そして、悲しいことにその動きは恋人に気づかれてしまったのだった。
「あ……、名前おはよう。起きたのかい?」
「はい、スティーブンさんおはようございます……」
 眠そうにスティーブンはゆっくり瞬きをする。間近で恋人の声を聴いた名前は、ばつが悪そうにうつむく。さすがに昨夜、自殺未遂の騒ぎがあればその元志願者はそれを止めた人に対して気まずい心象を抱くだろう。
 スティーブンは壊れ物を扱うように目の前の少女の頬を撫でる。いやそうに名前は身じろぎをして逃れようとするが、逃げ場はないことを再び悟った。男の人の骨ばった手が少女の柔肌を撫でる。気持ちよさそうに鳴いているのはスティーブンの方で、名前は、いまいち状況が呑み込めていないようだった。
「その……、なんといいますか。なんであなたが私のベッドにいるのですか?」
 息がかかる程近くにいるスティーブンに質問をおそるおそる質問する。
 ――もし、昨日のことが本当ならば、それは惨めな姿を恋人にさらしたことになり、きっと幻滅するかもしれない。きっと別れ話を切り出されるだろうな。
「君が消えてしまわないようにだな、ずっと傍にいるからだよ」
 哀しそうな笑顔で男は言う。それで名前は、昨日会った出来事は、本当にあったことだと確信を得てしまった。こんな確信は、欲しくなかった。
 そして、名前の脳裏には昨日の出来事が鮮明に蘇る。自分で作った絞首台、蹴るだけであの世に行ける椅子、そして、全て無駄になったこと。目の前の男が、全てを愛すると誓ったこと――。
「あ、ああ、あ」
 堰を切ったかのように涙があふれだす。どうして、どうしてこんなにも涙が出てしまったのだろうか。
「スティーブンさん、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「いいんだ。名前がいればそれでいい」
 白い布団の中、二人一緒に沈む。外は相変わらず曇りのままだ。だが、部屋はほんのり明るかった。

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