騒がしい高校生活から、物静かな生徒たちを守るシェルターには、本が大量に積まれている。つまるところいえば、図書室だ。
スティーブンは、そこの守り主。守り主はそこで、目的の本はどこにあるかや、ある物事に関する調べものについての相談などを受けたりするのが仕事だ。時折、恋の相談もされることもあるが、これがうまくいくということはさして重要ではないだろう。
そして、この図書室には常連の生徒なるものが存在している。今宵も、その一人であった。彼女はいつも感情というものを伴わずに、同年代からすれば小難しい小説を読んでいた。ある時はロミオとジュリエット、ある時は若きウェルテルの悩み、またある日はアンドロマク。何故か全て恋愛に関する古典だった。
スティーブンは、今時珍しいものを読む女生徒がいるなと感心し、その女生徒に声をかけてみた。
「坂本さんは、なかなか面白いものを読むんだね」
今宵は、目を伏せて、いつものように冷静な声で答えた。
「ええ、何故か友人から恋について色々相談されるので少しでも理解を深めようとしているだけです」
「なるほどね。確かに古典は昔からあるものだし、人はそんなに変わらないものだから読んでおいて損はないんじゃない?」
そうですよね。と女生徒が返し、そして図書室を出ていく。その五分後、お昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。
「坂本今宵、か……」
――そういえば彼女は、あまり自分から何か話そうとはしない女生徒だったな。
それもそのはず、ここが図書室である以上、騒ぐことはあまりいいことではない。だが、今宵がいつも休み時間にやってくるということは、本当に本好きなのか、それともまた別の理由――例えば、人に言えないこと――が、そのどちらかになるだろう。
「でも、直接聞くのはだめだよな……」
誰もいなくなった図書室で、スティーブンは一人、本棚の間をうろうろしていた。
窓を見れば、校庭の木々は青く輝いている頃、ホームルームでは、秋に行われる修学旅行の班ごとの行き先を決める作業が行われていた。
「坂本さん、どこ行きたいという案ある?」
「はい。私は──」
今宵が提案した【歴史的に価値の高い場所】は、同年代の女子高生から一蹴され、嘲笑される。
「あのさ、坂本さん、私たちはそういうところを求めてないの」
要するに、女子高生たちはタノシイ場所を求めていたのだろう。だが、今宵は、よかれと思ってきちんと調べてきたのだ。何故、自分の案が認められなかったのだろうと、純粋な疑問から今宵は質問を投げかけた。
「であれば、貴方の行きたいところは、どこですか?」
女子同士の関わりというのは、心の読み合いが重要になる。今宵は、それがうまくできなかったのである。今宵の言っていることは極めて正論だが、この集まりの中では、それ以外の言葉が正論となる。
「そういったところ、あんまり興味ないんだよね」
他の女生徒も同調する。今宵は、それに従うしかなかった。
翌日
「ああ、どうぞ」
スティーブンは、昼休みに珍しい生徒を迎え入れた。見た目はクラスの中心にいそうな女生徒が4人と、影の人1人。見たところ修学旅行の調べもので来たのだろう。
「先生、修学旅行の行き先とかいいところって、ありませんかぁ?」
見たところあまり図書室では見かけない顔だ。
「えーと、そこの本棚に修学旅行についての本をまとめて置いてあるから、それらを読めば大丈夫だと思うよ?」
精一杯の笑顔で彼女らに『説明』する。そうすると、極めて目立つ女生徒が「ありがとう」と言い、さらに続けた。
「その、スターフェイズ先生?聞きたいことがあるんですよぉ」
「なんだね?」
その時、スティーブンは、後ろでひっそりと本を探している今宵を見つけた。女生徒らと今宵が同じ班であることを把握したと同時に、スティーブンに質問がぶつけられた。
「修学旅行って、受験前の思い出作りだから別に古いところ行かなくてもいいですよね?」
「そうそう。わざわざ遠くまで行って、勉強するなんてありえないでしょ」
ねー?と女生徒同士が顔を見合わせて、意識の確認をする。なるほど、今時の学生はこういった考えなのだろう。だが、修学旅行というのは、あくまで学びに行くというものがメインだ。遊びに行くものではないだろうというのが守り主の考えだ。
「いいや、教科書だけでは分からないことを確かめに行くのが修学旅行というものだろう?見た感じ、どういったものかとか、その場所の空気感とか」
スティーブンは、分かりやすいように彼女らに説いたが、それも空しく女生徒は去っていった。珍しく何も借りなかった今宵も連れて。
西の窓に日は落ちかけている頃、誰もいなくなった図書室に今宵が訪れた。校庭では部活動に明け暮れる生徒の掛け声が聞こえている。彼女はいつも通り本棚から適当に本を選び、そして近くの読書スペースで本を読み始めた。
珍しく今日は誰もいない。スティーブンは、日ごろ気になっていたことを確かめようと、彼女に近づいた。
「坂本さんは、いつもここにくるよね」
しまった、と彼が思ったときは時すでに遅く、既に問いを口にしていた。
「ええ。ここが落ち着くのです」
読んでいる本から目を離さず、淡々と答える。今日は恋愛ものの古典ではなく、修学旅行先の本を読んでいた。声だけはいつも通りだったが、今に限っては何かをこらえているかのような様子だった。
「そう……、坂本さん」
スティーブンは、何かに逃れるように読書する今宵の傍に座る。様子を見ようと顔を覗き込んでみると、いつものような集中力が目にない代わりに、珍しく瞳が潤んでいた。おかしい。まだこういったことは何もなかったはずだ。
「それより、本当に君はすごいな。こうして修学旅行の行き先について真面目に調べている」
スティーブンができる範囲の賛辞。だがそれが引鉄となり、少女を冷静にたらしめたものを壊すきっかけとなってしまった。
「ありがとうございます……、でも、私は、私は……」
「誰かに認められなかったとしても、君の姿勢は本当に素晴らしいと思うよ」
本は閉じられ、静かに少女は嗚咽する。それをやさしくティッシュでスティーブンは少女の顔を拭う。
「私も、皆と同じ中に入って、たのしく、自由行動を……」
それが、坂本今宵が望んでいたことだった。だがそれは同じ輪の中の人たちによって打ち砕かれた。スティーブンは、昼休みの一件を回想する。確かに今宵は輪から外れて一人で本棚を漁っていた。まさか、少女は既に輪から外されていたのだろうか?
「ねぇ、スターフェイズ先生。私は、どうすればいいのでしょうか」
涙交じりに絞り出される声。だが、スティーブンはそれに答えることはできない。自分が司書という立場上、教師のように色々介入することができないのだ。
「坂本……」
――ああ、どうすれば今宵を助けられる?
彼は、自分の立場を生まれて初めて、心底憎んでしまった。
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