「……」
退院したその日の夜、私はスティーブンさんの家の隅でうずくまる。
あの日私を襲ってきたジェストカヤ・プラヴダという組織のことについて話そうとしても喉がつっかえて何も言えない。
云わなきゃいけないのは、彼が追いかけている案件の重要参考人が私であるから。ライブラにいるのは私には役割があるから。言わなきゃ彼も仕事が出来ないことはわかっている。だけど、云おうとしても言葉が出ないのだ。言おうとするものならどろどろとしたものがまとわりついてくるようで、後ろからさるぐつわを噛まされそうな感覚になってしまう。
スマートフォンのメモ欄に書こうとしても、書いている途中で指が止まってできずじまい。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
ふと立ち上がりソファで着の身着のまま寝ているスティーブンさんを眺めてみる。色々と多忙であったからかやけに安らかな感じで眠っていた。
「わたしが、わたしが……」
声にならない悔みは胸の中に封じ込める。いつもやっていたはずなのに、今日はなぜかうまく飲み込めなかった。
第四章 日常屈折
「退院おめでとう、今宵」
「あ、あの……あ、どう、いたしまして?」
手いっぱいの花束をクラウスさんから渡される。パステルカラーのそれを私は戸惑いながら受け取った。色々な花の香りが鼻腔をなでる。とりあえずどこに置けばいいのかわからないのでとりあえずデスクの上にそのまま置くことにした。
パソコンを付けて今日の分の資料作成に取り掛かる。今日の分はライブラ内で情報共有するための資料だ。先日起きた集団昏倒事件、そして水面下で動いている非合法組織の数々。次にライブラが目をつけている「世界の均衡を崩しかねない」企み。どうやらその資料によると近々異能持ちを集めた人身売買オークションが行われるらしい。
「……」
ワードとにらめっこしつつ文書を整形する。少ない色使いでわかりやすく、そして挿入する図が予想外の表示になっているのを懸命に戻した。オークション会場周辺で起きている傷害事件と人身売買オークションの元締めについてのうわさ。文書整形とはいえ、少々気が滅入るが今この場にいる中でこの仕事を出来るのは私だけだ。ぱちぱちとキーボードをたたき、重くなる気持ちをなんとかごまかした。
資料作成もそろそろ終わりに差し掛かったころ、一つの名詞が目に留まった。もう二度と関わりたくない組織が、先日の暴行事件を引き起こした張本人たちが、ぴたりと私の背後に忍び寄る。自分の体から血の気が引いてくる。あのオークションにまさか、まさかジェストカヤ・プラヴダが絡むなんて。心臓が止まりそうにはなったがなんとか持ちこたえ、上書き保存を押してデータをしかるべき場所へと送った。
「――あ、あ……」
緊張がゆるんだのか、私の体から力が抜けて椅子から転げ落ちる。派手に落ちてしまったようで意識を再接続したときにはソファに寝かせられていた。そういえば、最近あまり寝ていなかったかもしれない。寝不足もあるのならこうなってしまうのも当然だろう。
「今宵さん……! 本当大丈夫ですか!?」
「レオナルドさん、ああ、大丈夫です。ほらこの通り」
ゆっくりと起き上がってレオナルドの前で少しだけおどけて見せる。しかし印刷した書類を手にしたスティーブンさんが加わり、背後から肩をぽんと叩かれた。
「いや、今宵のその大丈夫は本当に信用できないな……まあ書類はきちんとできているよ、ありがとう」
やすめ、といわんばかりにスティーブンさんが頭をくしゃくしゃ撫でる。そうこうしているうちに日は暮れて各々帰る時間になった。私はいつも通りスティーブンさんと一緒に彼の家に戻ることにした。
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