「まて……まちやがれ……。サカモト……! あんたの居場所はそいつのところじゃ、ない……! 自由になってしなせ、ないわよ……!」
地を這いながら女は呻く。きれいに飾り立てたメイクも、服も、ネイルも煤まみれになりもはや見る影もない。片腕は凍傷で使えなくなり、もう片方の手も振り払われた衝撃で感覚が麻痺していた。氷の部屋を出て唸り声をあげた後、赤い跡を見つけて顔を歪ませた。
「にがさ、ないわ……!」
「それはこっちの台詞だ、オクタヴィア――いいや、八角美和」
彼女の背後から重々しいものを構える音がした。憤怒の情で彼女は振り返る。そこにいたのはトレンチコートを着た男と重武装した人たちだった。
「署内で色々聞かせてもらおうか。オークションのこと、条例違反の出品物のこと、――暴行、虐待のこと、洗いざらいすべてな」
重武装した警官は這いずる女を難なく拘束する。犬のように彼女は叫ぶも男は一瞥し、武装警官たちに八角を連行するように指示をだした。
◇
荒れ果てた倉庫にて、静かに勝負は決しようとしていた。赤黒い泥が飛び散った室内に紳士であり戦士でもある男は依然として地に足をつけており、記憶王は再生しながらも泥を蠢かせていた。
「何故そこまでして妨害をする!? ライブラァ!?」
叫びとともに、泥は槍となりクラウスへと向かう。しかし彼はそれを拳で全て粉砕した。
「彼女を踏み躙ったからだ」
「理由はそれだけか! 彼女は重要な検体だ。貴様らはあれがどんなに重要か分かって――」
「検体ではない。彼女は――坂本今宵という今を歩むものだ」
怯む記憶王の心臓にクラウスは拳を突き立てる。静かに男は牙のある口を開いた。
「ダムナ・クラディツキ・セクリアエ・カリネロ、貴公を『密封』する――ブレングリード流血闘術999式――久遠棺封縛獄」
紅蓮の血が記憶王の体に絡みつき――瞬く間に小さい赤い十字架に変化した。それは地面に落ち、軽い音をたてた。
「憎み給え、赦し給え、諦め給え、人界を護るために行う我が蛮行を」
§
Epilogue : Ne Zavwienie Pamyat’
§
かつかつ、かつかつと氷を踏む音が聞こえている。背中は大きくて温かい。
静かに、静かに明るい方へと向かっていく私達。なんだか自分という存在が曖昧になっていって水分が多い水彩絵の具のようにぼやけていくようだ。
瞼を閉じる。ゆっくりと自我がとけていく。音は遠く、ただあるのは好きな人のぬくもりだけ――。
◇
瞼を開く。いつかの日のように見上げるは白天井。最初にスティーブンさんと出会った後も、オクタヴィアから暴行を受けた後もここに運ばれて包帯だらけになっていたことを思い出した。
その流れで何があったのか、どうして病院に運ばれたのか脳内を整理してみる。しかし記憶の光景は不明瞭で、最後の記憶はスティーブンさんに背負われたことだけだった。ただ、一応私は足首を捻挫したこと、ストレスの反動で気を失っていたということは医者から聞かされた。だが他の人達――クラウスさんやレオナルド、スティーブンさんがどうなったか、気を失った後あの会場内で何があったのかはまだ知らない。
その後、HLPDの事情聴取を受けた。記憶王のこと、前々から良くないものは取り扱っていた事は知ってたということは話せたが――所謂暴行と虐待について話す事はできなかった。それを察してかダニエル・ロウ警部補は苦々しい顔をして「落ち着いたらでいいから後でいってくれ。ここに連絡しろ」とだけ言って去っていった。
ようやく一人になり、頭を抱えている中今度はペタペタとナースシューズの音が鳴り響く。音の鳴る方へと顔を向けてみると看護師がそこに立っていた。
「サカモトさんですね。スターフェイズさんが貴方に面会したいと……」
どくん、と心臓が脈打つ。無機質な世界がぱらぱらと崩れるような感覚がした。
「あ、はい、したい、私もしたいです!」
「落ち着いてくださいサカモトさん。今呼びますからね」
そう言って看護師さんは静かに病室から退出する。病室の窓はあいも変わらずの霧模様。サイドテーブルには誰かが訪れていたようでやりかけのウノとりんご、そしてコニー・アイランドの写真が置かれていた。
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