腕を大きく振りかぶる。それと同時に手から野球ボールくらいの大きさの固い雪玉を作り出す。
白い男は変わらずに自分で作り出した指の中の世界に夢中になっている。まるで自分自身がこの世の神であるかのように。その証拠に彼が指画面越しで見ていると思われる世界は彼の言葉とともに閃光まみれになっていた。
ゴーグル越しでもまぶしくて、照準が定まらない中で目を細めて狙いを定める。地面に傾斜はなく、的は狭いうえにズレてしまえば指画面越しの英雄に当たってしまうだろう。
息を、音をたてないように深く吸う。古典の授業で習った弓兵の気持ちがなんとなくわかるような気がした。
脳にインストールさせるは動画で見たエースのフォーム。何度も繰り返し見た映像に同調するように――腕を、振る。
ストレート、115km/h
白い塊が一直線に空気を切る。瞬く間にそれは勢いよく世界に語り掛けている男の手首に当たり――雪玉は粉々に砕け散った。
「――!」
白い男が作り出した指の画面は崩れ、閃光がやむ。
黒い男は周りを気にするそぶりを見せて姿勢を立て直し、長い髪の毛はゆっくりと逆立ち始めた。
それと同時に私は再び雪玉を作り出し第二投の準備。彼が戦線復帰するまでのインターバルはまだあるかもしれない。ゆえに――それまでに絶対にあの指画面を作り出させてはいけない。
「ああ――まったく、せっかくいい気分だったのですがねぇ! 思う存分世界に語り掛けることができるってのに!」
白い男がぐるりとこちらを向きのそのそと近づいてくる。口角は不自然なほどに吊り上がり男の白いスーツは袖以外に汚れとシミは見当たらない。そして――なにより小さな画面の世界のナレーションをするような個性。間違いない。
「ナレーションヒーロー・サイレントキネマ……!」
「サイレントシネマと呼んでほしいねぇ!」
だらりと下がった両手を再び構えだす。ゆらりとサイレントシネマは再び両手で四角を作り出そうとした。
「させる――――ものか――!」
もう一球、最初の球より早く投げる。今度は直球時速110キロメーターを彼のみぞおちにめがけて投げつける。ただ――近い。あまりにも、近い。間に合え、間に合え――!
「プロ野球選手もかくやという雪玉の投球――しかし突然失速、大暴投!」
サイレントシネマが声を張り上げる。
もしや、と思ったその時雪玉は突然重力にひかれて――彼の足元に落下してしまった。
「しまっ――!」
「無駄に格好よく乱入してきた雪玉ヒーロー、しかしなす術もなく先のイレイザーヘッドの足手まといとなるのみでございます」
そう男は宣言するように言うがそれをかき消すように背中に携えた伸縮性バットを抜いて振り回す。あと一寸、わずかな距離で彼の腰に当たろうとしたところで届かない。
「足手まといと認識したヒーロー、取り消すようにバットを振り回すも所詮扇風機。スリーストライクでブーイングもの!」
「まだ、まだ打順は回って――」
「否、否、断じて否! ストライクの入らない投手にはマウンドを去ってもらいましょう! たとえば――傾斜に足を取られるとか!」
途端、足がもつれ――バットが鈍い音を立てて落ちる。そしてその音源へと私の顔は真っ逆さまに落下した。
「っ―――!」
認識より遅れて鈍い痛みが顔を走る。ただゴーグルとマスクで顔を覆っていたのか思ったより痛みは軽いらしい。
ゆっくり、ゆっくりと立ち上がる。足首に違和感はない。まだ踏ん張れる。
「まだ、立ち上がるか」
頷かず、ただ目の前の敵を見据える。まだ敵は彼の背後にいるヒーローが立ち上がっていることに気づいていない。否、そちらによそ見をする余裕はないらしい。
「――あなたを止めるまで、止まりません」
「不屈の闘志、まことに敵ながら見事というべきでしょうか。しかしそれももう終わり。白雪のヒーローは地に伏す男の目の前で――己の無力を嘆きながら自分自身の首を絞めて自分の意志で縊死をするのでした」
にたり、と男が満足げにほほ笑む。体の再起動は男の声より遅く、自分の手が首を力強くつかんだ。
「―――あ、ぐ、あぁ――!」
「どうですどうです! 助けるべく人の前で自害する心地は!」
頭が、痛くてぼうっとする。酸素は枯渇していって何を考えればいいのかわからない。サイレントシネマの問いにどうこたえていいのか、わからない。これではまるで――
「本末転倒……!」
「いやぁ、愉快愉快。もう一人のヒーローがどうなっているのか現状皆目尽きませんが……まぁいいでしょう。ずぅっと私は貴方が命尽きるまで見ておりますのでそれまでどうか――」
「そうか、それなら好都合」
刹那、低く這うような声が鼓膜を震わせる。
対峙している敵の背後にいた男が顔をあげ――牢獄のようなゴーグルの奥から紅の瞳が光った。
「あ――」
同時に私の体が軽くなる。そう認識した時には首から手を離して盛大にせき込んだ。
「どうし、てだ――!」
「さっきの雪玉奇襲で理解した。お前、指で作った穴の範囲内にしか個性効かないよな。世界に語り掛けるといういかにも神様じみた個性だが――視野の範囲外からの奇襲攻撃には致命的に弱い」
だから、そこを突いたんだよ。
そう言って黒い男――イレイザーヘッドは首元の細い布を勢いよく伸ばす。目標はサイレントシネマの手首。
「そいつに目くらましをしろ!」
彼の言葉が引き金となり一気に意識が戻される。
言葉が終わると同時に脆い雪玉を左手で作成、右手で落ちたバットを拾い上げる。そして雪玉を小さく上げて――勢いよく白球にバットをぶつけた。
「そーーーーーれっ!」
白い雪が、砕け散る。一度固められたそれは固くパラパラとした音を立てて――敵の体に接触した。
「ゆ、雪――! いた、いだ……っ!」
敵は目をこすり、再び手を構えようとする――が、それは叶わない。
勢いよく灰色の布がサイレントシネマの手首に絡みつき、手を覆うように巻かれていく。力づくでそれを解こうとすれどもかなわない。
「大人しくお縄につけ」
布が引っ張られた拍子に男が地面にたたきつけられる。イレイザーヘッドはただそれを何もなかったかのように見下ろした。
息を深く吐く。その姿ですら様になっていて――仕事でなければずっと見ているところだった。
自分で自分に平手を打つ。遅れて頬にピリッとした感覚が走った。スマートフォンを取り出して百十番。簡潔に状況を述べてすぐに駆け付ける旨を聞いた後で電話を切り――電話口で言われたことを彼に、伝えた。
「もう、通報したのか。早い上に合理的な判断だ」
「――は、はい」
気だるげな声色で彼は拘束した敵から目を離さずに見張っている。変わらずにゴーグルをしていてその奥から鋭い眼差しが見え隠れしている。
そう――あの日、あの時見たような英雄は、確かに、ここにいるのだった。
◇
その後、警察がやってきて無事に敵は引き渡された。敵確保の現場に居合わせたということもあり一緒に事情徴収などされたが特にこれといったこともなく、終わった。
すっかり鳴羽田の夜は更けていき、天球の頂点には望月が燦然と輝いている。路地裏には私とイレイザーヘッドのみ。たった一秒だけでも同じ空間に、なにもない状態でいる空気がなぜか喉を締め上げるようで、重い。
顔を動かさずに、ゴーグル越しに彼を横目で見る。なんとなくすぐにここを脱しそうである彼はなぜかこの場から離れようとしない。そのうえ――心なしか、私を、見ている気がした。
そっと静かに、音を立てずに何もなかったかのように足を踏み出してみる。瞬間――右腕が、何かに掴まれた。とても強い力で振りほどけそうにないほどに。
徐に右腕のほうを振り返る。
私の手は、大きな手に掴まれていて――その腕をたどった先には仏頂面の草臥れた男が、こちらをじっと見ていた。
「おい、お前」
力のまま彼のほうに向けさせられる。そして逃がさないといわんばかりに近くの壁に勢いよく私の体は押し付けられた。
「お前、確かあの時の……」
「……人違いだと、思います」
「いいやその声とその個性、その投げ方は学校行事で逸れて教会前で足を怪我したお前だろう」
一気に彼の顔が息のかかる距離までに迫る。
幾分かあの時と比べてかなり草臥れているように見えたが、それでも目の前に「彼」がいる。面影が濃い。しかし彼の眉間に深い皺が生成されていく。低い唸り声を漏らしたのち、徐に指を目と口へと指した。
「顔、見せろ」
……疑うのも無理はないかもしれない。ただ、唇について言われるのはとても怖い。しかし――今は信頼を得るしか、ないのだろう。
拘束されていない手でゴーグルをおろす。視界からフィルターかかった色が消えた。次に口をマウスピースから外して、マスクごとゆっくりおろす。目をつむりたいところだがそれでは本人確認ができないから我慢した。
「……なるほどな」
近い。ただでさえ息がかかるほど彼の顔が一気に近づく。まじまじと私の顔を見つめながら小さく低くうなり、納得したのか彼が遠ざかった。
「お前、ヒーローになっていたのか」
「いろいろ、ありまして……」
「色々とはなんだ」
「……色々は、いろいろです」
「まぁいい。言いたいこと聞きたいことはやまやまだが……お前、名前は」
あの時と変わらない顔、変わらない声。
どちらの名前を求められているのか――わかっている。息を吸って、いうべき名前を喉元へ。
「……ベラスニェーカ、ベラスニェーカと申します」
左手でポケットからヒーロー免許を取り出して彼に提示する。一瞬で見たのか彼はそれをしまえというジェスチャーを右手でした。
「……本名バレんぞ、ベラスニェーカ」
「でも、あの時イレイザーヘッドさんは……見せてましたから。免許」
「あれは……何故助けたのか合理的に説明するためだ」
ほら、と彼は手を離す。ふう、と息をついた後で彼の目線は私の首元にあるゴーグルへと向けられる。
「ところで一ついいか。なぜお前はメガネの上からゴーグルしている?」
「……個性で雪が出るのですが、その雪がメガネのレンズに当たって大惨事に至らないようにするためです。スキーの眼鏡対応ゴーグルのような感じですね」
「競技用の視力入りゴーグルのほうにしたほうがいい。ズレを気にせず済む」
「……前向きに、検討します」
今度こそ、彼から逃げるように足を踏み出してこの場所から逃げようとする。これ以上ここにいると、何かがゆがみそうだったから。人工の光の海が視界に広がったところで息を吸う音が、背後からした。
「ベラスニェーカ」
とくん、と心臓が跳ねる。
振り返らずに立ち止まり、彼に名を呼ばれたことを認識する。多分今の顔は、見せられない。
「……奉仕と自己犠牲を、履き違えるな」
「―――はい」
「それと、さっきは助けられた。礼を言う」
たん、と地面を蹴る音がした。
ゆっくりと振り返る。そこはがらんどうで、ただ光なき道がそこにあるだけだった。
第二章 了
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