3-1 gaze the sky, repeat the memory

 朧月を見上げ、なんとなく手を伸ばす。
 それで雲をつかめるはずはなく、ましてや季節外れの雪をそのまま保存できるわけがないことはわかっている。そうしたいから、そうしているだけだ。
彼女 ベラスニェーカがゴーグルをつけていた故にが脳裏をよぎったわけではない。重ねたわけでもない。ただ、なぜか放置できなかった。それだけのこと。
 それは――彼女のことを少しでも知っているからだろうか? 彼女の目があの日と変わっていなかったからか? 不明瞭、答えの出ない問いを求めてもしょうがない。――それは、きわめて非合理的な行いだ。
 ただ――目の前で彼女が死ぬということが耐えられなかったことは事実。死んでは助けるべきものを助けられない。あの時は間に合ってよかったが間に合わなかったら――では――なぜ俺は最後にあんなことを言ったのだろうか? いい時間稼ぎになった? 馬鹿げている。否、彼女に罪悪感を抱かせないために……違う。一人でサイレントシネマを拘束できなかった自分の過失をなかったことにしたかっただけだ。しかし、彼女の参戦がなかったら敵を確保するのが難しくなったのもまた、事実。現実は受け止めるべきだろう。
 手を下ろし、高層ビルから高層ビルへと飛び移る。そしてそのまま巡回を終えてコンクリート打ち放しの事務所へと帰還する。シャワーを浴びて生乾きの髪の毛をまとめたあと寝袋に身を包んだ。
「ベラスニェーカ……か」
 知りえた彼女の名前をつぶやいてみる。どこか、冬の風が胸を通り抜けるような感覚がした。
 そして――その彼女のことを連鎖的に思い出す。
 腰回りのポーチ群に背中に取り付けたナイフの代わりとしての伸縮性バット、ゴーグル。まるで、俺だ。彼女をヒーローの道に行かせたのは、俺であるといわんばかりの装備。
「――」
 憧れの対象になるのは別にいい。
 ただ――彼女がこちら側に来た意図は知りたい。それは憧憬からくるものか否かどうか知ってどうするというわけでもないが、彼女という存在を知らなければならない。そんな気が、しただけだった。
 この街にいればいつまた逢うだろう、その時に聞けばいい。そう結論付けて機械のように俺自身をシャットダウンさせて目をつむる。目をつむっても、彼女の暗い瞳が瞼の裏に浮かんでは霧散していった。
 そして――何故か、彼女の細い手首の温度が、皮膚の柔らかさと内側の奇妙な感触がよみがえる。無数の真一文字の痕跡は考えたくもないことを連想させた。もしそれが事実であれば――猶更、彼女にこの道を歩んだ理由を聞かねばならないだろう。
「何故だ」
 打ちっぱなしのコンクリートに問うてみてもただ声は跳ね返るのみ。これ以上考えても今は何も得られないだろう。強引に思考回路をオフにして、目覚めたときのために休む。秒針が規則正しく鳴る音をBGMにして、ただ只管眠りに――つい、た。

 

第三章 虚偽緩解 -Starmarker is believer-

 

 まとわりつく熱気と灰色の雲が日常となる季節になったころになっても未だに初夏の終わりの路地裏でのことを思い出す。間近で見た彼の顔は変わりなく、ましてや握られた手首から感じた彼の手も、変わりなく暖かかった。彼に質問されている時には微塵も感じなかったよくわからないものが、日に日に増していき自分自身が書き換えられてしまいそうになる。
 だが――私は、ヒーローだ。職務は遂行しなければならないし、憧れに浮かれてはいけない。憧れに焦がれて、別の情に転じてしまうのも、好ましくないだろう。
 切り替えるためにコピー用紙を広げ、いろいろ集めた情報を書き出してみる。突発性敵の騒動は大人しくなる一方でヒーロー連続闇落ち事件は未だに続いている。HNにて聞いてみても情報は全くなく、首謀者と思しきヴィランことペーパームーンに関する情報も得られることはなかった。ともすれば――地下深いところにあるか、それとも別の何かか。私にできることはなく、どうあがいても詰みであることは確かだろう。
「……は、あぁ」
 重い気圧に屈するように部屋の壁にもたれかかる。曇天の朝を横目で見つつ、天井の電気へと顔を向けた。
 そういえば――こんなふうに、追い詰められて、問い詰められたっけ。
 なんてのんきなことを思い出しつつ一言一句、あの路地裏の出来事を再生す――だめだ。思い出したら抱いてはいけないものを抱きそうになる。でも、それでも、あんなに顔が近くて、大きい手が暖かくて、心臓がとてつもないほどに早鐘を打った。なにより――私の顔について、何も言わなかったこと。本当に、どうにかなってしまいそうだ。
「――だめ、だめだから」
 ぱちん、と頬に平手を打ち腕を搔きむしる。切り替えてクローゼットの中にしまってあるヒーロースーツを取り出そうとした――時だった。
「……え」
 けたたましい電子音、スマートフォンに表示されているのは警察の文字。すぐに画面をタッチして通話に出る。
「は、はい。こちらベラスニェーカです」
「ベラスニェーカですね。先日あなたとイレイザーヘッドが確保したサイレントシネマについてですが……」
 電話口にて警察の人が事実を告げる。喉から絶叫声が出そうになったが堪え、相槌を打つ。
「――では、今からそちらへ向かえばいいのですね」
「ええ。詳細はそこで説明します」
「承知しました。すぐに向かいます」
 ヒーロースーツを身にまとい、電話で指定された場所を反芻する。戸締りをして、指定されたビルの一角へと走った。

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