ある日、私は新宿東口の寂れたビルの中にあるバーのドアを開く。モノクロの内装に小気味いいベースにピアノが鳴り響く空間。ひっそりとした場所にこのような場所があるとは思いもしなかった。客は私以外に誰もいない。せっかくだからとカウンター席の端に陣取りロマンスグレーのバーテンダーから店の説明を受けた後で、私は出会った。
「失礼します、隣、よろしいですか?」
腹の底へと響くテノール、グレーの髪とスーツに赤のペイズリーのネクタイに翠と紅の瞳。水面の表面に浮かべたような笑顔に少しだけ気圧されて私は首を縦に振った。
「ありがとうございます。ああ、そうだ。ここであったのも何かの縁……折角ですし私に一杯奢らせてください」
なんとなく悪いから断ろうかと思ったが、人からの好意を無下にするわけにはいかない。ただ私は彼からの申し出を受け入れた。
「では……そうですね。ここは初めてですか? もしそうなら私のよく飲んでいるものを……」
少しだけぼんやりとした意識の中、言われるがまま彼のおすすめを頼んでみる。小気味いいアイスの音を聞きながら私は彼の話に耳を傾けていた。聞けば彼は教師をしているようで若者の成長を見守るのが楽しみとか。
そうこうしているうちに彼のおすすめが2杯出てきた。聞けばこの店オリジナルらしい。なんだか彼に悪い気がしたが……ここまで来たのなら飲み干すしかないだろう。
「では、この出会いにーー乾杯」
彼の合図でカクテルを口に含む。天国に味があるのだとしたらこの味だろう、という舌が歓んだ。その旨を告げたらバーテンダーはウインクして、先生はまた微笑んで耳元で囁いた。
「本当にここは、カクテルが美味しいのです。お気に召したようでなによりです」
お通しへと伸びた手は止まり、彼の声が酔った脳によく響く。ここに行けば、また会えるのかと尋ねると曖昧な面持ちで彼は頷いた。
そして彼に勧められるがままにアルコールを飲み、彼がバーを去ったのを目撃したあとで私も千鳥足になるのを堪らえながら家路を急いだ。
数日後、私はあのバーへとまた足を運ぶ。彼がいるのかもしれないという希望を胸にして。
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